4/23から4/26まではタイのピピ島(ピーピー諸島)にいました。ピーピー諸島は大きく分けてピーピー・ドーン島(写真奥)とピーピー・レー島(写真手前)を中心とする島の集まりであって、レオナルド・デカプリオ主演の映画『ザ・ビーチ』の撮影でも使われていた諸島です。この島を理解することには非常に大きな意味があるので、以下に解説を書いていきます。

ピピ諸島は美しい自然に恵まれた、理想郷と言うべき島です。だからこそ、映画『ザ・ビーチ』の中でも理想郷の島として描かれています。ピピ諸島のことを理解する上では、絶対に『ザ・ビーチ』がどういう映画なのかを理解する必要があるので、映画の説明と並行してピピ諸島の説明を書いていきます。

この映画で描かれている大きなテーマは人間の「欲望」によって、様々な理想郷が「闇」に堕ちていく様です。理想郷と呼ばれるにふさわしい土地に暮らしていても、結局は人間の「欲望」のせいで理想郷は理想郷にはなり得ない様を描いています。そういった、人間の「闇」を描いた映画です。

ただ、「闇」の映画とは言っても「闇」のための「闇」の映画ではなく、「光」のための「闇」の映画です。つまり、「闇」を生むための映画ではなく、「闇」の罠を理解するための映画です。この映画を通して、我々はどんな理想郷に生きていようと、人間が「欲望」を止めない限り、理想郷は生まれないということを学ぶことができます。逆に言うと、理想郷が生まれるのに必要なものは「愛」であることを理解できます。

この映画は人間の心の奥底に潜む「闇」を神々が描いた作品です。言い換えると、神々が悪魔の本質を描くために作っています。人間の心に「闇の気(持ち)」で関与するのは悪魔だからです。神々は長年の間、神々と悪魔の本質を人間に伝えることを目指してきたのと対照的に、悪魔は長年の間、神々と悪魔の本質が人間にバレないことを目指してきました。

だからこそ、この映画を神々が作ったということは悪魔にとって都合の悪いことであって、悪魔としては仕返しを神々にしたいところでした。その仕返しが何かというと、今のピピ諸島の現状です。

ピピ諸島は『ザ・ビーチ』によって非常に有名になり、理想郷を求めて多くの観光客が訪れる島になりました。そして、映画『ザ・ビーチ』で指摘されていることそのままに、観光客の「欲望」によって、ピピ諸島は非常に大きな「闇」を抱えることになりました。船で島の港に入ると、まず最初に目の前に現れるのがマクドナルドのドナルドです。

ピピ諸島唯一の有人島である、ピーピー・ドーン島は毎晩夜中まで爆音でクラブ音楽が鳴り響き、人々は浴びるように酒を飲んでいます。

また、観光客が多すぎるが故にビーチは船ばかりで砂浜をかなり失っていました。これでは、海で泳ぐことも、砂浜でゆっくりすることもできません。ピピ島には大きく分けて二つのビーチがあるのですが、片方の現状はこういう状態になってしまっています。

また、島内にはたくさんのタトゥーショップがあり、観光客はスカル(骸骨)のタトゥーを彫って帰っていきます。こういうところには、分かりやすく悪魔を象徴するデザインや様々なものがあります。ここの彫り師達は悪魔が描かれたTシャツを着て、自分が悪魔の使いであることを分かりやすく示しているのですが、本人達はそういった自覚はないのだと思います。

お店を営む他のタイ人達も、観光客から「闇」を吸いすぎて「光」を失いがちで、表情があまりよくありません。毎晩のように爆音で流れるクラブ音楽を聞かなければならないし、観光客は自分達が楽しむのに必死で、お店の人達を大事にせずに自己中心的だからこそ、お店の人達は観光客に対する「愛」を失い「嫌悪」を抱き、ただお金を落としてくれる存在として観光客を見ているだけです。つまり、「お金のため」だけに商売をしているから、心が「闇」に堕ちる形になります。そういったことを、彼らの視線を通してよく感じました。また、「仕事がめんどくさい」という感情を露骨に表現する「怠惰」に堕ちている人もとても多かったです。

このような形で、今のピピ諸島は理想郷の島から「欲望」の島と化してしまっています。つまり、「光」の島ではなく「闇」の島と化してしまっています。

ピーピー・レー島の方は島に誰も住めないようになっているので、自然はまだ残っていますが、連日訪れる観光客が多過ぎて、島の美しさを本当の意味では感じにくい現状があります。下の写真はピーピー・レー島を代表する最も美しいエリアの今の写真です。

ただ、ピーピー・ドーン島よりは圧倒的に状況はマシです。例えば、人が陸上に滞在できないラグーンはとても美しい世界でした。こういったところから、ピピ諸島が本来持っている「光」を我々は今でも、かろうじて感じることができます。

『ザ・ビーチ』を通して神々が伝えたかったのは、如何に「闇」が理想郷を食い潰していくのかです。それを人間に伝えることによって、人間に正しい道を示したかった形になります。しかし、人間はまだそういった大事なことを学んでいません。つまり、神々が打った『ザ・ビーチ』という一手はまだ活かされていない形になります。

