「愛」は「他者を大事と思う気持ち」のことであって、「他者を大事」と思うからこそ「他者のため」に何かをしたいと思います。それに対して、「欲望」は「自分が利益を得ることを目指す気持ち」であって、「利益を得ることを目指す」からこそ「自分のため」に何かをしたいと思います。

このような形で、「愛」と「欲望」は「他者のため」と「自分のため」という対立の構造を持っています。この構造が我々が生きていく上で、最も意識すべき重要な対立軸です。何故ならば、御自身の起こすほとんどの行動は「愛」か「欲望」のいずれかから生まれているからです。

「愛」は「他者のため」に何かをすることに繋がるので、相手を「幸せ」にしていくことができます。例えば、「愛」は相手を元気にしようとする態度にも繋がりやすいので、そのことによって相手は「幸せ」に近づきやすくなります。

それに対して、「欲望」は「自分のため」に何かをすることに繋がるので、相手に対する配慮に欠け、自分でも気付かないところで他人を「不幸」にすることに繋がりやすいです。例えば、「欲望」は相手を「自分のため」の道具のように使う態度にも繋がりやすいので、そのことによって相手を「不幸」へ一歩近づけてしまいます。

「愛」は他者を「幸せ」にし、他者に「愛」の「喜び」を教えます。すると、その相手も「愛」を実践したいと思うようになります。何故ならば、その他者は「愛」の価値を学ぶが故に、自分が誰かに支えられたように、自分も誰かを支えたいと思うようになるからです。このような形で「愛」は「愛」を広げていきます。

それに対して、「欲望」は相手を「不幸」にし、相手に「ストレス」の「苦しみ」を与えます。すると、その相手も「欲望」を実践したいと思うようになります。何故ならば、「ストレス」を発散させたいと思うようになるからです。このような形で「欲望」は「欲望」を広げていきます。

「愛」は「他者のため」の「支え合い」を生み、その「支え合い」の過程は「喜び」に満ちています。それに対して、「欲望」は「自分のため」の「奪い合い」を生み、その「奪い合い」の過程は「ストレス」に満ちています。このような意味で、「愛」は大事なものであって、皆を「幸せ」にする力を持ったものです。それに対して、「欲望」は悪しきものであって、皆を「不幸」にする力を持ったものです。

現代を生きる我々日本人は「愛」がどれだけ価値があるものであって、「欲望」がどれだけ悪しきものなのかを知らないが故に、簡単に「愛」を放棄してしまい、簡単に「欲望」に手を伸ばしてしまい、お互いにお互いの首を締め合いがちです。だからこそ、こういった構造を理解し、意識しながら生きていくことは、生きていく上で何よりも大事なことです。