ここでは、色の意味を説明していきたいと思います。この文章を読む上で、『デザインについて(概要)』の文章は前提となりますから、まだ読まれていない方はこちらから読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/デザインについて/デザインについて(概要)/

色には元々どの色が「光」であり、どの色が「闇」であるのかというルールが決まっています。それを確かめる方法は自然界の景色、植物、動物を分析することになります。色に関する「光」と「闇」のルールは現実に大きく表れているものであることを理解して頂けると幸いです。

色に関する「光」と「闇」の基本原則は、白が「光」の基本色であるのに対して、黒が「闇」の基本色であるということです。だからこそ、照明などの光量がものすごく多いと、全ては白く見えるのに対して、部屋などで照明を切り、一切の太陽光も遮断すると、全ては黒く見えます。

これは物理的に白:黒=光:闇という関係性を持っているだけではなくて、精神的にも意味があるということを理解して頂けると幸いです。地球において、この白と黒の大原則は、そのまま昼と夜の関係性になります。昼は太陽からの光があり、光の時間です。それに対して、夜は太陽からの光がなく、闇の時間です。今は夜であっても照明があるが故に、夜を暗闇の時間とはイメージしづらいですが、本質的には昼:夜=光:闇です。

だからこそ、日中は夜間よりも我々は「元気」です。太陽は我々に「火の気」を与えています。そして、「火の気」とは言い換えると「元の気」であって、「元気」という言葉の語源は本質的に太陽からもたらされる「火の気」のことを意味しています。我々は日中、太陽からの「火の気」によって支えられることによって、「光の感情」を維持しやすい状態を持つことができます。そして、夜は太陽からの「火の気」が無い分、「欲望」などの「闇の感情」に堕ちやすくなります。

※夜間においても「元気」という人もいますが、そういう人の多くは「欲望」の感情を抱いています。「欲望」とは自分のために何かをしたいと思う感情です。現代は「元気」という言葉が乱れ、「欲望」と混同されています。「元気」で動いていても、「欲望の気」で動いても、「生き生きとしている状態」になることはできますが、「生き生きとしている状態」=「元気」ではありません。

そういった意味で、昼と夜という関係性は物理的に「光」なのか「闇」なのかということに加えて、精神的に「光」なのか「闇」なのかという意味を持っています。

※余談ですが、物理と精神を分けて考えるようになったのは現代の人間が堕ちてしまっている1つの罠であって、「気」はそこに存在するもの(物理)であって、我々の心にも影響を与えているもの(精神)です。ただ、「気」は今の物理学においては測ることがないが故に、そこに存在しないと思われているものになります。では、どのようにして「気」がそこにあるかということを確かめるかというと、自分の心の状態の変化を見つめると分かる形になります。「気分(気を分ける)」「気持ち(気を持つ)」という言葉が表しているように、我々は絶えず外界の「気」に影響されながら、自分の感情を形成しています。だからこそ、例えば、「欲望の気」に満ちた新宿などに行くと、「欲望」の感情を抱きやすくなります。その現象から逆に、誰しもが新宿には「欲望の気」が溜まっているということを自分自身の力で確かめることができます。しかし、その確かめることを行なうためには、自分の心の変化を見つめることができるだけ自分の心を見つめることに慣れていなければなりません。「気」を感じると言うと、特殊技能のように思われてしまうと思いますが、「気」を感じるということは心を見つめることと同じことであって、誰もができることになります。

色の話からは少し逸れてしまいましたが、色の「光」と「闇」の意味を理解するためには、「光」と「闇」の持つ意味をまず最初に理解すべきだからこそ、この説明を書きました。「光」と「闇」を最も象徴するものが昼と夜の関係性であって、そこには「白」と「黒」の違いも表現されているので書いた形にになります。

色の話に戻りますが、昼:夜=光:闇という関係性は、空の色に強く反映されています。日中雲が無ければ、空は「水色」の青空です。そして、朝日や夕焼けは「黄色」であり「オレンジ」です。場合によっては「金」にも見えます。これらの現象から、我々は「水色」「黄色」「オレンジ」「金色」が「光」の色であることを学ぶことができます。
 

