「怒り」にも「光」と「闇」があるので、「怒り」を分けて考えることはとても大事です。

「光」の「怒り」は「誰かのため」の「厳しさ」
「闇」の「怒り」は「自分のため」の「発散」

これが「怒り」について理解する上で、まず最初に分けないといけない区別になります。以下、それぞれについて説明します。
 

【「光」の「怒り」】

「光」の「怒り」について、自分の過去の経験を具体例に取り上げると、昔、本当に素晴らしい才能を持った本質的にシャーマンの女性と出会って、その女性に「何故あなたはシャーマンとして生きないのですか?」と尋ねたことがあります。すると彼女は「だって、私は自分がもっと楽しみたいから」と言いました。

その時に感じた自分の中の「怒り(厳しさ)」は今でも鮮明に覚えています。その女性は、自分には「世のため」に活かせる才能があると知っておきながら、「自分のため」にその才能を使っていなかったからです。

それぞれの人間は「世のため」に自分ができることをするべきだと信じて生きています。そして、この女性は「愛」の強い女性です。「愛」の強い人間がそんな中途半端な「欲望」を「選択」をしていてどうするんだと今でも思っています。

これが「愛」を前提とする「水の気持ち」の「怒り(厳しさ)」です。現代では「説教臭い」「ウザイ」と嫌われがちな「厳しさ」でもありますが、皆で向上していくためには必要な「厳しさ」です。
 

【「闇」の「怒り」】

「闇」の「怒り」について、自分の過去の経験を具体例に取り上げると、昔、自分が本当に大事に思っている人に対して、自分はその「相手のため」に相手の抱えている「問題」を指摘したことがあります。当時はシャーマンではありませんでしたが、その相手が抱えている「問題」を「解決」するためには、その本人が最初に知るべきだと思って言った形になります。

それに対して、その相手はとても強い「怒り」を抱いた形になります。どうしてかというと、自分が否定されたように感じたからです。自分が否定されたように感じるからこそ、自分を不愉快にさせた相手に対して「怒り」を抱いた形になります。

このような形で、「欲望(この場合は自己肯定欲)」は「怒り」を生みます。分かりやすく言うと、「闇」の「怒り」とは自分が「ムカツク」から相手を攻撃するだけのものであって、どうして「ムカツク」かというと、自分の「欲望」とは相反する「不利益」を相手が自分に与えたように感じるからです。

「闇」の「怒り(発散)」なんかしても何も生まれず、不必要な対立が生まれるだけです。当時の自分としては、その相手を大事に思っていたものだから、相手が「怒り」に堕ちたこと自体が非常に悲しく、言ったことに対する「罪悪感」や「後悔」も感じました。このような形で、「闇」の「怒り」は世に「闇」を増やしていきます。
 

【「光」の「怒り」の使い方】

また、この具体例とも繋がる話ですが、「光」の「怒り(厳しさ)」は、自分の否を認められない「弱さ」を持った人間に使うと対立が生まれるだけなので、相手を選んで使った方がいいです。

現代の日本人には全体的に「弱さ」が蔓延しているので「光」の「怒り(厳しさ)」は全然使えません。だから、日本人に「厳しさ」を実践する時は、すごく遠回しに優しく言うようにすることが大事です。
 

【「問題解決の心」と「闘いの心」】

少し発展的な内容ですが、「光」の「厳しさ」を司るのは「水の気持ち(問題解決の心)」と「火の気持ち(闘いの心)」です。「問題解決の心」は「問題」を見るからこそ「厳しさ」を持ち、「闘いの心」は「敵」を見るからこそ「厳しさ」を持ちます。

「水の気持ち」の「厳しさ」は「問題解決」のスタンスなので、「怒り」を露骨に出さない方がいいと思えば、「怒り」を隠すことを「問題解決」で行なえます。「火の気持ち(闘いの心)」の「厳しさ」は「闘い」のスタンスなので、「怒り」を隠すためには自分の中の「怒り」と「闘う」しかありません。

「水の気持ち(問題解決の心)」は「冷静」であるのに対して、「火の気持ち(闘いの心)」は「熱い」です。だからこそ、「問題解決の心」の「厳しさ」を隠す方が容易で、「闘いの心」の「厳しさ」を隠す方が難しいです。激流の逆方向に水を入れれば激流は止まりますが、燃え盛る炎を炎で消すのは容易ではありません。

また、「水の気持ち(問題解決の心)」は「厳しさ」を隠しながら「厳しさ」を実践することも「問題解決」のスタンスで行なえるのですが、「火の気持ち(闘いの心)」は「厳しさ」を隠しながら「厳しさ」を実践するのには向いていません。何故ならば、「隠す」という心の動きは「問題解決」で行ないやすいのに対して、「闘い」では行ないにくいからです。

だからこそ、「火の気持ち(闘いの心)」の「厳しさ」を持つ人は、自分の中の「怒り(厳しさ)」を上手く隠すことができず、周りから嫌われ孤立しがちです。「闘いの心」を持つ「不器用」な人は、現代では非常に苦しい「光」の立場の人です。

現代に有効な「厳しさ」は「火の気持ち(闘いの心)」ではなく「水の気持ち(問題解決の心)」であり、可能な限り柔らかくした「水の気持ち」の「厳しさ」です。

参考になると幸いです。