明けましておめでとうございます。

新しい年の始まりですので、このページでは、2020年の振り返りと2021年の予定を簡潔に書いていきたいと思います。詳細な内容について解説をしていると、膨大な内容になってしまうので、非常に簡単な形で書いていきたいと思います。ただ、その前に何故自分はこのように生きているのかを書くべきだと思います。


【何故自分はこのように生きているのか?】

この国がこのまま進んでいっても未来はあまり明るくありません。何故ならば、日本の精神性は年々下がっていく一方だからです。そういう悪い流れを止める上で大事なことは、生きていく上で大事な知識を人々が学んでいくことであって、そういうことを将来的に促せるようにするために、今は地道に修行と研究に励んでいます。

つまり、自分としては我々日本人が分かるべきことを伝えられるようにするために、自分自身が誰よりも大事なことについて学ぶべきだと思っています。このような意味で、今年も大事なことを日本人に伝えていくための準備を地道に進めていくつもりです。

我々日本人が分かるべき大事なことは宮崎駿作品などの素晴らしい作品などに表現されている真実です。だからこそ、自分としては重要なアート作品の持っている意味をひたすら分析していますし、自分自身が他の誰にも作ることのできない重要な作品を作ることができるようにするための修行を行なっています。

また、我々日本人が分かるべきことは新しいことなどではなく、昔の日本人が何を知っていたのかを知ることです。例えば、「八百万の神」という言葉が象徴するように、昔の日本人は万物には神々の「気」が宿っていることを感覚的によく分かっていました。そういったことがどのようなものであるのかを分かるために、滝行や沐浴や登山などを通して、自然に宿る「気」を感じるための修行をしています。

このスタンスで去年も全力を尽くしてきましたし、今年も全力を尽くしていきます。以下に、その具体的内容を書いていきたいと思います。
 

【2020年の振り返り】

2020年は約9ヶ月間を富士山周辺で、約3ヶ月間を屋久島周辺で過ごしていました。この二つの土地で、研究と修行に励んでいた形になります。

研究は様々なアート表現の分析を膨大にやってきましたが、歴史や政治といった、今まであまり研究していなかった事柄についても研究してきた一年でした。修行は演奏修行や登山修行や沐浴修行など、様々なことを行なっていました。以下、[研究]と[修行]に分けて大雑把に説明します。


[研究内容]

・アート分析

今までもずっと一貫してやってきたことですが、様々な歌手がどのような表現者なのか、様々な映画やアニメがどのような意味を持った作品なのかということについて、ひたすら分析を続けてきました。

例えば、アメリカの大巨匠としての映画監督であるクリント・イーストウッドの作品や日本の大巨匠である山田洋次の作品分析といったところから、今現在流行っている『鬼滅の刃』やNiziUの分析、国内国外問わず新人からベテランまで様々な役者の分析など、膨大な作品と表現者などについて分析をしてきました。そのことを通して分かってきたことも膨大で、いつかテーマごとに分けて解説を書いていきたいと思っています。


・歴史分析

昨年とりわけ研究していたのは、20世紀の戦争の歴史です。膨大なドキュメンタリーなどを毎日観ながら、それらのドキュメンタリーを分析し、20世記の歴史の持つ本質的意味を明らかにする研究をしていました。もちろん、こういった研究は果てしない研究なので、今の自分は20世紀の歴史の持つ意味を少ししか分かっていないと思いますが、それでも非常に大事なことを理解できたと思っています。

20世紀の歴史において、やはり非常に大きな影響を与えたのがヒトラーで、だからこそ、ヒトラー分析を多く行なっていました。彼は非常に力のある悪魔の使いだったわけですが、何故彼があれほどまでに悪魔懸かりを実現できたのかということや、悪魔はヒトラーを通して何を行いたかったのかなどを分析していました。

通常の歴史研究は心理学・気学・神学の観点での分析を行ないませんが、そういった観点での分析を通して、非常に大事なことは見えてきます。ですから、今後も歴史についての分析は続けていくつもりです。


