自分は普通の人のように生きていくことが極めて難しい身体になってしまったことを日々感じます。「気」に対する感度が高過ぎるが故に、普通の人なら何も感じないことがあまりにも問題に感じられるからです。これは「綺麗好き」や「潔癖症」とは全く異なることです。

例えば、自分がメインで「気」を感じている器官は鼻なので、異常なまでに鼻が良く、だからこそ、人間がいる場所に行くと、人間臭くてたまりません。例えば、スーパーなどに行くと、確実に「邪気」をたくさん持っている人はいて、かなり大変です。

ただ臭いだけなら耐えられるのですが、呼吸を通して「邪気」を吸っていることが喉や肺などで直に分かります。つまり、喉や肺などに「邪気」がくっついていることが感覚的によく分かりますし、他にも目などに「邪気」が付くことさえも直に感じています。これは妄想などではなく、物を食べたら味がするのと同じような感覚です。

例えば、飲食店で隣のテーブルに座った人が「邪気」をかなり持っている場合、やはりその人も呼吸によって身体の中の「邪気」を体外に出していますから、その「邪気」が自分の身体の中にも入り、溜まっていくことを感じます。そういうことがあると、翌日までその隣のテーブルの客の持っていた「邪気」の臭いが自分の身体からしたりします。

もちろん、そういう時は咳などをすることによって肺を浄化したり、何かを飲んだり食べたりすることで喉や食道を浄化するのですが、飲食による浄化は排泄が行われるまでは完了し切れないので、非常に厄介です。

これだけ敏感になると、日常生活における「浄化」の生活習慣は欠かすことができず、そういうことを行なっているだけで随分多くの時間を割くことになります。12時間毎にシャワーか風呂に入ることは欠かせず、スケジュールの都合上20時間シャワーも風呂も使えない時があると、身体のどこかに病気が生まれつつあるのを直に感じます。

「病気」が「病の気」と書くのは、「邪気」=「病の気」が溜まることによって、「病気」が発生するからです。だからこそ、「気」に対する感度が高いと、自分の身体のどこが「病気」になりつつあるのかが感覚的に分かることが多くなります。

意識していてもしていなくても、我々は皆「気」に影響を受けながら生きています。「気」に対する感度の高さのことを「霊感」と言いますが、「霊感」が高ければ高い程、目に見えざる存在と強く働きやすくなる一方、日々の浄化を人一倍しないといけなくなります。このような意味で、「霊感」の高さは諸刃の剣です。「霊感」の高さは我々に「才能」を与える一方、心身の「病気」のリスクを上げます。

自分は自分がやるべきことをやるためにはこの「霊感」の高さは非常に必要です。この「霊感」のおかげで、例えば、一本一本の屋久杉の魂の個性がとてつもなく分かるようになりましたし、自然に宿る「気」を強く感じるからこそ、それを表現のレベルに変換しやすくなっています。

「霊感」が高い人は日常生活における浄化の習慣を妥協してはなりません。「霊感」が高い人は病気になりやすく、世の中で普通とされる生活習慣を実践しているだけだと非常に危険です。「潔癖症」などと思われてしまうこともあると思いますが、そういったことを問題と考えず、睡眠、風呂、運動、日光浴、食事、水分補給、掃除、洗濯といった基本を徹底することが何よりも大事です。どこか一点だけでも甘いと、そこが手遅れの事態を引き起こすことにも繋がりかねません。

また、「霊感」が高い人程「ストレス」を抱えないように生きねばなりません。「ストレス」は「邪気」が身体に溜まることを促しますから、「霊感」が高い人が致命的な「ストレス」を抱えると「病気」の発生の可能性が極めて高くなるからです。

ただ、人間は寝たり風呂に入ったり運動をすることによって、気分を変えることができるので、「ストレス」を抱えそうな時程、日常の浄化の習慣を徹底することが有効です。

あと、「霊感」が高い人が悪い生活習慣を実践していると、浄化の習慣を心がけていても病気が生まれることがあります。例えば、毎日何杯も酒を飲むような生活をしていると危険です。

重要な方ほど「邪気」に狙われます。最近も「才能」のあるとても重要な方が病気を患ってしまったことをFacebookで見かけ、非常に残念に思いましたし、心配しています。

また、別の「才能」のある方はほぼ毎日少なくない量の酒を飲んでいるので、病気が生まれてしまわないか心配しています。そういう方には、「酒は毎日飲むよりも祝い事の時位しか飲まない方が美味い」と伝えたいとよく思います。

参考にして頂けると幸いです。

(2020/11/29のFacebookより)