このページでは、井上陽水の『傘がない』の心理学的意味と気学的意味を解説していきます。以下の動画を御覧になってから読んで頂けると幸いです。
 

 

【心理学的解説】

この歌は二つの対立軸の中で進行していく曲です。一つは「世の中の問題」に対してどう思うか、もう一つは「個人的な問題」に対してどう思うか、という精神的な対立軸を持っています。つまり、「大きな問題」と「小さな問題」の対立軸です。

冒頭の「都会では自殺する若者が増えている」とは社会の「問題」であり「大きな問題」、それに対して、「愛する人に会いに行かないといけないのに雨が降っていて傘がない」ということは個人の「問題」であり「小さな問題」です。

この歌を歌っている主人公は、そういった対立軸の中で「大きな問題」ではなく「小さな問題」の方が自分にとって「問題」であるということを歌い続けます。この点にこの歌の持っている精神性があります。

たしかに、世の中全体で見れば、「傘がない」という「問題」は「自殺する若者が増えている」という「問題」よりも小さなものですが、この本人にとっては、「傘がない」という「問題」の方が深刻な「問題」に感じています。その背景には会いに行こうとしている人への強い「愛」があります。

正しく生きていくならば、自分にとって大事な人のための「問題解決」と世の中全体に対する「問題解決」のどちらを取るのか、という選択の機会が訪れることは少なくありません。

そういった「問題解決の心」の中で、この歌は目の前の大事な人を優先する「問題解決の心」を歌っている形になります。このことの深い意味を理解するためには、「気」の知識が必要となってきます。
 

【気学的解説】

「愛」の方向性には複数の方向性があり、「問題解決の心」とは「水の気持ち」です。「水」が汚れたものを「浄化」することが象徴するように、「水」は「問題解決」を象徴する存在だからです。

そういった「水の気持ち」の中には「温かい」ものと「冷たい」ものがあります。目の前の人の「問題解決」よりも社会全体の「問題解決」を優先するためには「冷たさ」が必要であり、社会全体の「問題解決」よりも目の前の人の「問題解決」を優先する態度は「温かい」ものだからです。

そのような意味で、この歌は「温かい水の気持ち」を歌っています。

大事な点は、この歌を歌っている歌手が「陽水」という「温かい水」を象徴する名前を持つ人物が歌っていることであり、この歌の主人公が、「傘がない」が故に「水」に濡れながら、愛する人に会いに向かっている点です。

「井上陽水」という名前自体が、温かい雨のような意味を持っています。何故ならば、「井(戸)」の上は基本的に何もないもので、「井の上の陽の水」は「温かい雨」と言えるからです。

そういった名前を持つ人物だからこそ、『傘がない』という歌は生まれています。それは、「気」のことを見失っている時代だからこそ、「水の気」の真実を伝えるために、井上陽水という名前を持つ歌手に与えられた歌とも言えます。

井上陽水は多くの歌の中で、「温かい水の気持ち」を歌っています。例えば、『人生が二度あれば』は両親に対する「愛」が故に、「人生が二度あれば(問題を解決できるのに)」という「温かい水の気持ち」を歌っています。
 


【最後に】

目の前の相手を優先するのか、社会全体を優先するのか、という選択を経験すればする程、この歌の持っている深さが分かるようになってきます。

そのような意味で、この歌は正しく生きようとする人間にとって、一生向き合うことができる歌であって、このページの冒頭に載せている2007年の井上陽水の歌声は、あまりにも凄まじいものがあります。

一人でも多くの人がこの歌の深い意味に気付き、この歌と向き合いながら生きることで、より良い生き方を実現して頂けることを願っています。このページがそのようなことを少しでも促せると幸いです。