現代日本における非常に重要な音楽家の一人は間違いなく米津玄師ですが、彼の持つ意味は今までの様々な有名な音楽家とは、かなり異なります。かつてない時代の到来に伴い、彼は新しい時代の寵児として現れた独自の存在と言えます。

米津玄師は現代に流行る精神性を描写しながら、表現を通して今の日本人の精神性に強く影響を与えていますが、彼がどのような影響を我々に与えているのかを理解することは大事です。そういう理解を得ることで、彼からどのような影響を受けるのかを我々は自分自身でもっと決めやすくなるからです。

だからこそ、このページでは「米津玄師とは何者なのか?」ということについて、心理学的観点と神学的観点から解説を書いていきます。
 

【心理学的解説】

昭和→平成→令和という時代の変化の中で、日本人の精神性は「光」から「闇」に寄ってきていますので、時代に流行する歌手も「光」から「闇」に寄ってきています。

例えば、昭和のスターは美空ひばり、松田聖子、西城秀樹、井上陽水、キャンディーズなど様々ですが、ほぼ全て「光」=「愛」を歌う歌手でした。それに対して、平成のスターは安室奈美恵、宇多田ヒカル、モーニング娘。、AKB48、椎名林檎、、B'z、L'Arc-en-Ciel、GLAYなど様々ですが、「光」と「闇」がもっと入り混じっている時代でした。そして、現代は令和ですが、平成以上に「闇」の歌手は流行りやすくなっています。

米津玄師が現代に流行っているのは、現代人が共感し得る精神性を表現しているからなので、彼は「闇」を表現する機会も少なくありません。しかし、彼が表現する「闇」は悪しき「闇」ではなく正しい「闇」で、この意味合いこそ、米津玄師を理解する上で最も重要な点です。また、彼は「闇の中の光」を表現することも少なくありませんし、純粋に「光」を表現することもあります。
 

・正しい「闇」

例えば、『感電』が表現する精神性は、正しい「欲」です。「欲」という精神性は人間を誤った方向性へ導きやすいものですが、この歌で歌われている「欲」は「稲妻のように生きていたいだけ」「目指すのはメロウなエンディング」といった方向性であって、良い「欲」方向性です。なによりも、この曲の精神性がこの曲で表現されている「欲」の方向性であって、「邪悪」な「欲」の方向性とは異なります。

「欲」ではなく「愛」を抱くことが、精神的に極めて王道な方向性ですが、邪悪な「欲」に飲み込まれそうな時代においては、良き「欲」によって時代を守ることも非常に大事になってきます。特に、「光(愛)」よりも「闇(欲)」の方が強くなりそうな時代においては、「愛」をストレートに歌う歌よりも『感電』のような「欲」を歌う歌の方がより多くの人々は共感しやすく、結果的には多くの人の心を守ることになります。


・「闇の中の光」

「灰色」は「光(白)」と「闇(黒)」の中間色で精神的にも「光」と「闇」の中立的な立場を表します。そして、「青」は「水」を表す色であって、「水の気持ち」を象徴する色であり、「水の気持ち」とは、物質の「水」がそうであるように「汚れ(問題)」を「浄化(解決)」する「問題解決」の精神性を意味します。この曲は「虚しさ」という「灰色(中立の気持ち)」と「問題解決の心」という「青(水の気持ち)」が交互に繰り返される構造を持っており、「闇」に近い部分から「光」へ向かう精神性を表現しています。

「闇の中の光」を表現する歌は「闇」が強い時代において非常に大事です。何故ならば、精神的に「闇」に苦しむ人に「光」という「道」を示すからです。また、「光」と「闇」の対立構造を通して、「光」の価値を教えることも促すからです。


・純粋な「光」

この二曲は米津玄師が純粋に「光」を表現した曲であり、重要な曲でもあります。『パプリカ』は「元気」という「光」を表現した曲であり、『カイト』は重要な「真実」を伝える曲です。パプリカという野菜の色は赤や黄色で、この色は「火」を象徴する色です。そして、「元気」とは本質的に燃えさかる太陽が我々に与えている「火の気持ち」なので、この曲も『灰色と青』と同様に色の意味合いとして見事です。『カイト』についての詳しい解説は以下に書いています。

http://junashikari.com/singer/arashi-kaito/

ここまで米津玄師が表現する、正しい「闇」、「闇の中の光」、純粋な「光」の三つの例を解説してきましたが、このような構造が見えてくると彼が表現できる精神性の守備範囲の大きさが見えてくると思います。また、「闇」にせよ「闇の中の光」にせよ「光」にせよ、彼の表現の仕方は現代人でも共感し得る精神領域で、そういったことが彼の人気を生み出しています。その結果として、彼は現代日本人の心を歌を通して守るということを実現しています。
 

【神学的解説】

我々人間の名前には、自分自身のことが書かれています。ですから、「米津玄師」という名前にも彼の持つ意味は元々書かれています。

「玄師」の「玄」とは「黒」を意味し「黒」は「闇」を象徴する色です。そして、「師」は「先生(人の手本となる人)」を意味します。つまり、「玄師」とは「闇の師」を意味し、彼は正しい「闇」とは何なのかを我々に教えることを大きな役割として持っている人間で、実際そういったことを歌を通して多く実現してきました。

「津」は「水」を象徴する文字ですが、彼が「光」を表現する際の彼の声の表現する精神性は「水の気持ち」=「問題解決の心」の精神性で、「津」はこういった声の方向性を示しています。「米」についてですが、「米」という植物は太陽の影響を非常に強く受けている太陽を象徴する植物であり、米津玄師が太陽神様の使いであることを示しています。

また、米津玄師は本名で活動する以前は「ハチ」という名前で活動していましたが、「ハチ」は虫の「蜂」を象徴する名前であり、ハチは太陽を象徴する動物です。何故ならば、ハチという動物は太陽からの「火の気持ち(闘いの心)」を学ぶ動物であるからです。ですから、「ハチ」という名前も彼が太陽神様の使いとして存在していることの一つの根拠になります。

つまり、「米津玄師」という名前は「太陽神様の使いとして水と闇を教える者」という意味を持ちますし、彼の今まで生み出してきた様々な楽曲はこの役割(テーマ)通りです。神懸かったアーティストは作品制作に必要な「アイデア」を神々からもらう中で作品を作るものだからこそ、名前と生み出すものの意味が一致してきます。

昭和→平成→令和という時代の流れの中で、日本人の精神性が「闇」に寄っていくであろうことは元々明らかで、その予想を踏まえて、人々の心が悪しき「闇」に寄らぬようにするために地上に派遣されたのが米津玄師です。音楽は精神性を人間に教える手段であり、米津玄師は太陽神様の使いとして、日本人の心を守るということを歌を通して行なっています。

また、精神を教えるということに加えて、『カイト』が象徴するように、我々が忘れてしまっている様々な「真実」を歌を通して伝えることを行なっています。
 

【最後に】

米津玄師の生み出してきた重要な曲、彼がこれから生み出していく重要な曲について、将来的には解説を書いていくつもりです。現代は消費の時代だからこそ、米津玄師の歌もただただ消費されがちですが、彼が生み出してきた重要な曲が本当の意味で活かされるのはこういった解説と共に理解することだと思っています。