ここでは「ワクワク」する感覚について説明していきます。

「自分のワクワクに従って生きていくべきだ」といった「アイデア」を信じている人はいます。しかし、「ワクワク」とは何なのか、ということを知っている人はとても少ないです。

自分が使っているものをよく分かっていないことは、とても危険なことです。何故ならば、それが本当に良いものなのか悪いものなのかを分からなければ、もしかすると本当は良くないものを使ってしまう可能性があるからです。だからこそ、この文章を通して「ワクワク」する感覚とは何なのかを理解して頂けると幸いです。

一般に「ワクワク」する感覚は2種類あり、それは「元気」か「欲望」です。「ワクワク」する感覚にはこの2種類があることを理解した上で、自分の中に「ワクワク」する感覚が起きた時に、どちらなのかを特定することはとても大事です。

我々は全ての「気持ち」を自分自身が起こしているものではなく、我々に起こる「気持ち」もあります。特に「ワクワク」する感覚とは、我々の心に我々が自分自身の「意志」で起こせるものではなくて、我々に起きるものです。実際、「ワクワクしよう」と思って「ワクワク」することは、基本的には人間にはできません。

では、一体どのような構造によって「ワクワク」する感覚が起きているかというと、それは目に見えない存在によって起こされています。その目に見えない存在とは、神々と悪魔です。神々は「光の気」を司り、我々に「光の気」を「持つ」ことを促すことによって「光の気持ち」をもたらしているのに対して、悪魔は「闇の気」を司り、我々に「闇の気」を「持つ」ことを促すことによって「闇の気持ち」をもたらしています。

「元気」の「ワクワク」は「光の気持ち」であって、「欲望」の「ワクワク」は「闇の気持ち」です。ですから、我々に「元気」の「ワクワク」が起きる場合は、神々がその「ワクワク」を起こしているのに対し、「欲望」の「ワクワク」が起きる場合は、悪魔がその「ワクワク」を起こしています。

神々も悪魔も、それぞれの目的を実現するために、我々を動かそうとし、我々の「気持ち」に関与しています。その一つの方法が、「ワクワク」する感覚を我々の中に起こすという方法です。「ワクワク」について、そのような構造があることを知って頂けると幸いです。

神々が我々を動かしたいと思う理由は、我々自身を「幸せ」にするためであって、この世界に生きる様々な命を「幸せ」にするためです。それに対して、悪魔が我々を動かしたいと思う理由は、その悪魔自身の「欲望」を実現させるためであって、悪魔は我々人間を「不幸」にするためです。

ですから、神々が起こす「元気」の「ワクワク」に従う場合は、我々は「幸せ」に近づくことができるのに対して、悪魔の起こす「欲望」の「ワクワク」に従っていく場合は我々は「不幸」になっていきます。だからこそ、「ワクワク」に従う場合は、「元気」の「ワクワク」に従い、「欲望」の「ワクワク」には従わないことが大事です。そのためには、「ワクワク」には2種類あることを理解して頂き、どちらがどういうものなのかを見分けられるようにすることが必要です。

「元気」の「ワクワク」と「欲望」の「ワクワク」の違いは、「元気」の方向性は本質的には「誰かのため」であるのに対して、「欲望」の「ワクワク」は本質的には「自分のため」であるという点です。「元気」の「ワクワク」は、何か自分が「利益」を得るということを考えている「ワクワク」ではなくて、なんとなく「ワクワク」するだけの感覚です。それに対して「欲望」の「ワクワク」は、自分が手に入れることができる「利益」に対して「ワクワク」しています。

例えば、新しい映画が公開されたときに、「元気」の「ワクワク」だとどのように感じるかというと、ただただ純粋にその映画を見たくて「ワクワク」する感覚です。それに対して「欲望」の「ワクワク」は、その映画を見れば「楽しさ」という「快楽」が得られるのではないか、ということを期待している「ワクワク」です。この二つの違いを的確に見分けることは実は少し難しいのですが、このような違いがあるということを理解することは大事です。

他の例だと、誰かと会うことに関して「ワクワク」する場合もあります。そのような時、「元気」の「ワクワク」は、ただただ相手と会うことを「ワクワク」している感覚です。それに対して、「欲望」の「ワクワク」は、その相手を通して自分が何らかの「利益」を得られることに対して「ワクワク」している感覚です。「元気」の「ワクワク」は、前提に「愛」があるからこそ、純粋に相手に会いたいという気持ちがあります。それに対して、「欲望」の「ワクワク」は、前提に「欲望」があるからこそ、その相手を通して自分が得られる「利益」のことを考えています。そういった違いが我々の心の中に感覚として起こります。

「元気」の「ワクワク」と「欲望」の「ワクワク」を的確に見分ける上で、両者が感覚的にどういう風に違うのかを覚えることも大事です。「元気」の「ワクワク」は、どこか「健全(純粋)」な感じがするのに対して、「欲望」の「ワクワク」はどこか「邪悪(欲がある)」な感じがします。しかし、「欲望」に対して「邪悪」な感じを感じない人に対しては、「欲望」の「ワクワク」を抱いていても「邪悪」な感じはしません。

両者の違いを感覚的に理解するためには、その両方を経験し、両方がどのように感覚的に違うのかを的確に理解する必要があります。しかし、我々人間には他人の心は見えませんから、自分自身でそれを明らかにするしかありません。このような構造がありますから、「元気」の「ワクワク」と「欲望」の「ワクワク」をいつも100%感覚的に見分けるということはとても難しいです。

「元気」の「ワクワク」と「欲望」の「ワクワク」を見分けるために、この両者がどのように違うのかを思考のレベルで理解し、感覚のレベルで理解して頂けると幸いです。その上で、自分が「ワクワク」を抱いた時には、いつも思考と感覚の両方の観点で、見分けられるように努力して頂けると幸いです。

どうしてこれがここまでとても難しいと書いてきたかというと、難しいとわかっていれば、「自分は絶対に見極められている」という「甘さ」に落ちづらくなるからです。

このホームページでは、「この気持ちは見分けることが難しい」と書いたことは一度もありません。では、どうしてここでは「難しい」というポイントを書いているかというと、「ワクワク」を見極めることは本当に難しいからです。それが難しいと分かっていれば、「自分は絶対に見極められる」という「甘さ」に堕ちづらくなります。だからこそ、この「判断」が難しいということは、よく理解して頂けると幸いです。

ただ、見分けやすい「ワクワク」も多くあります。明らかに「愛」を前提としている場合や、明らかに「欲望」を前提としている「ワクワク」はあるからです。例えば、大事な人に贈るプレゼント選びは「ワクワク」しやすいものですが、これは「元気(愛)」の「ワクワク」です。それに対して、自分への御褒美として自分に何かを買ってあげる時に感じる「ワクワク」は、「欲望」の「ワクワク」です。こういった場合は確実に見分けられるようにして頂き、「元気」の「ワクワク」を選び、「欲望」の「ワクワク」を選ばないよう心掛けて頂けると幸いです。                                                                        

「ワクワク」する感覚について、全てがいいものだと考えられやすい社会ですが、そうではないことを理解して頂けると幸いです。そして、この2種類を見分けながら、「元気」の「ワクワク」には同調し、「欲望」の「ワクワク」には同調しないようにして頂きながら生きていって頂けると、自分も他人も「幸せ」になっていくことができます。