「愛」は「相手のため」を思うからこそ「与える」ことを目指し、「欲望」は「自分のため」を思うからこそ「手に入れる」ことを目指しますが、こういった態度が「与え合い」と「ギブ&テイク」の違いに繋がっていきます。「与え合い」も「ギブ&テイク」も、「与える」ということを行なっていますが、この二つは目的が異なります。

「ギブ&テイク」は、自分が何かを「手に入れる」ために相手に何かを「与える」という立場です。例えば、アルバイトは時間を相手に「与える」代わりに、給料を「手に入れる」ことを行います。目的は「手に入れる」ことで、そのための手段として「与える」ということを行なっているに過ぎません。これが「欲望」の立場の「与える」です。

「無償の愛」は、見返りを期待せずに相手に何かを「与える」ということを意味します。例えば、本当に相手を支えたいのであれば、給料が無くてもその人の仕事を手伝います。目的自体が相手に「与える」ことだからこそ、自分が「手に入れる」ことは全く目指しません。これが「愛」の立場の「与える」です。

「ギブ&テイク」でお互いに「利益」を得るということがいいことだと思って頂かないで頂けると幸いです。結局は「自分のため」の行為なので、そこに「愛」の「喜び」も無ければ、あるのは「欲望」の「快楽」です。ですから、「ギブ&テイク」で「利益」をお互いが得る度に、お互いの心は「欲望」を強めてしまい、お互いに「不幸」に近づいていきます。

何の見返りも求めずに、誰かが自分に何かを「与える」ことをした場合、多くの人は相手に対して「感謝」します。そして、その「感謝」の心は相手に対する「愛」にも繋がりやすいものです。このようにして、「愛」を動機に誰かが誰かに「与える」ことは、与えられた人間の「愛」さえも強める可能性を高めます。だからこそ、「与えあい」の方向性こそ、皆で「幸せ」に向かっていく方向性です。

他人が何かを自分にしてくれて、そのお返しに何かをしたいと純粋に思うことはあると思いますが、これは「与え合い」の立場です。それに対して、相手に借りを作りたくないから、何かを返しておきたいと打算的に思うのであれば、これは「ギブ&テイク」の立場です。何故ならば、相手に何かしらの借りを作ることで自分が「損」をすることを恐れている気持ちから生まれる「自分のため」の態度だからです。

現代社会はあまりにも「ギブ&テイク」ばかりで、我々は「ギブ&テイク」が当然のことのように思わされてしまって、無意識に「与え合い」の機会を失っています。その傾向はどんどん強くなってしまい、夫婦間で「ギブ&テイク」が行われていることさえもよくあります。夫婦は「愛」を誓った二人であって、その二人が「ギブ&テイク」を行なっていることは間違っています。

人間同士で行う「交換」には、このような意味で「与え合い」と「ギブ&テイク」があることを知って頂き、「与え合い」を行い「ギブ&テイク」を行わないように心がけて頂けると幸いです。そのことで我々は「欲望」を弱め、「愛」を強め、皆で「幸せ」になっていくことができます。