・政治分析

歴史分析と政治分析は非常に重なる部分が多いのですが、政治分析も去年から少しずつ始めました。ただ、これはまだ始まったばかりで、これから頑張らなければならないことだと思っています。去年最も気に留めていたのはアメリカ大統領選挙で、コロナウイルスの影響がどのように大統領選挙に影響を与えているのかなどは非常に頻繁にチェックしていました。


・屋久島分析

昨年度々書いてきたことですが、屋久島は日本において非常に大事な場所です。というのも、屋久島を通して日本人は目に見えざる力のことを少しでも体感することができるからです。だからこそ、自分としては屋久島がどのような意味を持つ場所なのかということを、現地に行って分析し続けてきました。

とりわけ昨年分析していたのは、川と杉です。屋久島は膨大な川が流れる島であって、それぞれの川は全く異なる個性を持っています。そういった異なる個性を持つ様々な川で沐浴をしたり瞑想をしたりすることを通して、それぞれの川の神様の違いを分析していました。また、屋久杉と言われる樹齢1000年以上の杉は非常に神に近い存在であって、彼らがどのような存在であるのかについて、一本一本の杉と向き合いながら分析していました。
 

[修行内容]

・演奏修行

度々書いてきたことですが、自分が行なっている演奏修行とは、一般的な楽器練習などと異なり、ほとんど儀式のような意味を持っています。強い「気合」を入れると、大量の「気」が「合わさる」ことが実現し、そのことを通して、自分に目に見えざる存在が憑依(チャンネリング)した状態となります。そういう時、自分の体は演奏をしているけれども、自分が演奏している感覚ではなくなります。

その状態で、目に見えぬ存在がどのような「気持ち」を抱き、どのような音を出そうとしているのかを観察しています。また、目に見えざる存在の精神レベルや技術レベルに追いついていなければ、良いチャンネリングは実現しないので、彼らの心に自分が同調するように心がける修行となります。

技術レベルは全く足りていないのですが、こういう修行経験を通して、彼らの精神性について理解を深めることができたのは確かです。神々と音楽を演奏するという行為は、その音を聴き、尚且つ、その音をどのように捉えられるのかも「気」で教えられる行為なので、非常に複雑な形で新たな精神性を学ぶことが実現します。
 

・肉体的な修行

例えば、非常に苦しい登山であれば、心に「強さ」を与えるための修行として役立ちますが、正直、それ程までに辛い登山はしていないので、心に「強さ」を与えるような登山修行はなかったと思います。ただ、非常に頻繁に自宅の裏にある山を走ることで追い込む修行はしていました。しかし、こういった肉体的な修行は肉体的には苦悩であっても、精神的にはあまり苦しくないので、心の「強さ」を与える修行としての意味はなかったと思います。

様々な宗教などで行われている修行の多くは肉体的な修行を通した精神の修行ですが、様々な地獄のような修行を乗り越えてきた自分にとって、肉体的な修行は大した修行にならないことを感じています。ただ、もちろん、生きるか死ぬかのギリギリのラインまで追い込むような修行は修行として成り立つと思いますが、そういった修行を通して実際に死んでしまったり、体に障害を抱えてしまうのは、非常に大きな問題となってしまうので、肉体的に追い込み過ぎるような修行は避けなければならないと思っています。例えば、冬の富士登山やヒマラヤ登山などはおそらく非常に良い修行になりますが、リスクが大きいために今はしたいとは思いません。

登山修行による修行が難しいとは言っても、今年、山の中で2回程、道に迷い夜の暗闇をさまよう修行をしたことはあり、これは「恐怖」や「不安」に打ち勝つための非常に良い修行だったと思っています。その2回は両方とも新月の日で、月明かりも何もないが故に、自分の手足さえも見えない程の暗闇となり、そういった経験をあまりしてこなかった自分には良い修行となりました。例えば、出口に向かって歩いているつもりなのに、一度通った道に戻ってきた時の感覚などを経験できたことは大変良かったと思っており、山で遭難した人間がパニックに陥る原因が分かったように思っています。