また、雲や雪は「光」の基本色である「白」です。色の話からは逸れますが、雪の結晶は地球上の水を司る水星神様が創っているものであって、非常に様々な形をしていますから、我々は雪の結晶から様々な「光」のデザインを学ぶことができます。非常に美しいものが多いので、多く貼付けておきます。雪の結晶は正六角形が基本図形であって、雪の結晶から正六角形という図形が「光」の図形であることも学ぶことができます。

また、虹や日暈は「七色」です。虹の色を分析すると、「光」の色を非常に細かく学ぶことができます。

そもそも、虹の色とは様々な光(可視光線)の色を表すものです。可視光線の色は元々決まっており、これらの色は全て「光」の色になります。ですから、どの色が「光」なのかを分析する上で可視光線の色を調べることは非常に有効な方法になります。

ちなみに、虹や日暈が円形なのは、円という図形が「光」の基本図形だからになります。図形の考え方は別で書きます。

海の色からも我々は多くを学ぶことができます。濁っていない海に日が当たると「エメラルドグリーン」になり、大海は青です。太陽がよく当たる海が見せる様々な青は基本的に「光」の色として理解して下さい。深くなれば光が入らなくなるので、「闇」の色となっていきます。
 

光量がどれだけあるかによって物の見え方は異なります。例えば、同じ「緑色」の植物であっても、太陽の下では「黄緑」に見えるのに対して、太陽の光もなく少しの照明の下で見ると「深緑」に見えます。この現象から「黄緑」が「光」であるのに対して、「深緑」が「闇」の色であることが分かります。


光:闇=白:黒という基本原則は、他の様々な色においても当てはまるものであって、太陽の光や照明などをある色に当てた時と当てない時に生まれる色の違いによって1つ1つ確かめることができます。

大事なことは、自分自身でその色を感じることです。「光」の色をずっと見つめていると、非常に晴れやかな気分になり、「闇」の色をずっと見つめていると「欲望」といったの闇の感情に繋がっていきます。下に「光」の色と「闇」の色を大きく貼り付けておくので、これらを見つめて頂きながら自分の心の動きを見て頂ければ、と思います。
 


全ての色が「光」と「闇」のどちらかであるわけではなくて、「中立」の色もあるので、色には「光」「闇」「中立」の3種があると理解して下さい。例えば、茶色や肌色やベージュは「中立」の色になります。茶色や肌色やベージュが可視光線の色の中に入っていないのは、これらが「中立」の色であるからです。

だからこそ、土は茶色、肌色、ベージュなどの色を持っています。土とは様々な「気」を宿すことができるものであり、「光の気」も「闇の気」も平等に宿ることができるように、「中立」の色を持っています。一般に肥沃な土地と呼ばれる場所は「光の気」に満ちた土に満ちた場所であり、それとは逆に毒のような「闇の気」が宿った場所もあります。
 


そして、このことは我々の肌の色によく表れています。我々人間は自分自身の意志で「光」も「闇」も選ぶことができます。だからこそ、我々の肌の色は「光」の色でも「闇」の色でもなく、「中立」の色である肌色や茶色をしています。白人や黒人と言いますが、完璧に白や黒の肌を持った人間はほぼおらず、白人は薄い肌色、黒人は濃い茶色です。

「光」の立場である神々も、「闇」の立場である悪魔も、我々人間に関与しています。もし我々の肌が真っ白であれば、悪魔は我々に「闇の気」を入れづらくなります。それとは逆に、我々の肌が真っ黒であれば、神々は我々に「光の気」を入れづらくなります。

「光」の色の物体とは「光の気」が宿りやすく、「闇」の色の物体とは「闇の気」が宿りやすいものです。例えば、多くの人間の髪の毛は「黒」ですが、これは脳に「闇の気」が溜まらないようにするためのデザインです。脳とは我々人間が非常によく使う部分であるからこそ、「闇の気」が溜まりやすい部分になります。そういった脳から「闇の気」を抜き取るために、人間の多くは「黒」の髪の毛を持っています。また、金髪とは「金の気」と相性がいい髪の毛であり、金髪の場合は脳にある「闇の気」を取ることよりも、身体の外部にある「金の気」を受け取ることを大きな役割として持っています。ですから、我々は髪の毛を「黒」から「金」に変えると「気分」が変わります。何故ならば、自分の身体が抱える「気」が変化し、「気持ち(「気を持つ」ことによって感情を抱く)」が変わるからです。この現象から、色と「気」が非常に密接な関係にあることは分かります。また、我々の身体が何故、肌色や茶色をしているのかも理解できます。

