「抑圧」は「嫌悪」を生み、「抑圧」からの「解放」は「欲望」を生み出します。つまり、人は「抑圧」された状態によって「ストレス」を溜め込み、「解放」されることで「ストレス」を発散しようとします。

「不自由」な状況を「自分のため」に「嫌悪」する心が、「自分のため」に発散することを「欲望」する心に繋がる形です。「抑圧」と「解放」はこのような悪い循環を生み出します。

「欲望」は「自分のため」に「〜をしたい」という心、「嫌悪」は「自分のため」に「〜が嫌だ」という心であって、表裏一体の関係にあるからこそ、「欲望」は「嫌悪」を生み出し、「嫌悪」は「欲望」を生み出すということを繰り返します。

現代は「抑圧(嫌悪)」と「解放(欲望)」の行き来に捕まりやすい時代です。何故ならば、お金のために自分がしたくない仕事をすることは「抑圧(嫌悪)」を生み出しやすく、休みの日などはその反動として「解放(欲望)」が生まれるからです。

「抑圧」と「解放」が非常に危険な理由は「自分のため」に囚われる点であり、そのことにより「他者のため」を見失う点です。つまり、「抑圧」と「解放」は人間の心に「欲望・嫌悪」を植え付け「愛」を失わせます。

しかし、「愛」が「他者のため」であり「欲」が「自分のため」であるという本質や、「幸せ」が「愛」の方にあるという本質が見失われている時代においては、人は「抑圧」と「解放」の危険性を意識化していません。だからこそ、「抑圧」と「解放」の状況に自らを置き、心を擦り減らしてしまいがちです。

こういう構造が分かると、「抑圧」を避けることの重要性が見えてくるので良い「選択」を行ないやすくなります。例えば、給料は少し低いけれども「やりたい」仕事と給料は少し高いけれども「やりたくない」仕事のどちらかを「選択」しなければならない時に、より良い「選択」を行ないやすいです。

理想的な生き方は「愛」を動機に自分が何をするのかを「選択」することです。何故ならば、「愛」は「他者のため」に「〜をしたい」という心を生み出し、そういった主体的な「意志」が「抑圧」による「嫌悪」を生み出さないからです。

「〜させられている」という「強制」の意識が我々に「抑圧」の感覚を与えるわけですが、「〜をしている」という「意志」の意識は我々に「抑圧」の感覚を与えることはありません。

「自分のため」にしたくない仕事をしている人にとっても、このことは大事な意識の持ち方です。多くの人は自らの「意志」でその仕事を選んでいると思いますが、自分の「意志」でそれを「選択」したという意識があれば、「〜させられている」という「抑圧」の感覚を止められるからです。

世の中には、自らの「意志」でそれを「選択」したにも関わらず、「やらされている」という「強制」の意識を持つ人がたくさんいます。そういう意識が「抑圧」の感覚を生み出し、「嫌悪」と「欲望」の行き来を生み出します。

今の自分の現実は自分の「意志」による「選択」が作り出したということを常に意識することは生きていく上でとても大事なことです。

というのも、そのような意識によって「他人のせい」にする心にも囚われにくくなり、そういったことによって不要な「ストレス」は生まれづらくなるからです。

「抑圧」と「解放」の危険性を理解することと合わせて、「意志」と「強制」の対立構造も理解して頂ければ、人生の中でより役立つ知識となりやすいはずです。