「愛」についての解説録音はこちらです。文章よりも音声解説の方が分かりやすいと思いますので、聴いてみて頂けると幸いです。


ここでは「愛」について書いていきます。我々にとって「愛」はとても身近な気持ちなので、このページを通して理解を深めて頂けると幸いです。また、「愛」は「欲望」との対比を通して深く理解ができるものなので、『欲望について』の文章から先に読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/emotion/欲望/
 

【「愛」とは何か?】

「愛」は「相手を大事と思う気持ち」のことであって、だからこそ「相手のため」に何かをしたいと思う気持ちです。そして、「相手のため」に何かを行う実践方法は「問題解決・笑い・闘い・思いやり」の4つがあります。「相手を助けたい・相手を元気にしたい・相手を守りたい・相手を支えたい」という4つの気持ちのどれを抱くかによって、「愛」の実践のために「問題解決・笑い・闘い・思いやり」のどれを使うのかということが変わってきます。

例えば、元気が無い人がいたとして、その人に対して「助けたい」と思い、その人がどんな問題を抱えているのかを尋ねることは「問題解決」を使う「愛」。元気が無い人に対して「元気にしたい」と思い、面白いことを言うことは「笑い」を使う「愛」。元気が無い人に対して「守りたい」と思い、その人の元気を奪った誰かと闘おうとすることは「闘い」を使う「愛」。元気が無い人に対して「支えたい」と思い、その人自身の立場に自分自身もなってみるということは「思いやり」を使う「愛」です。

このような形で、「愛」には4種類の実践方法があります。また、「相手を大事に思う気持ち」から「相手と一緒にいたい」と思い、一緒にいることなどを通して相手に「愛」を伝えることもありますが、これは「愛」の実践のために「愛」自体を使う方向性です。先程の例だと、元気が無い人がいたとして、その人と一緒にいたり、手を握ったりすることを通して、ただただその相手のことを大事に思っていることを伝える方向性になります。自分のことを誰かが大事に思ってくれていることを知ることは自分の心を癒しますが、「愛」の実践のために「愛」を使うことはそのような形で相手の心を癒す力を持っています。

この説明が「愛」を基本感情とする「水の気持ち・火の気持ち・風の気持ち・土の気持ち」の本質です。「水の気持ち・火の気持ち・風の気持ち・土の気持ち」と言うと、特別なことのように感じられてしまう方もいると思いますが、実際は特別なことではなく、様々な「愛」に対して「水・火・風・金」という名前が付いているだけです。整理すると、以下のようになります。

水の気持ち:「愛」の実践のために「問題解決」を行なおうとする心=「向上心・問題解決の心」
火の気持ち1:「愛」の実践のために「笑い」を使おうとする心=「元気・笑いの心」
火の気持ち2:「愛」の実践のために「闘い」を使おうとする心=「闘いの心」
風の気持ち:「愛」の実践のために「思いやり」を使おうとする心=「優しさ」
金の気持ち:相手を大事に思う気持ちそのもの=「愛」そのもの

「愛」=「相手を大事に思う気持ち」は、様々な「愛」に関する気持ちに繋がっていきます。これは「欲望」=「自分が利益を求める気持ち」が様々な「欲望」に関する気持ちに繋がっていくことと同様の構造を持っています。


【「愛」と「喜び」の関係性】

「愛」は「相手を大事と思う気持ち」だからこそ、相手が「幸せ」だと自分も「幸せ」です。この「幸せ」な気持ちが「喜び」であって、「喜び」と「幸せ」は同じものです。「幸せ」についてはここに書いています。

http://junashikari.com/emotion/幸せ/

「愛」が「喜び」に繋がるということは、構造的には「欲望」が「快楽」に繋がることと似ています。ただ、「欲望」の立場は自分が「快楽」を得るために「欲望」を実践しますが、「愛」の立場は自分が「喜び」を得るために「愛」を実践するわけではありません。仮に、自分の「喜び」のために「愛」を実践しようとするならば、動機が「自分のため」なので「欲望」を選んでしまうことに繋がります。