我々人間は日に焼けると色が茶色になっていくものであって、白人、黒人、黄色人種の肌の色の違いは、元々日に焼けた状態なのか、全く日に焼けていない状態なのかを表現していると考えて下さい。黒人は太陽と非常に相性がいい身体であって、「火の気」と相性がいい身体を持っています。そういう意味で、彼らの肌は茶色です。

だからこそ、傾向として黒人は「元気」であって「陽気」です。「陽気」という言葉は本質的に「火の気」のことを意味しています。「元気」=「陽気」=「火の気」と考えて頂ければ、と思います。

それに対して、白人は「火の気」よりも「水の気」などと相性がいい身体を持っており、だからこそ、様々な現実的なことを行なっていくことが得意です。「水の気」とは「問題解決・向上心」の原因の「気」になります。だからこそ、白人が世界を現実的に支配していったという傾向もあります。

黄色人種は黒人と白人の中間と考えて頂ければ、と思います。「火の気」ととりわけ相性がいいわけではなく、様々な「気」に対して、ほぼ平等に相性のいい身体です。

ちなみに、人間も含めて動物の肉はピンクや肌色や茶色であり、血は深い赤です。これらは全て「中立」の色を意味します。色は非常に扱いが細かいのですが、血の赤は可視光線の赤よりも深い赤をしています。可視光線の赤だと「光」の色となってしまいますが、可視光線の赤と黒が混ざったような色であって、血の赤は「中立」の赤を意味します。

また、骨は白です。これは何を意味するかと言うと、骨は「光」の物体であり、「闇の気」が宿りにくく設計されているということです。だからこそ、骨から病気が発生することは、ガンのように肉から病が発生するケースより少ないです。

「病気」という言葉は「病の気」という言葉から生まれています。そして、「病の気」とは「闇の気」のことです。ですから、「病気」という言葉が意味することは、病の原因は「闇の気」であるということです。今でも残っている「病は気から」という言葉の本当の意味はこのことを意味します。そして、「中立」の色をしている物体には「闇の気」が宿りやすく、「光」の色をしている物体には「闇の気」が宿りにくいが故に、肉から病が発生することは多くても、骨から病が発生することは少ないです。

我々の肌や髪や肉や血や骨がこのような色を持っていることは、「気」との関係性によって決まっています。そのことから逆に考えて頂くと、それぞれの持っている色の意味も理解できます。
 

植物の身体の色も非常に参考になります。植物の葉は基本的に緑色ですが、可視光線の色をチェックして頂ければ分かって頂けるように植物の葉の緑色は「光」の色です。どうして植物が「光」の色である緑色の葉を持っているかというと、葉は太陽からの「光の気」を摂取するために存在するものであるからです。太陽からの「光の気」を受け取るために葉があるが故に、葉のデザインは「光の気」を受け取りやすい緑色をしています。

木々は幹を持ちますが、幹は我々人間と同様に、内側も外側も含めて肌色や茶色をしています。また、灰色をしているケースもあります。灰色とは白と黒の中間色であって、その色の成立の仕方に「中立」の色であることはよく表現されています。ですから、木々の幹や枝は「中立」の物体であって、彼らも我々と同じように「光の気」と「闇の気」を摂取しながら、「光」を維持しようと生きています。植物の生については別で書きます。


ここまで自然の風景、人間の身体、植物の色を例に色のことを説明してきましたが、それぞれの物体が何故その色を持っているのかということには意味があります。神々はそれぞれの魂を真に思いやっているが故に、絶対にそれぞれの身体や物体にとって最も良いデザインをしているからです。ですから、神々が何故その色を付けたのかということから逆に、それぞれの色の持つ意味を理解して頂ければ、と思います。整理すると、

・「光」と「闇」の基本色が「白」と「黒」であって、それは明かりをものすごく明るくした時に世界が全て「白」に見え、完全に明かりを消した時に世界が全て「黒」に見えることによく表れています。

・様々な「光」の色を理解するための教科書に当たるのが可視光線の色であって、可視光線の色を現実の様々な物体に当てはめて考えることで、それらの色が確かに「光」の色であれば様々なことが説明できるという結論に至ります。そのことを考える上で、植物の葉の役割や、我々が何故髪の毛を持っているのかといったことを理解する必要があります。

