ここでは、SNSの「いいね!」の弊害について書いていきます。

人は「いいね!」がたくさん付くと、自分はこのままでいいと無意識に思い、「いいね!」が全然付かないと、自分はこのままではいけないと無意識に思います。そういった「自己肯定」と「自己否定」を「いいね!」は促しています。

では、「いいね!」を付ける側の人はどのような心理で「いいね!」を押しているかというと、基本的には「共感」できる内容に「いいね!」を押しています。ですから、自ずと「多数派」の考え方の投稿に「いいね!」がたくさん押され、「少数派」の考え方の投稿には「いいね!」があまり付かなくなります。

だからこそ、「多数派」の人々は「いいね!」がたくさん付くことによって「自己肯定」を行ない、少数派の人々は「いいね!」が全然付かないことによって「自己否定」を始める構造があります。そして、「自己肯定」をすると人は変わろうとしないのに対して、「自己否定」をすると人は変わりたいと思うようになります。

そういった構造によって、「少数派」の人々は本来の自分を隠し、本来の自分を変えようとし、「多数派」の空気感に合わせた投稿を行ない、「いいね!」をいつもより多く得て、「自己肯定」という「安心」を得ます。そういうことを繰り返していくと、本当に「多数派」に染まってしまいます。つまり、「いいね!」のもたらす「安心」の代償として、本来の自分を見失っていきます。

そういった結果として、皆が同じ「多数派」の方向を向き始め、「多様性」の全然無い社会が生まれます。つまり、「いいね!」の弊害とは社会から「多様性」を奪うことです。特に、日本人は人目を気にする国民なので、他の国よりも「いいね!」はいつも日本人から「多様性」を奪っています。

この世界は必ずしも「多数派」の意見が正しいわけではなく「少数派」の意見が正しいこともあります。だからこそ、「多数派」の人々は他人からの「評価」を通して安易に「自己肯定」をするのではなく、自分自身が本当に正しいのかを「問う」必要がありますし、「価値」のある「少数派」の人々はどんなに周りに「評価」されなくても自分を貫く必要があります(「少数派」はいつも「価値」があると言っているわけではありません)。

大事なことは「いいね!」といった、人からの「評価」ではなく、自分のやっていることの本質的な「価値」です。「評価」と「価値」は必ずしも一致しませんから、本当に「価値」のある人生を過ごす上では、人からの「評価」は気にしない方がいいこともよくあります。

とにかく、「いいね!」がたくさん付くことの罠も、「いいね!」が全然付かないことの罠も分かった上で、SNSを使って頂けると幸いです。