「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へ導かん」

『風の谷のナウシカ』の中で登場する、この言い伝えの意味を深く知る上で大事なことは色の意味を理解することです。それは、色と精神の関係性を理解することでもあり、ナウシカがこの色に包まれることの必然性を理解することでもあります。

「青」は「水」の色であって、「水」が「浄化」を象徴するものであるように、「水の気持ち」は「問題解決の心」です。そういった「問題解決の心」は「問い」を立てる精神性へと繋がり、「問い」を立てるからこそ物事の本質を知ることを促します。

ナウシカは様々な「愛」を使っている人物ですが、彼女は「水の気持ち」によって腐海の森に通い、腐海の本質を知ります。だからこそ、彼女は人間と腐海がどのように生きていくべきなのかという「道」を見つけつつあります。逆に、クシャナやペジテは腐海の本質を知らないからこそ、腐海を「敵」と考え、焼き払うことを目指し、「道」を誤りつつあります。

このような意味で、物事の意味を知ることが、我々にとっての最善の「道」を照らし出します。この点に「水の気持ち」の大きな価値があり、「青」という色が象徴することでもあります。

つまり、「失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へ導かん」というのは、まさに彼らが向かうべき根本的な「問題解決」であり、それを促すのが「水(青)の気持ち」=「問題解決の心」です。

王蟲の目の色も我々に「青」と「赤」の意味を教えてくれます。目が「青」の時の王蟲は「冷静」な「問題解決の心(水の気持ち)」を抱いているのに対して、目が「赤」の時の王蟲は「闘いの心(火の気持ち)」を抱いています。

また、王蟲の出す「金色」の糸は、王蟲の「愛」そのものを象徴するものであり、「王蟲の怒りは大地の怒り」という言葉が象徴するように、王蟲は大地の代弁者なので、王蟲の「愛」は大地の「愛」でもあります。

そのような意味で、「金色の野に降り立つべし」という言葉は大地からの「寵愛」を受けるということでもあり、大地からの支えを受け取るということでもあります。大地からの支えがあるからこそ、「失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へ導かん」という「問題解決」を実現しやすくなるということでもあります。

大地は我々人間に最善の「道」を歩ませたいと思うが故に、人間を最善の「道」に導こうとする人間を強く支えます。そして、最善の「道」を明らかにできる人間とは、「水の気持ち」を良い形で使うことのできる人間であり、そのような意味で「青き衣をまとった人間」です。

アシタカも「青き衣をまとった人間」であり、森と人間の「対立」という「問題」を「解決」し、「失われし大地との絆を結ぶ」ことを促している存在です。このような意味で、ナウシカとアシタカの共通する点を理解することは大事ですし、宮崎駿作品が「水の気持ち」の価値を伝え続けていることを理解することも大事です

残念ながら、我々の生きている現実の世界でも、人間と大地の絆は失われつつあります。どうしてそのような状況に直面しているかというと、『風の谷のナウシカ』の世界と同様に、我々は自然の本当の意味や価値を見失っているからです。だからこそ、自然の本当の意味や価値を我々は理解していく必要があり、それを促すのが「水の気持ち」です。

このような意味で『風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』を通して、「水の気持ち」の本質と可能性を理解して頂き、現実の世界に我々が活かすことができれば、我々は「失われし大地との絆を結ぶ」ことができるかもしれません。