ここでは、新型コロナウイルスから身を守る上で大事なことを、心理学者・気学者の観点から書いていきたいと思います。基本的な予防法などについては、他の情報源から学んで頂きたいのですが、私としては私しか書けないであろうことを伝えるべきだと思っています。

ウイルスは見えないので、我々は正しい選択をしづらい状況にあります。例えば、電車に乗らなければならない時に、乗ってしまってはリスクの高い車両もあるかもしれませんが、一体どこの車両のリスクが高いのかは我々には分かりません。

できるだけ、そういったリスクを下げる上で大事なことは「気が進む」という言葉の持っている本来の意味を知っておくことです。我々人間は自分自身の「意志」で「気が進む」という状態を作ることはできず、「気」が我々を「進めている」のが実際です。

例えば、「今日はカレーライスを食べることに気が進む」という状態は我々が作っているのではなく、そういう状態は我々に起こることであって、「気」がそういう状態を作り出しています。

そして、「良い気」は我々に良い形で「気が進む」という状態を生み出します。だからこそ、「良い気」をたくさん抱えている時に、「なんだか、この車両に乗ることは気が進む」と思えれば、その車両はリスクが低い可能性が高いです。

自分自身が良い「気」を抱えているかは自分自身の「気分・気持ち」で分かります。「気分」とは「気」を「分かつ」と書き、「気持ち」とは「気」を「持つ」と書くように、「気」が我々の「気分・気持ち」に影響を与えているからです。例えば、「元気」なら「良い気」と共に生きている可能性が高く、「不安」なら「悪い気」と共に生きている可能性が高いです。

こういった構造が分かってくると、「良い気」に自分を「進めてもらう」ために、「良い気持ち」と共に生きることが今とても大事であることが分かってきます。

「良い気」と共に生きる上で最も大事なことは太陽を浴びることです。太陽は我々に「元気」という「良い気」を与えてくれるからです。また、「悪い気」を身体に溜めない上で有効な方法は長風呂をすることです。風呂は汗や血行促進を通して我々から「悪い気」を浄化するからです。そういった日常的習慣を実践しながら、「良い気持ち」と共に生きることを目指して生きることが大事です。

「気持ち」は「誰かのため(愛)」と「自分のため(欲)」という観点で二種類に分けることができます。そして、「誰かのため(愛)」の「気持ち」を「光の気持ち」、「自分のため(欲)」の「気持ち」を「闇の気持ち」と言います。

「誰かのため」を思う「光の気持ち」を抱いていれば、自ずと「光の気」を「持つ」ことを行ない「光の気」が我々を導きます。それに対して、「自分のため」を思う「闇の気持ち」を抱いていれば、自ずと「闇の気」を「持つ」ことを行ない「闇の気」が我々をコントロールします。

今、「光の気(良い気)」はコロナウイルスをできるだけ流行らせないように最善を尽くしているのに対して、「闇の気(悪い気)」はコロナウイルスをできるだけ流行らせるように努力を重ねています。

「闇の気」がコロナを流行らせようと動いていることを象徴する出来事はいくつかあります。例えば、先日愛媛でコロナウイルスに感染した男性がウイルスをばらまこうとしたことや、歌舞伎町でウイルス感染者が非常に増えていたことなどです。

ウイルスをばらまこうとした男性は「他者のため」を思う立場ではなく「自分のため」を強く思った結果としてこのようなことを起こしていますし、歌舞伎町は「自分のため(欲)」の街ですから、「闇の気」としてはウイルスを流行らせることを成功させやすかった形になります。

多くの方にとって、最も気を付けるべき「闇の気持ち」は「甘さ」です。「甘さ」とは多くの場合、「自分のため」を思うが故の「楽観」のことですが、そういった「甘さ」に同調すると「闇の気」に動かされてしまうからです。例えば、「今は手洗い・うがいしなくても大丈夫だろう」といった「甘さ」が命取りになるといった形です。

今、我々は大きな試練に直面しています。そういった試練において、「自分のため」に堕ちるのではなく「他者のため」を思い続けられるかが大きな勝負です。何故ならば、「他者のため」を思っていられれば「光の気」が我々を導けるからです。

家族と共に暮らしている人は、「家族に感染させないために自分が感染してはならない」と思えますし、一人で暮らしている人は、「自分が誰かを感染させることを促すウイルスの媒介者になってはいけない」と思えると思います。

そういった「他者のため」を思う「光の気持ち」を貫くことが、実は今の状況において最も大事なことです。