「才能とは何か?」ということを理解する上で、「霊感」の話は避けて通ることができません。逆に言うと、「才能」と「霊感」の関係性がよく理解されていないが故に、今の時代を生きる我々人間は「才能」がどのようなものなのかを解き明かしてはおらず、そういった知識が常識化されていません。

「才能」の本質を理解すれば、人間はもっと「才能」を開花させやすくなります。そして、それぞれの人間がより「才能」を開花させていけば、様々なカリスマがもっと増えますから、より良い世界が実現していきます。そういう世界の実現のためにも、このページで「才能」の本質を説明していきますので、参考にして頂けると幸いです。


【「霊感」とは何か】

「霊感」とは「気」に対する感度のことです。そして、人によって、「霊感(どれだけ「気」に対して敏感か)」はかなり異なります。

例えば、ある人は電車に3分乗っているだけで頭痛が発生する位「気」に対して敏感なのに対して、別の人は電車に3時間乗っていても平気といった形です。電車は様々な「邪気」が溜まっている場所なので、「気」に対する感度が高い方にとっては非常に辛い空間なのに対して、「気」に対する感度が低い方にとってはそうではない形です。

「霊感」のことを、霊が見える能力といった形で誤った理解をしている方もいますが、実際はそういった「第六感」と言われるようなものではなく、「気」に対する感度のことであり、「霊感」は誰しもが持っているものです。何故ならば、感度の差はあっても、人は皆「気」に影響を受けながら生きているからです。

電車の例から分かって頂けると思いますが、「霊感」が高ければ高い程生きづらくなります。しかし、「霊感」が高ければ高い程、「気」と強く働くことも可能になるので、「才能」は上がります。

「気持ち」という言葉が象徴するように、我々は「気」を「持つ」ことによって「気持ち」を抱いているので、「霊感」が高い方がより強く何らかの「気持ち」を抱くことが可能になり、その強い「気持ち」を使って何かができます。例えば、スポーツなどにおいて非常に重要な要素が「気持ち」で、一流のスポーツ選手は「霊感」が高いことが多いです。

また、「気付き」という言葉が象徴するように、我々は「気」が自分に「付く」ことによって「気付き」を得ているので、「霊感」が高い方がより多くの「気付き」を得ることが可能になり、その多くの「気付き」を使って何かができます。例えば、研究者や学者などにおいて非常に重要な要素が「気付き」で、一流の研究者や学者は「霊感」が高いことが多いです。

また、芸術家や政治家といった方においては、「気持ち」と「気付き」の両方がかなり重要になってきますが、やはり一流の芸術家も政治家も「霊感」が高いことが多いです。

つまり、「霊感」が高ければ高い程、様々な「気持ち」や「気付き」が自分の内に起こりやすくなるので「才能」は上がります。しかし、電車の例が示すように、その弊害として生きづらくもなります。「霊感」はそういった諸刃の剣の構造を持っています。
 

【「霊感」を上げるために何が必要か】

我々人間は自分の「霊感」を自分で操作することはできません。生まれた時から「霊感」が高い人もいれば、ある人は生きている途中で「霊感」が高くなることもあります。

生まれた時から「霊感」が高い人の多くは、元々「霊感」の高い血筋に生まれている方です。例えば、代々受け継がれている巫女やユタの家系に生まれている方などです。そういう家に生まれた方の多くは、「霊感」が高いが故に「才能」を開花させるか、「霊感」が高いが故に「邪気」に取り憑かれ、精神病を患うかのどちらかのケースが多いです。

生きている途中で「霊感」が高まる人の多くは、目に見えない存在によって「霊感」を上げられた方です。自分自身の精神性が向上すると、目に見えない存在が「霊感」を上がることは少なくありません。つまり、神々といった目に見えない存在は、人間の「霊感」を操作できます。

「霊感」は諸刃の剣ですから、神々はその人間の「霊感」の高さをどのレベルまで高めるかを非常に悩ましく感じます。「霊感」を上げれば上げる程、その人間の「才能」は上がるが故に、その人間を通して世の中に良い影響を出しやすくもなるのですが、「霊感」を上げれば上げる程、その人間は邪悪な霊的存在(悪魔)に捕まりやすくもなるからです。

我々人間はどういう「気持ち」を抱くかによって、どういう霊的存在の「気」を「持つ」のかを決めています。良い「気持ち」を抱くのであれば、「良い気」を司る神々の「気」を「持つ」のに対して、悪い「気持ち」を抱くのであれば、「悪い気」を司る悪魔の「気」を「持つ」ことになります。

ですから、悪い「気持ち」を抱かないように魂が向上した人間に対しては神々は「霊感」を上げようと思います。「霊感」を上げても悪魔の司る「悪い気」=「邪気」に捕まる可能性がかなり低いからです。特に、神々と同じように、「世のため」に生きようとする人間に対しては、神々は「霊感」を上げようと思います。何故ならば、神々はその人間の「意志」を尊重したいと思う存在であって、その人間が自分の「意志」として、「世のため」に生きようとするならば、その夢の実現を手助けしたいと思うからです。

逆に言うと、「自分のため」に「才能」が欲しいと思っている人間に対して、神々は「霊感」を上げたいとは思いません。何故ならば、「自分のため」という「欲」の精神性が軸にあると、それは悪い「気持ち」なので、「悪い気」=「邪気」に捕まってしまうからです。神々はその人間が悪魔に捕まらないようにするために、「霊感」を上げないようにします。

ここまでの説明を理解して頂ければ、「霊感」を上げるために大事なことは、より清い精神性を自分の中に築き上げていくことであることが分かって頂けると思います。つまり、正しい「才能」を得る上で大事なことは、心の「清さ」です。

生きていると不愉快なことは必ず発生します。誰かの裏切り、自分のミス、その他様々な不愉快なことは自ずと発生します。そういった際に多くの方は自分の心を乱してしまうものですが、「霊感」が高い人が心を乱すと一気に「邪気」を集めることになり、「邪気」に捕まります。

ですから、どんなに自分にとって都合の悪い状況であっても、心を乱さないだけの「強さ」を獲得することが、正しい「才能」を手に入れるために大事です。先程は、「清さ」の重要性を書きましたが、それと同様に「強さ」も大事です。

「才能」とは「才能」を持つことのために欲しがるものではありません。その動機は「欲」であって、そういった「欲」を抱いている限り「霊感」は上げられません。そういう方向性ではなく、どうしても「誰かのため」「世のため」に生きたいと思い、その切実な夢の実現のために「才能」を必要とするならば、自ずと「霊感」は上がっていきます。

そういった正しい「動機」が大きければ大きい程、その人の心は乱れなくなりますから、神々は「霊感」を上げようと思います。つまり、どれだけ自分が「他者のため」に生きたいと思っているかが、「才能」の大きさに多大な影響を与えます。

ジョン・レノンは圧倒的な善人だったからこそ、「才能」を手に入れ、様々な素晴らしい曲を生み出し、音楽を通して、世の中に良い影響を残した方です。そういったジョン・レノンをお手本にして頂けると幸いです。