魂は心臓に宿っています。そこで我々は感情を抱き、思考をしています。最近は「脳で感情を抱き、思考をしている」という考え方が流行っていますが、脳とはただの記憶装置であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

感情を抱いたり思考をする段階において、我々は記憶を使います。例えば、思考をする段階においては我々は言語を使いますから、当然脳から言語の記憶を使わないといけなくなるわけです。そして、感情を抱く段階においても我々は必ず記憶を使っています。もし、我々が記憶を使わずに感情を抱いているとしたら、その感情は我々にとって初めての感情と感じられ、我々はそのことに驚いてしまい、安心してその感情を抱くことができません。例えば、嬉しいという感情が起こった時、我々は無意識に「これは嬉しさである」という認識をしています。その認識がどこから来るかというと過去の記憶です。もしそこで過去の記憶を使わない場合、我々はそこで起こる嬉しさに対して何なのかが認識できず、安心して「嬉しい」という感情を経験できません。

ですから、感情や思考を行なう段階においては記憶を使っており、その記憶を引き出すために記憶装置である脳を使っています。「感情を抱き思考をする段階で脳を使っていること」と「脳が感情を抱き、思考をしている」ということは一致しません。ですから、感情や思考をしている時に脳が動いていることを科学的な実験で確認したところで、「脳で感情を抱き、思考をしている」という結論には至りません。感情や思考をする時に我々の魂が記憶を引き出すために脳を使っているだけです。

我々の身体には無数の神経が走っています。「神経」とはとてもいい言葉で「神が経る」と書きます。その通りで、神経は我々の身体の中の気を回しています。神経によって心臓と脳は繋がっています。我々は脳にある記憶を気に乗せて、その気を神経という場所を通して、心臓にある魂まで一瞬において運んでいます。これはまた書きますが、気とはアイデアの根本であり、気には情報が乗ります。

私はよく霊と話しますが、彼らはちゃんと物を考えることができます。もし脳で物を考えているとしたら霊が物を考えることなど絶対に不可能です。何故ならば彼らは脳を持ってはいないからです。

考えているのも感じているのも魂です。その過程において記憶を使うために脳を使っているに過ぎません。これはとても大事なことですからよく覚えておいて下さい。