・「中立」の色を理解する上で参考になるのは、土や動物や植物の身体の色です。土も動物も植物も「光の気」と「闇の気」の両方を受け取るために、中立の色を持っています。

 

[光の色の持つ意味について]

ここでは、様々な「光」の色の持つ意味を説明していきたいと思います。太陽系における「光の気」とは五種類であり、「水・火・風・土・金の気」です。そして、この五種類の「光の気」はそれぞれ自分の色を持っています。ですから、そういったことについてここでは解説をしていきたいと思います。
 

・白について

白と黒がそれぞれ「光」と「闇」の基本色であることは既に説明しましたが、白が「光」の基本色であることの根拠を少し書いておきたいと思います。可視光線には様々な色がありますが、様々な可視光線の色が重なるとその色は白に近づいていきます。それぞれの可視光線の色はその光線がどのような波長を持っているかに依りますが、様々な波長の光線が混ざると白に見えます。以下、Wikipediaより抜粋します。

「可視光線は、太陽やそのほか様々な照明から発せられる。通常は、様々な波長の可視光線が混ざった状態であり、この場合、光は白に近い色に見える。」
 


そして、様々な波長の光にはそれぞれ意味があります。そのことを理解した上で、様々な波長の光が混ざり合った光が白く見えることを理解するならば、白という色が光の基本色であるということをより深く理解できます。ですから、それぞれの波長の光の意味を書いていきたいと思います。このことを理解する上でも以下の可視光線の色がベースになりますので、再び載せておきます。


・黄色、オレンジ、赤について

可視光線の右側、570〜750nm付近を構成している色は、黄色、オレンジ、赤です。これらは「火の気」の色を表します。

非常に強い「火の気」は見ることができます。それが炎であり、太陽でもあります。炎も太陽も「火の気」の塊であると理解して頂ければと思います。そもそも、熱とは「火の気」そのものです。そして、通常、炎も太陽も黄色、オレンジ、赤といった色をしています。このことから、黄色、オレンジ、赤といった色が「火の気」を表す色であることが分かります。

赤については、深い赤は「火の気」を表す赤ではありません。そのことは注意して頂ければ、と思います。また、地球から見ると太陽は白く見えますが、それは地球上の大気の影響を受けているからです。宇宙空間から太陽を見ると白には見えない点は注意して頂ければ、と思います。

「気」は感情と思考の原因ですから、「火の気」もある感情の原因です。「火の気」の感情とは二つあり、「明るさ/笑い」という感情と、「闘いの心」になります。ですから、黄色、オレンジ、赤といった色はこの二つの感情をよく表している色です。

「明るさ/笑い」という感情は、元気であり、相手のために相手のことを笑わせたいと思う感情になります。それは太陽を浴びている時に我々が感じる感情と言えます。気持ちよく、元気になる感じです。例えば、桑田佳祐やトータス松本の歌などは基本的にこの感情になります。

「闘いの心」という感情は、愛する誰かのために、愛する誰かを傷つける何かと闘おうとする感情になります。例えば、『もののけ姫』のサンやエボシ御前、Bzの稲葉浩志やGLAYのTERUの歌などは基本的にこの感情になります。


・青について

可視光線の真ん中付近、450〜495nm付近を構成している色は、青と紫です。これらは「水の気」の色を表します。

「火の気」が火を構成しているように、「水の気」は水を構成している「気」です。例えば、海は青に見えますが、このことが「水の気」の色が青であることをよく示しています。


・緑色について

可視光線の左側、495〜570nm付近を構成している色は、緑です。これらは「風の気」の色を表します。

植物の葉の色はほとんどの場合、緑色をしています。先程、葉は太陽からの「光の気」を摂取しやすいように緑色をしているという説明を書きましたが、この説明だけでは本当は不十分です。何故ならば、太陽からの「光の気」とは「火の気」のことであって、「火の気」を受け取る上では、緑色よりも「火の気」を表す黄色、オレンジ、赤といった色の方が都合がいいからです。

植物は太陽からの光に加えて浴びているものがあり、それは風です。そして、「火の気」が火を構成し、「水の気」が水を構成しているのと同様に、「風の気」とは風を構成しています。そして、植物はこの「風の気」を強く摂取しながら生きています。だからこそ、「風の気」と最も相性のいい緑色の葉を植物は持っています。

