トータス松本は非常に重要な日本人男性歌手の一人です。彼の持っている意味合いを分かることができれば、その重要性を深く理解でき、そうすることで我々は彼の歌からより多くを学ぶことができます。

そういうことを促すために、様々な楽曲を取り上げながら、トータス松本について説明していきたいと思います。
 

【心理学的分析:トータス松本の表現する精神性】

トータス松本は、「元気」と「闘いの心」を表現する歌手です。「元気」とは「愛」が故に相手を笑顔にしようとする精神性であって、「闘いの心」とは「愛」が故に誰かを守ろうとする精神性です。

トータス松本の歌は、「元気」と「闘いの心」の本質を様々な形で教えてくれますし、両者が繋がっている精神性であることも、歌を通して教えてくれます。この点に、トータス松本の歌手としての大きな価値があります。

「元気」と「闘いの心」とは両方「火の気持ち」です。燃え盛る炎は何かを「温める」こともできれば、「焼き尽くす」こともできます。この「温める」方向性が「元気」であって、「焼き尽くす」方向性が「闘いの心」です。
 


例えば、ウルフルズの代表曲『ガッツだぜ!!』は、「元気」と「闘いの心」が繋がっていることを的確に表現しています。この歌は、自らの「元気」によって相手を「元気」にしようとする精神性もありますし、サムライのように相手を鼓舞する姿勢には「闘いの心」の精神性もあるからです。

こういうことが分かると、「ガッツだぜ!」が単純にノリのいい曲という理解を超え、「火の気持ち」を理解する上での大事な教科書の意味を持っていることが分かります。
 


「元気」の持っている一つの本質を理解できる代表曲は、ウルフルズの「ええねん!」です。タイトルに表現されている通り、この曲の精神性が絶対的な「肯定」である点が、「元気」の本質を理解する上でとても大事だからです。

「元気」の精神性を抱く前提には「肯定」があります。逆に、深刻な「問題」を抱えていたり、「敵」と闘わなければならない状況だと、人は「元気」になりづらいです。何故ならば、「問題」や「敵」という「肯定」できない存在を意識しているからです。

このような意味で、『ええねん』は「元気」に向かう上で必要な精神性とは「肯定」であることを教えてくれます。また、この歌のトータス松本の歌声自体の精神性は「闘いの心」で、相手の心を守るために「元気」を与えようとする精神性です。
 


「闘いの心」にフォーカスを当てている代表曲は、ウルフルズの『サムライソウル』です。この曲は、己の中の「敵」と「闘う」精神性の一つの立場を歌っている曲で、「闘い」を象徴する「サムライ」という言葉が度々使われていることが非常に見事です。

己を向上させることは、生きていく上でとても大事なことです。そういう向上を促す一つの精神性が、己の中の「敵」と「闘う」ことを目指す精神性であって、この歌は日本人男性が忘れつつある、一つの「闘いの心(サムライソウル)」の立場を教えてくれます。
 


『愛がなくちゃ』は「愛」を内に含む「元気」を我々に教えてくれる歌です。「愛」を内に含む「元気」があることはとても大事な「真実」なのですが、見落とされがちなことです。というのも、「愛」がなくても「元気」は抱くことができるからです。

しかし、「愛」を内に含まない「元気」は非常に「欲」に近く、「欲」の方へ向かってしまうと、精神的に「道」を誤りやすくなります。逆に、「愛」を内に含む「元気」は「欲」に向かいづらく、精神的に正しい「道」を進みやすいです。

この歌のトータス松本の歌声は、「愛」を内に含む「元気」の一つの立場を我々に教えてくれます。そういった歌声自体が、「元気」にも「愛がなくちゃ」ということを我々に教えてくれます。このような構造を理解できると、この歌が「元気」に関する非常に大事な教科書の意味を持っていることも理解できます。

トータス松本はウルフルズでの作品を中心に、非常にたくさんの重要な曲を残してくれています。ここで列挙したものは、そのごく一部です。どの楽曲も非常にストレートで、タイトルにその精神性が表れているものが多く、歌詞も繰り返しが多いこともあって、他の歌手の楽曲に比べても、深い意味を理解することがしやすいです。
 

【神学的分析:トータス松本の表現する精神性】

我々人間の名前にはその人自身の意味合いが書かれているもので、成功した歌手の芸名にもその人の意味合いが書かれているものですが、トータス松本の場合も彼自身の意味は名前に書かれています。