悪魔としては、映画を通してそういった大事なことを人間に学ばせることを止め、ただただ「欲望」に同調させることによって、ピピ諸島に観光客をたくさん送り込み、ピピ諸島を人間の「欲望」を使って荒らしている形になります。つまり、神々の一手によって人間がピピ諸島のことを知ったことを利用し、その神々の一手を悪魔自身のために利用している形になります。当然、人間の方は悪魔に踊らされていることに気付いていません。

神々は「欲望」を止めるためにこの映画を作ったのに、この映画をきっかけに「欲望」が映画の舞台の土地で広がったということは、大きな「皮肉」です。悪魔はいつもこういった「皮肉」を生むことを好みます。それが神々の「希望」を断つために有効で、神々に精神的ダメージを与えられるからです。

ピピ諸島の歴史は『ザ・ビーチ』を中心軸にこのような神々(光)と悪魔(闇)の対立構造を持っています。そして、この構造は人間が如何に大事なことを学ばず、そのことが故に狂ったことをし続けるという、この時代の「闇」の本質=悪魔のやり方をよく表しています。かつてのピピ島と今のピピ島の写真も並べておきます。

ただ、神々は元々こういう流れになってしまうことを予想していなかったかというと、当然そんなことはなく、神々としては、このように神々と悪魔の闘い・チェスが進むだろうということを元々予想した上で『ザ・ビーチ』を製作しています。では、どうして神々はピピ諸島が犠牲になってでも『ザ・ビーチ』を製作したかというと、このピピ諸島の歴史自体から人間に悪魔の本質を教えることを狙っているからです。

それに対して、悪魔はそういった神々の狙いを理解していなかったかというと、当然そんなことはなく、悪魔としてはどんなに自分達がピピ諸島を荒らしても、人間がそういう歴史から大事なことを何も学ばないようにする自信があるからこそ、ピピ諸島を荒らしている形になります。人間が大事なことを学ばなければ、ピピ諸島を荒らすことは一つの神々の理想郷を奪うことであって、それは悪魔にとって都合がいいことだからです。

ですから、ピピ諸島における今の神々と悪魔の闘いはどういう状況かというと、神々としては映画とピピ諸島の歴史を通して人間に大事なことを学ばせようとする気なのに対して、悪魔としては絶対にそういうことを学ばせないようにする気です。そういうところまで、神々と悪魔の闘い・チェスは進んでいます。

(「神々と悪魔の闘い・チェス」と書く理由は、神々にとっては大事な「闘い」であるのに対して、悪魔にとっては暇つぶしの「ゲーム」だからです。神々にとって悪魔との「闘い」は、大事な我が子(人間や様々な生き物)を守るためのものであるのに対して、悪魔にとって神々との「ゲーム」は、その悪魔自身が楽しむためのものです。)

『ザ・ビーチ』は「気」のことが分からなくても、「愛」と「欲望」の対立軸さえ分かれば理解できることです。そのような簡単なことさえも、我々は学ぶことができていない現状があります。そして、学ばないからこそ、「欲望」に堕ちがちで、意図せず悪魔と手を組み、悪魔の目的のために動かされ続けています。そして、その動きは神々が人間に求める動きとは真逆の動きです。

この闘い・ゲームがどのように進んでいくのかは、これからの人間にかかっています。『ザ・ビーチ』やピピ諸島の歴史を通して人間が大事なことを学ぶことができるのであれば、神々の「願い」が実現し、人間は大事な教訓を得ることができます。そして、その教訓と共に人が生きることができたのなら、この世界はもっと良いものになることができます。その反対に、人間が大事なことを学ばなければ、悪魔の「野望」が実現し、人間は引き続き狂ったことをし続けるだけです。そのことを通して、この世界はもっと酷いものになってしまいます。

人間が心の成り立ちを理解するように本当に努力するのであれば、自ずと神々と悪魔が人間の心に「愛」と「欲望」で関与していることが分かるので、ピピ諸島の歴史の意味も分かります。また、そういう心の成り立ちの基礎が分かれば、神々や悪魔が映画制作に関与していることも理解できるので、『ザ・ビーチ』に神々が込めたメッセージも読解しようと努力します。人間がこれから歩むべき道はこういう道です。

ピピ諸島については以上になります。非常に分かりやすい「光」と「闇」の対立軸だからこそ、説明も簡潔になった形になります。もし、ピピ諸島に行くことがあったら、人間の狂った「欲望」がどのように「光」を破壊し、どのように「闇」を生むのかを理解しに行くような態度で行かれるといいと思います。また、ピピ諸島に行った際に「欲望」に同調することは非常に危険です。一度掘ったスカル(骸骨)のタトゥーは簡単には消えません。

『ザ・ビーチ』はアマゾンから200円で今すぐ配信で観れますので、御覧になって頂くといいと思います。「闇」の映画なので、苦しい表現も多々ありますが、「欲望」の本質を理解することができます。いつか『ザ・ビーチ』についての解説も詳しく書くと思います。以下、アマゾンのリンクです。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00IIYWGWK

この島については、タイの「光」と「闇」を説明するためのショートフィルムの中でも、かなり触れることになると思いますので、将来的にはそちらの動画もYouTubeから御覧になって頂けると幸いです。そのことによって、もっと感覚的にこの島の重要性を理解できると思っています。