我々人間は移動ができますが、植物は移動ができません。そして、この世界には様々な「気」があり、風はそういった「気」を回しています。もし、この世界に風が無ければ、植物はいつも同じ「気」を吸うことになり、それは生き物にとって好ましいことではありません。何故ならば、「気」が感情の原因であるからこそ、いつも同じ「気」に触れていると、いつも同じ感情を抱くことになるからです。そういったことを阻止するために風は存在します。ですから、風とは基本的に植物のためにあります。

そういったことを理解した上で、植物の葉が何故緑色を持っているのかを考えると、「風の気」の色が緑色であることが理解できます。
 

※可視光線を構成する色は、赤・オレンジ・黄・緑・青・紫ですが、紫以外の色については解説が終わったことになります。紫については説明が他の色よりも難しいので、後に解説します。また、上の解説もかなり大雑把に行なっています。この世界において最も基本的な「光の気」は「水・火・風の気」であるが故に、可視光線の色はこの三つの「光の気」のことを表しています。


・金色について

金は物質の金の色そのものを表します。ですから、金色の意味を理解するためには、金という物質の成立を理解する必要があります。何故ならば、物質の金の色そのものが金という色の意味だからです。そのためには少し物質と「気」の関係性を必要があります。結論だけ先に書いておくと、金色という色が示すのは「愛」です。以下は、何故金色が「愛」の色なのかということの説明になります。

物質が何故生まれるのかということと、「気」とは密接な関係性を持っています。金という物質は、人間が作ることができるものではなく、自然に生まれるものです。しかし、自然に生まれると言っても、絶対に過去のどこかの時点で生まれています。我々は金という物質は昔からあるものとして考えてしまいますが、もっと長い視点でどこでどのように発生したのかということを考えることはとても大事です。そして、自然を司っているのは神々であって、金を作っているのも神々になります。
 


太陽系とは「水、火、風、土、金の気」という5つの「光の気」を地球に供給するためのシステムです。そのように考えない限り、何故、水星や火星といった太陽以外の惑星があるのかということは理解できません。そして、神々が理由無しに太陽系をこのような形にデザインすることはあり得ません。

現代は「気」の観点を見失っているからこそ、何故太陽系がこのような形をしているのかということすら分からなくなってしまっています。昔の人間はそういったことは分かっていました。だからこそ、「水の気」を地球に送っている星を「水星」と名付け、同様の形で、「金星」「火星」「木星」「土星」といった名前をそれぞれの星に付けています。

星を見ながら、その星に宿っている「気」を感じるのであれば、それぞれの星が持っている「気」は簡単に分かります。気功師などでもなくても、毎晩星を見ながら「気」を感じる習慣を付ければ感じられるようになります。昔の人間は夜は星を見ていたので、そういったことを感じることによって分かっていました。星の「気」を感じるということが特別なことのように思わないで頂けると幸いです。

「金の気」を地球に送っているのは金星であって、金という物質は「金の気」によって生まれている物質です。そして、感情・思考の原因は「気」ですが、「金の気」とはどういった感情の原因かというと、「愛」の原因です。ですから、「金の気」によって成立している金という物質を身につけるのであれば、我々は「愛」の感情を抱きやすくなります。何故ならば、金という物質は「金の気」に満ちたものであって、その「金の気」に金星の神様である金星神が常に関与ができるからです。

神々や悪魔は自分の持ち物を持っています。例えば、海王星神様(ポセイドン)は海王星に宿っている神様ですが、海王星神様(ポセイドン)の持ち物は文字通り海です。ですから、海王星神様はいつでも海に関与することができ、海という場所は海王星神様に守られています。

東洋で海王星に「海王星」という星の名前が付けられ、西洋で海王星にポセイドン=ネプトゥーヌスを意味する「ネプチューン」という星の名前が付けられたのは偶然ではなく、古代の人間は「気」のことをよく分かっていたからこそ、このような東洋と西洋の一致は生まれています。それは東洋で五行思想、西洋で四大元素説という「気」に関する似た思想が同時期に別々に起こったことも同様の意味を持っています。このような一致は神々が起こしていない限り、起こり得るものではありません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/海王星
http://junashikari.com/energy/五行思想と四大元素説について/​

