「気」のことを感覚的に理解する上で、参考になるのが「怒り」の感覚です。人は強く「怒り」に同調すると、自分の中で何かが「沸き立つ」「煮えくり返る」感覚を感じます。その「沸き立つ」「煮えくり返る」ことを行なっているのが「気」です。この感覚を通して、人は「気」の存在を感覚的に理解できます。

強い「怒り」に襲われると、普段は絶対にしないようなことをしたくなったりします。相手を怒鳴りたくなったり、酷いことを言いたくなったり、という形で、我々はもはや「怒り」を使っているのではなくて、「怒り」に支配されます。

どうして、「怒り」はそのような力を持っているかというと、「怒り」という「気持ち(気を持つ)」は、強く「気合い(気が合わさる)」が入りやすいものだからです。強く「気」が「合わさる」からこそ、我々は「沸き立つ」「煮えくり返る」感覚を感じられます。そして、多くの「気」が「合わさる」ほど、我々はその「気」を「持つ」ことになるので、自分の人格をその「気持ち」に乗っ取られてしまいます。

 

「怒り」のこういった性質を視覚的に表現しているのが、『もののけ姫』のタタリ神です。タタリ神は元々はイノシシだったのですが、人間に対する「怒り」を強く抱いたが故に、「怒りの気」に自分自身を支配されてしまっている存在として描かれています。

『もののけ姫』に登場するシャーマンはアシタカに言います。「かのシシははるか西の土地からやって来た。深傷の毒に気触れ身体はくさり走り来る内に呪いを集めタタリ神になってしまったのだ。」ここで言われる「呪い」が「闇の気」であり「怒りの気」です。宮崎駿のアニメーションは本当にいつも本質を捉えています。

また、「怒りがふつふつと沸き立つ」「腹わたが煮えくり返る」という表現も本質を深く捉えています。「ふつふつと」という言葉も「煮えくり返る」という言葉も「火」が「水」を蒸発させることを意味する表現だからです。

「水の気持ち(問題解決の心)」は「冷静さ」を特徴とするのに対して、「火の気持ち(闘いの心)」は「熱さ」を特徴とします。ですから、「怒りがふつふつと沸き立つ」「腹わたが煮えくり返る」という表現は「怒り(火の気持ち)」が「冷静さ(水の気持ち)」を見失わせるということを意味します。宮崎駿のアニメーションも大変参考になりますが、昔の日本人が残してくれた日本語も本当に頼りになります。

ちなみに、「怒り」には2種類あります。「誰かのため」の「怒り」=「闘いの心(火の気持ち)」と「自分のため」の「怒り」です。どちらの「怒り」にしても、「火」の印象はあります。整理すると、

「誰かのため」の「怒り」=「光の火」
「自分のため」の「怒り」=「闇の火」

です。「火」は「火種」さえあれば生まれます。現代でも争いなどの原因を「火種」と言いますが、この言葉も本質を捉えています。争いは基本的に誰かの「怒り」がきっかけとなるからです。

多くの人は「怒り」を抱いたことがあると思います。これからもそういうことはあるかもしれません。「怒り」を抱くことを勧めているわけではありませんが、「怒り」の感覚は「気」のことを感覚的に理解する上でとても参考になるので、この発想を使って頂けると幸いです。