ですから、「愛」の立場は元々「喜び」を目指しているわけではなく、結果的に「喜び」が生まれるだけだと理解して頂けると幸いです。


【「愛」と「苦悩」の関係性】

「愛」は「相手を大事と思う気持ち」だからこそ、相手が「不幸」だと自分も「苦悩」を感じます。「欲望」の立場も自分の「欲望」が実現できないと「苦悩」を感じます。そして、「欲望」の立場はそういった「苦悩」を終わらせるためにも他の「欲望」に手を伸ばしていきます。しかし、「愛」の立場は自分の「苦悩」を終わらせるために「愛」に手を伸ばしていくわけではありません。仮に自分の「苦悩」を終わらせるために「愛」を実践しようとするならば、「自分のため」を選ぶことになるので「欲望」を選ぶことになります。

例えば、愛する我が子が素晴らしい政治家になって社会を良くしたいという夢を抱いて生きているが故に苦しい生活状況を経験しているようなことがあったとして、親は「愛」が故に子供のそういった状況から「苦悩」を感じます。しかし、もしここで親が自分の「苦悩」を終わらせるために、子供に対して「そんな夢なんて捨てなさい」と言うのであれば、これは「愛」ではなく「支配欲」です。この場合の親は自分の「苦悩」を終わらせるために、つまり「自分のため」に、子供を「支配(命令)」しようとしているからです。このような「愛」→「苦悩」→「欲望」といった形で「苦悩」をきっかけに「愛」が「欲望」になっていくということはよくあります。

このような意味で、「愛」が自分の「喜び」のために「愛」を実践しているわけではないのと同様に、「愛」は自分の「苦悩」を終わらせるために「愛」を実践しているわけではないということを理解して頂けると幸いです。「愛」は如何なる時も決して「自分のため」ではなく「相手のため」を選び続けることだと理解して頂けると幸いです。


【「愛」は「愛」を広げることについて】

「愛」を実践することは「愛」を広げる力を持っています。例えば、本当に自分が困難な状況に直面している時に誰かが自分のことを本当の「愛」から支えてくれると、その相手に対する「愛」を抱くきっかけになります。このようにして、誰かが誰かに対して「愛」を実践することは、「愛」が新しく生まれるきっかけを作っていきます。そうすると、新しく生まれた「愛」によって、別の「愛」の実践が生まれていきます。そして、そこで「愛」を実践された人も「愛」を強くしていきます。

このようにして「愛」は「愛」を実践することで広がり、大きくなっていくものです。そして、「愛」が広がっていけば、皆がお互いに対して「愛」=「相手を大事と思う気持ち」を抱き、「相手のため」に何かをしたいと思い、お互いに支え合っていくことに繋がります。そして、お互いに支え合うからこそ、お互いを「幸せ」に導きやすく、相手が「幸せ」なことで自分も「喜び」=「幸せ」を感じていきます。

このような形で、「愛」は「愛」を広げ、「幸せ」を広げていく力を持ったものです。だからこそ、本当は皆が「愛」を選ぶべきですし、こういった「愛」の価値を知るべきです。


【最後に】

我々が生きている社会では、「愛」とは何なのかということを見失っています。だからこそ、「愛」の価値も分からなくなってしまっています。けれども、「愛」の価値や「欲望」の虚しさを理解すれば、絶対に「欲望」ではなく「愛」を選ぶことが正しいということを理解できます。

我々日本人は心の成り立ちのことをあまり考えないようになってしまったが故に、正解を見失っているだけです。だからこそ、心の成り立ちを理解することはとても大切なことですし、何よりも理解すべきことは「愛」の価値です。だからこそ、このページを通して「愛」の価値について理解して頂けると幸いです。

様々な「愛」はそれぞれ異なる価値を持っています。ですから、「愛」の価値を真に理解するためには、それぞれの「愛」がどういうものであるのかを理解する必要があります。また、「愛」の価値は「欲望」の虚しさを理解すればするほど、よく分かっていくものです。だからこそ、それぞれの「欲望」の内容について理解を深めることは、我々に「愛」の価値を間接的に教えてくれます。

このホームページで一貫して書いていることは、「愛」と「欲望」がどのようなものであって、どのように対立関係を持っているかということです。ですから、このホームページ全体が「愛」の価値を伝えるためのものであると理解して頂けると幸いです。