トータス松本の本名は「松本敦」ですが、「敦(あつし)」という名前は彼が「火の気持ち」の強い「火の人」であることを示しています。「敦」という漢字は、読みの通り「情があつい」といった意味を持ちますし、「闘いの心」の意味とも繋がる「取り締まる・(間違っているものを)正す」といった意味さえもある漢字だからです。つまり、「火の気持ち」である「元気」と「闘いの心」をよく象徴している名前です。

そして、「松本」とは「松」の「本」を意味しますが、「松」とは「火の気」を強く受け取りながら生きている植物です。植物のデザインにはその植物の意味合いが元々込められているものですが、松ぼっくりのデザインは燃える「火」のようなデザインですし、山火事の際に繁殖する松もある程に、松という木は「火」との相性が良いです。そのような意味で、「松」の「本(大もと)」は「火の気」です。

つまり、「松本敦」という名字と名前が示すことは「火の気」という点です。そして、実際トータス松本は、ほとんどいつも「火の気持ち」を歌ってきました。彼は元々そういう「火の気持ち」を歌うために生まれてきているからこそ、このような一致が生まれます。

次に、芸名の「トータス松本」についてですが、「トータス」は「亀」を意味します。ただ、トータス松本が「亀の気」で生きている人間かというとそうではなく「狼」に近いです。「狼」とは「闘いの心」の動物で、トータス松本は「闘いの心」をよく歌っているからです。

 

「ウルフルズ」というグループ名は「ソウルフル」が由来になっていて、本人達は「狼(ウルフ)」の意味は込めていないということなのですが、実際は「狼」のような「ソウルフル」を表現し続けてきました。こういった構造も偶然ではありません。

話は戻りますが、では何故トータス松本が「トータス」という芸名を持っているかというと、逆さ読みにすると「スタート」だからです。実際、彼の生み出してきた歌は、「火の気持ち」を学ぶ上で最初に通る歌として非常に良い教科書の意味を持っています。楽曲は非常に分かりやすく、それでいて、とても深い意味を持っているからです。

整理すると、「松本敦」という本名は「火の気」を意味し、「トータス」は「スタート」を意味し、人々が「火の気持ち」を学び始める「スタート」としての歌手がトータス松本です。ここまでの説明を理解して頂けたら、非常に見事な構造を持った本名と芸名とグループ名だと分かって頂けると思います。
 

・トータス松本が繋がっている神様について

トータス松本は太陽神様の使いとしての歌手です。彼は太陽神様と「縁」で繋がっていて、その「縁」を通して、太陽神様からの「火の気」をもらい、歌う時に「気+合い」を入れることによって、強く「気+持ち」抱いたり、作詞作曲をする際に「アイデア」に関する「気+付き(思い+付き)」を太陽神様から得ています。

ですから、太陽神様はトータス松本の作詞作曲に強く関与してきたのですが、太陽神様はトータス松本が太陽神様の使いであることを歌詞でも示そうともしてきました。例えば『SUN SUN SUN ’95』などは、太陽のことを直接的に表現している楽曲です。
 


また、トータス松本が作った曲ではありませんが、坂本九の『明日があるさ』をカバーをしたことにも大きな意味があります。「明日」は「明くる日(太陽)」を意味するからです。

太陽系において「火の気」の大本は太陽です。太陽は燃え盛る炎の塊であって、いつも我々にはその「火の気」が降り注いでいます。昔の人間はその「火の気」こそ、大本の「気」だという意味を込めて「元気」という言葉を作りました。

つまり、太陽は我々に「元気(火の気)」を与えています。そして、トータス松本の表現する歌の精神性が太陽を浴びている時の我々の感覚と矛盾しない精神性であることは、経験的に理解して頂けると思います。こういった経験的な分析からも、トータス松本が太陽神様の使いであることは言えます。

他にも、様々な点でトータス松本が太陽神様の使いであることは分析できるのですが、説明が長くなるのでこの辺で止めさせて下さい。
 

【最後に】

繰り返しになりますが、「火の気持ち」がどういう「気持ち」なのかを学ぶ上で、トータス松本の歌はあまりにも素晴らしい「火の気(松本敦)」の「スタート(トータス)」地点です。

世の中のシンプルで分かりやすい曲の中には、精神性が非常に乏しいものも多いのですが、トータス松本の表現はとても深みがあります。その深みを理解してこそ、トータス松本の残してきた歌はこれから良い形で活かされていくので、将来的に彼の様々な重要な歌について、解説を作っていきたいと思っています。