そういった意味で、星の神は何らかの物質を自分の持ち物としており、その持ち物に関してはいつでも「気」を通して関与ができます。そして、金という物質は金星神の持ち物であって、金星神は太陽系における最も偉大な「愛」の女神です。古代はヴィーナスやアフロディーテとも呼ばれてきました。

整理すると、以下のような形になります。

・金色という色は金という物質の色であること。
・金という物質は金星からの「金の気」によって成立している物質であること。
・「金の気」を司っているのは太陽系の「愛」を支えている金星神であって、だからこそ「金の気」は「愛」の原因であること。
・金という物質は「金の気」に満ちた物質であって、金星神がその「金の気」にいつでも関与ができ、金を身につけるのであれば「愛」を抱きやすくなること。
・こういった流れによって、金色という色自体が「愛」を象徴する色として存在すること。

以上が、金色が「愛」の色であることの説明になります。理由を理解することはとても大事なので、できれば理解して頂きたいですが、とりあえずは結論だけ覚えておいて頂ければ、と思います。

大事なことは感じることです。ですから、例えば金でできているアクセサリーや服を身につけている時と身につけていない時の心の動きの違いを分析したり、金星を見つめてみたりすると、金が「愛」の原因であることはよく分かります。金星とは「金の気」が大量に宿った星であって、金とは「金の気」によって構成されている物質ですから、金星も物質の金も意味はあまり変わりません。

また、金星神は人間が様々な芸術を創る際にも多く関与しています。例えば、クリムトの『接吻』は金星神が創った絵画ですが、人間の「愛」を金色で表現しています。金星神は「愛」の原因が「金の気」であることを視覚的に人間に伝えるためにこの絵画をクリムトと共に描いています。ですから、この絵画を観ていると我々は「愛」を感じます。この絵画を観ていると「愛」を感じるという現象から、金が「愛」の色であることを理解して頂ければ、と思います。

また、中島美嘉も金星神と共に歌を歌っている歌手ですが、中島美嘉の『雪の華』『愛してる』などを聴くことで、「金の気」の感情を感じられます。映画監督の小津安二郎や漫画家の津田雅美も金星神と共に芸術を創ってきた立場の人間であって、彼らの作品からも金星神の「金の気」は感じられます。こういった金星神の芸術を鑑賞し、それらの芸術作品の持っている感情と金を身に纏った時に感じる感情が近いことから、「金の気」が我々に与える「愛」の感情について理解を深めて頂ければ、と思います。

我々はいつも様々なものに影響を受けながら生きています。そして、我々の心に強く影響を与えるものが色です。そして、金色は「愛」を意味する色であって、もしこの世界が金色に満ちているのであれば、この世界が「愛」の方向性へ向かいやすくなります。これは想像してみて頂けると分かりやすいと思うのですが、もし我々が着ている服も家も黒であるならば、気分は沈みやすくなり、もし我々が着ている服も家も白であるならば、気分は晴れやかになりやすくなります。

ですから、これからの時代は金や白といった色を意図的に使っていくことが非常に大事です。そして、そのようなことをやろうと思うためには、それぞれの色の持つ意味を理解する必要があります。そして、色の持つ意味は我々が無意識に感じている感情を言葉で整理することによって理解できます。

どうして現代は色の意味を見失ったかというと、感情のことがよく分からなくなったからになります。そして、感情のこととは言い換えると「光」と「闇」の関係性になります。何故ならば、「光」と「闇」の関係性と感情は密接な関係にあるからです。

「相手のため」の感情は「愛」の立場であって、「光の感情」です。そして、「自分のため」の感情は「欲望」の立場であって、「闇の感情」です。そして、「光の感情」は五種類あり、「闇の感情」は三十種類あります。様々な感情を「相手のため」の感情なのか、「自分のため」の感情なのかを分析すると、自ずと整理されていきます。感情について詳しくはこちらを御覧下さい。

http://junashikari.com/emotion/感情一覧(光・闇・中立)/

色の意味を理解するためには、自分がその色から何を感じているのかということを分析できるようにしなければなりません。その分析を行なうためには、感情の種類を前もって知っておく必要があります。

 

※ここ以降は後日書き加えます。ここまでの話は色のことを理解する上で基礎に関する部分だと理解して下さい。この話に当てはまらない話もあります。例えば、白蛇は「闇」の動物であるにも関わらず、本来は「光」の色であるはずの「白」の身体を持っています。これは例外に相当します。そういったことについても書き足していきます。