・滝行修行と沐浴修行

非常に頻繁に滝行や沐浴を通した修行も行なっていましたが、この修行方法が大変効果的であることを去年は実感した年でした。何故ならば、やはり川に入るという経験はその川の神様を感じるということを実現する上で非常に有効な方法であることを確信したからです。特に、川が冷たい時期程「気合」が入りやすく、その「気合」によって、川からの大量の「気」が「合わさる」ことを実感しました。

ただ、これも危険な登山修行を避けることと同じですが、真冬の川で滝行や沐浴をしたいとは今は思いません。というのも、確かに修行としては非常に効果を発揮すると思いますが、体を壊すリスクが高まるからです。ただ、いつかそういう修行を経験することは大事だと思っています。

また、昨年は沢登り修行を始めることを随分検討していましたが、沢登りは非常に危険と隣り合わせの行為でもあり、結局去年は手を出しませんでした。しかし、いつかは沢登りを実践していかなければならないと思っています。何故ならば、沢登りをしなければ行くことのできない滝などの聖域は少なくないからです。


・剣術修行

一時期、剣術修行を行なっていましたが、これは非常に意義のあることだったと思っています。というのも、ヨガのような観点で、心と体の関係性を理解する意味でも、心と体の良い関係性を構築する意味でも、「気」のことを学ぶ意味でも、剣術修行は効果的であることを実感したからです。

例えば、人間の体の中で最も大量の「気」をもらいやすいのは、やはり丹田なのですが、そこに集まった「気」を使って剣を振るということで、一瞬にして全身がその「気」に満ちるといったことが分かりました。技術的にはあまりにも未熟ですが、宮本武蔵のような伝説的な剣士がどのように神懸かりを実現していたのかを垣間見ることができたことは、宮本武蔵研究を進めていく上で非常に大事なことだったと思っています。


【今年の予定】

上記の修行と研究は今年も続いていきます。ただ、これらの修行と研究は非常に膨大なので、どれかに集中している時は他の修行や研究がしづらい状況になることは明らかで、自分としては、その時にすべきことに集中しながら生きていくつもりです。今年一年はそんな日々が続いていくと思いますが、一年後には認識の上でも精神的な意味でも、より良い状態を実現したく思っています。

また、上にはあまり書きませんでしたが、様々な表現も作っていくつもりです。去年も色々な記録映像を残すようにはしていましたが、今年もそういうことを実現していくつもりです。とりわけ今年の前半に重要なのは屋久島に関する音楽映像作品を作ることは重要だと思っています。屋久島がどのような精神性を持つ島であるのかについて、様々な作品を記録映像のように溜めていくことは大事だと思っていますし、昔行なっていたようなナレーション付きの映像も作ることができれば、と思っています。

そういう意味では、今年も屋久島は何度か行くべきだと思っています。ただ、これは自分の経済状況の問題や、国内のコロナの感染状況にもよることなので、今は確かなことは言えません。次に屋久島に行くとしたら、屋久島の岳研究(登山修行)が非常に重要になってくると思いますし、今まで行なってきた川と杉という要素の研究も続けていくつもりです。

屋久島研究の主軸は、川・岳・杉だと思っています。森という要素も非常に重要ですが、それは岳と杉を研究していると自ずと研究する要素になると思います。そういった重要要素を研究していくことで、誰よりも屋久島の本質は分かっていくと思いますし、屋久島の「気」や屋久島の神々について、誰よりも理解を深めた人間になることを目標としています。

また、今年は屋久島以外の日本の自然についても分析を始めると思っています。富士山はもちろんのこと、日本の中で聖地とされている山や川や滝を訪れ、実際にそこの「気」を分析し、同時にそこを撮影したり、その精神性を音楽に変換することなどを通して、そういった聖地の持っている意味を言葉と表現を通して伝えるようなものを残していきたく思っています。

また、基本的には富士山周辺で山籠り修行をしていると思いますが、そういう時期は非常に地道な研究と修行に励みながら、自分の認識や精神や表現レベルを上げることに全力を尽くしたいと思っています。

