映画『モービウス』は「光のための闇」と「闇のための闇」の対立軸を非常に分かりやすく描いた優れた作品です。このページでは、この映画が持つ本質的意味を簡潔に書きたいと思います。映画を御覧になった後に読んでみて頂けると幸いです。予告編と冒頭10分の映像を貼り付けておきます。
 

 

【「闇」の力の可能性と危険性】

この映画で描かれるコウモリの姿に変身した状態は、人間離れした「闇」の力を強く実践できる状態を象徴しています。この物語で対立軸として描かれるのは、その力を「善」のために使うのか、「悪」のために使うのかという点です。

この映画の序盤、主人公マイケルが初めて変身した時、多くの人を殺してしまいます。このことは「闇のための闇」を意味する出来事ですし、「悪」のために「闇」の力を行使したことを意味します。

コウモリ化することができる「能力」は非常に並外れた力を与えますが、その代償として、人間の血を「欲望」する「呪い」も与えます。そして、その「欲望」に同調してしまうなら、「悪」という「間違い」を犯してしまいます。

この「能力」と「呪い」の観点は、「闇」の力を理解する上で大変重要な点です。というのも、確かに「闇」の力は何かを実践する上で役立つ「能力」となることもありますが、「闇」の力は基本的に人の道を誤らせる「呪い」だからです。

「闇」の大きな力を持つということは、強い「闇の気持ち」を抱くということであり、「欲望」のような「闇の気持ち」が非常に強く迫ってきた時に、その「欲望」に打ち勝つことは容易ではありません。だからこそ、大きな「闇」の力を持つということは、ほとんどの場合「呪い」となります。

 

【「光のための闇」と「闇のための闇」】

だからこそ、「闇」の力を「善」のために使うことを目指す人間は、とりわけ、自分の持つ力に対して慎重であるべきで、マイケルの姿は我々に「正しい道」を教えますし、悪役のルシアンの姿は我々に「間違った道」を教えます。

マイケルは「闇」の力によって「間違い」を犯さぬよう、血を「欲望」する心に負けぬように自分自身を抑え続けますし、その「力」の本質を問い続けます。また、自身が「闇」の力に飲み込まれ「悪」に堕ちてしまった時に、「他者のため」に自分自身を殺す覚悟もあります。つまり、マイケルは「善意」が故に「正しさ」を目指し、「間違い」を防ごうとします。

それに対して、ルシアンは「闇」の力によって「間違い」を犯すことを防がないが故に、血を「欲望」する心に簡単に同調し続けますし、その「力」に酔っています。また、自身が「闇」の力に飲み込まれ「悪」に堕ちようと、「自分のため」に生きようとします。つまり、ルシアンは「善意」の欠如が故に「正しさ」を目指さず、「間違い」を犯し続けます。

人間が「正しさ」を目指す背景には、「他者のため」を考える「愛」や「善意」があります。逆に、「愛」や「善意」が足りなければ、「正しさ」を目指そうとする姿勢は生まれません。

そして、大きな「力」を持つ人間であればあるほど、こういった「正しさ」を求める心が重要になってきます。何故ならば、大きな「力」はその影響力が非常に大きいからです。

マイケルとルシアンの対立軸は、こういった本質的な意味を持ちますし、こういったことを意識化してこの映画と向き合うならば、我々は大事な教訓を得ることができます。
 

【二人にとっての大事な人の影響】

この二人に対して、大きな影響を与えている人物達の意味を知ることも大変重要です。

マルティーヌの存在はマイケルが「闇のための闇」に堕ちることを強く防いでいます。というのも、マイケルはマルティーヌのことを「愛」しており、その「愛」が心の「光」を保つ要因となっているからです。だからこそ、マイケルはマルティーヌを守ろうとします。

それに対して、ルシアンはニコラスの存在によっても「闇のための闇」に堕ちることを自ら選んでしまっています。というのも、ルシアンはニコラスのことを「嫌悪」しており、その「嫌悪」が心の「闇」を強める要因となっているからです。だからこそ、ルシアンはニコラスを攻撃します。

大事なことは、マルティーヌもニコラスも非常に献身的な大変素晴らしい人物であるということです。しかし、そういった素晴らしい人物を通しても、マイケルとルシアンの心の動き方は相反します。

大変素晴らしい人物は、我々が心の「光」を保つことを大きく促す存在です。何故ならば、素晴らしい人物は我々が「愛」を抱くことを促すからです。

しかし、マイケルのように、そういった恩恵をいい形で受け取れる人もいれば、ルシアンのように、そういった恩恵さえも毒としてしまいます。

ルシアンは自分が「自分のため」に大事にされたい「欲望」を抱えているからこそ、マーカスがルシアンよりもマイケルを大事にしていると感じることで「嫌悪」しています。

逆に、マイケルは自分が「自分のため」に大事にされたい「欲望」を抱えていないからこそ、ルシアンのような「嫌悪」を抱くことはありません。

このような意味でも、この物語における「他者のため」と「自分のため」という対立軸を意識してこの映画と向き合うことは大変大事です。
 

【最後に】

『ハウルの動く城』のように、今まで様々な作品で「光のための闇」をテーマにした作品が生まれてきましたが、この作品程分かりやすく「光のための闇」と「闇のための闇」の対立軸が表現されている作品は少ないです。この点に、この映画の価値はあります。

また、この映画は『バットマン』のようにコウモリをテーマとした作品でもあり、『アンダーワールド』のようにドラキュラをテーマとした作品でもあり、『ヴェノム』のように「光のための闇」をテーマとした作品でもあります。

ですから、今までのバットマンシリーズやドラキュラ映画や『ヴェノム』などと比較すると、よりこの映画の意味は見えてくるようになります。

ですので、是非そのような比較を通しても、この映画の意味を理解していくと、この映画を通して我々が得ることができる教訓にはより重みが出てくるのかもしれません。