修行について、去年無かった要素で今年加わる要素は色々あると思うのですが、その一つが歌です。自分が歌うことの修行も行なっていくつもりですし、他者が歌うための曲を作る修行も行なっていくつもりです。自分が歌うことについての修行は今年になってから始めており、普通ではない歌うことに関する修行を通して、「歌うという行為とは何なのか?」を分析しています。

また、他者が歌うための曲を作ることに関しては、既に共に働く歌手とは約束をしており、その歌手が歌うのにふさわしい歌をこれから作っていくつもりです。そういった経験を積み重ねていくことで、「歌作りとは何なのか?」ということについて分析をしていくつもりです。

歌という方法は、我々が「気持ち」のことを学んでいく上で非常に優れた方法です。別の言い方をすると、何らかの歌を通して学んだ「気持ち」を使いながら、我々は日々を生きています。このことは言い換えると、我々がどのような「気」と共に働きながら生きていくのかについて、歌は非常に大きな影響を与えています。

ですから、歌という存在は心のことを研究している自分にとって非常に重要な存在であって、避けては通れぬ壁です。ようやく、その壁と向き合う時期が来たと思っています。


※最後に、去年作成した音楽映像に解説を加えて貼り付けておきます。今年は様々な映像音楽作品を作っていくと思いますが、これらよりもさらにレベルの高いものを作っていきたいところです。


・龍と鳳凰

この作品は自分のアーティストとしての方向性を示す意味でも、「龍の気持ち」と「鳳凰の気持ち」の重なり合う部分を伝える意味でも、作成できて良かったと思っています。


・屋久杉ハープ

この楽器は去年職人の友人と共に自作したものですが、できれば今年も素晴らしい自作楽器を作ることは実現したいと思っています。とりわけ作るべきに感じている楽器は、屋久杉で作ったヴァイオリンやチェロのような擦弦楽器(弦を弓で擦る楽器)です。


・チェロの演奏動画

チェロは極めて重要な楽器であって、去年は地道な練習をしていました。まだ技術的に足りない要素が多いですが、少しでも上達できて良かったと思っています。今年はヴァイオリンが非常に大きな課題だと思っていますが、その他の様々な重要な楽器も含めて、地道な修行はしていきたいと思っています。全ての楽器を極めることなど不可能ですが、当面の目標としては、自分が表現する音楽で使えるレベルの技術は早く習得すべきだと思っています。
 

・屋久島の雲

この作品は1日で作ったもので、技術的にはかなりいい加減なものですが、1日で作ったにしては意味を持つものを作れたと思っています。じっくりと作品を作ることも大事ですが、時には作品制作のスピードも大事だと思います。今年も時にはそういうことも行なっていきたいと思っています。
 

・屋久島の空撮映像

非常に簡単に作ったものなので、新しいものを作成しましたら削除するかもしれませんが、屋久島の精神を伝えるような素晴らしい空撮映像は作っていきたいと思っています。


・鯛の川の龍頭

Googleマップで調べると分かるのですが、いつも龍の頭に見える模様が海に描かれているわけではありません。映像としての完成度には問題があると思っていますが、その時にしか保存できない何らかの奇跡は今年も記録していきたいところです。
 

様々な映像は将来的に様々な人に観られればいいと思っています。だからこそ、未来になっても観るに値するような価値を持ったものを残していくことが大事だと思っています。また、様々な知識については将来的にホームページに整理すればいいと思っています。だからこそ、毎日毎日大事なことを明らかにし、それらの知識を頭に保存していくことが大事だと思っています。

このページは、去年の振り返りと今年の予定を大雑把に書いただけですので、より詳しい内容について御興味を持って下さる方は以下のリンクも読んで頂けると幸いです。


近況報告(2020/4/29更新)
雑記(2020/4/13)
一回目の屋久島研究を終えて(2020/10/2 動画更新)
屋久島日記(2020/7/5-7/7)
屋久島日記(2020/7/1-7/5)