大分に移住してから二ヶ月半が経過しましたので、近況報告を書かせて下さい。また、経済的に大変厳しい状況ですので、その点についても書かせて下さい。
 

【近況報告】

近況については「様々な事柄の研究と文章作成」、「音楽」、「実際の生活スタイル」の三つの点に分けて書いていきます。


[様々な事柄の研究と文章作成]

大分に移住してからも相変わらず毎日何かを研究することを続けています。例えば、最近NHKが制作している『映像の世紀 バタフライエフェクト』というドキュメンタリーシリーズをNHKオンデマンドから観たり、チベットの尼僧に関するドキュメンタリーをアジアンドキュメンタリーズという動画配信サイトから観たり、YouTubeで重要そうな報道を観たりといった形で、他にも様々な物事に目を通し分析しています。
 


ちなみに、一番最後の映像はこの二ヶ月半の中で観た世界の現状を伝える報道の中で最も印象に残っているものですが、非常に重要なものだと思っています。というのも、人間が生きていく上でこのレベルの酷い地獄はなかなか無く、こういう映像を教訓に、このような状況を作り上げない上で何が必要なのかを学ぶことができると思うからです。

最近は耳の調子が悪いこともあって、音楽よりも文章の作成の方に重点を置いているので、色々な文章をアップしています。まだ心に関する最基礎の部分を書き切ることができていないので、その部分を埋めていけるように文章を書いていますし、重要な映画の一部の解説を色々書いている途中です。


[音楽]

様々な「チューニング」と様々な「リズム」のことを学んでいます。何をやっているかというと、ライアーハープの「チューニング」を50種類程試したり、自分の心に浮かんでくる「リズム」を大太鼓で何十種類か試したりといった形です。

太鼓の方はスマートフォンで録音してしまっているので大変音も悪いですし、太鼓に関しては技術がまだ圧倒的に足りていませんが、ライアーハープの方はこれから作っていく様々な音楽で使うためにある程度のレベルでは録音しています。

この「チューニング」と「リズム」については2つのYouTubeチャンネルを新しく作ってそのチャンネルに何年もかけて整理していくつもりです。「チューニング」のチャンネルには「癒し」の方向性、「リズム」のチャンネルには「覚醒」の方向性の音を整理していくつもりです。
 

・「チューニング」

それぞれの「チューニング」は異なる「神秘」へ通じています。どの「チューニング」を使うのかということはどの音階を使うのかということであって、音階が違うとかなり精神性が異なってきます。

特に、五音音階のバリエーションは膨大であって、様々な五音音階の可能性を50種類近く試し録音していました。こういう研究をすることで、それぞれの「チューニング(音階)」の意味を体感していくことができますし、その意味についても学ぶことができます。

日本の精神性と五音音階は大変密接な関係にあります。だからこそ、五音音階の意味を音楽と言葉で体系的に整理し伝えていくことは日本のこれからの音楽において非常に重要な部分だと思っているからこそ、この研究をしています。録音したものの一部を貼り付けておきます。

 

以下の音は別の「チューニング」のライアーハープの音にチェロとコントラバスを足していますが、まだいい加減に足した状態なので色々問題があります。ただ、こういった形で、ライアーハープに弦楽器の音を足していくことで、そのチューニングの世界観を深めることを目指していることは伝わるかもしれません。

 

・「リズム」

それぞれの「リズム」は異なる「神秘」へ通じています。特に、大太鼓を使う場合はその「神秘」をよく感じることができ、大太鼓の技術的な修行を行なうと共に、それぞれのリズムの持つ「神秘」を体験を通して感じ取ることを続けています。

例えば、「麒麟」という霊獣がいますが、比較的「馬」と似た体を持ちます。だからこそ、「麒麟」と「馬」は比較的似た走り方をすることが予想できます。そして、「馬」が走る時の「リズム」は「馬の気」の本質を伝える音であるのに対して、「麒麟の気」は「馬」よりも「凄まじさ」のあるものであるはずで、その音を探し、その音を経験するようなことをしています。以下の短い動画から馬が走る時の「リズム」は確認できます。
 


このことと同様に、「龍のリズム」だったり、「虎のリズム」だったり、様々な「リズム」があります。そしてその本質を感じるためには、自分自身に「龍の気」や「虎の気」を宿すことによって自身を「龍化」「虎化」させる必要がありますが、太鼓を叩くことによって、そういう「〜化」を促せるところがあります。

つまり、何らかの重要な「気」の本質を伝える「リズム」を探し、その「リズム」の本質を学ぶために、実際にその「リズム」を叩きながら、自身を「〜化」させるといった形です。この一連のプロセスを音が導いてくれています。

「リズム」の習得というものは本来このような形で行われるべきだと思っています。そういうことを促していくためにも、それぞれの「リズム」の意味を音と言葉で自分が他人に伝えられるようにする必要があると思っています。
 

[実際の生活スタイル]

起床後、薪を拾うなどの作業、部屋の水拭きなどの掃除、水やお湯で身を清めるといった浄化を行なってから、食事をしながら研究などを始め、その後は楽器の練習・録音をし、夜飯を食べて風呂を薪で沸かして入って寝るということの繰り返しです。かなり家事で時間を奪われてしまうので、大変バタバタした形で日々を過ごしています。

また、引っ越してきてから大家と一緒に五右衛門を作っていましたが、そのための石をひたすら運んでいたところもあります。あと、非常に激しい台風が以前やってきましたが、その後の片付けもなかなか時間のかかることでした。道路も木で塞がってしまっていたので、その撤去などもしていました。

食糧供給については、一週間に一度程度山を下りて買い出しに行き、一週間の始めの夜には大体五日分のカレーを作り、それを五日連続で食べるといった形です(1日2食です)。本当は畑を始めたいのですが、鹿対策の柵のための材料を買うお金が無く、まだ畑はちゃんと始められていません。自生している食べ物などは食べています。

このような形で、山の中で淡々とせかせかと地道に日々を過ごしています。


【経済状況】

今現在全財産は財布の中身も合わせて200円程度で、なおかつ、クレジットカードの使用可能枠が大幅に減額されたこともあって、いざという時のクレジットカードは使えなくなり、手元にあるお金でなんとかやりくりしている状況です。現状、ほぼ何も買えない状況です。

昨日は買い出しをする日でしたが、健康のために本当は買いたかった果物や野菜も買うことができず、栄養バランスは若干懸念されます。貧乏でも健康はかなり気を付けるようにしているのですが、最近は経済的にそれが厳しい状況です。

湿気に弱い楽器も少なくないのですが、初めて九州の山の中で過ごす夏は湿気との闘いで、ヴァイオリンが若干壊れてしまいました(指板が浮いてしまっています)。ただ、修理も1〜3万円かかると言われていて、現状修理できておらず、この状態で演奏・録音を重ねていくことにより致命的に楽器が壊れてしまうことを懸念しています。また、ヴィオラの弦なども切れており、予備の弦を買う余裕もないので、練習や録音ができていません。そういう経緯があって、上の録音ではチェロとコントラバスのみを足しています。

また、お金があれば修行・研究・撮影のために行くべきと思っている山・滝・神社・お寺などもあるのですが、ガソリン代を節約するためにほぼどこにも行っていません。あと、お金があれば本当は制作し始めるべきオリジナル楽器などもあるのですが、経済的な問題が故に何も始められていない状況です。

このような形で、経済的な問題が故に色々なことに支障が出ている状況になります。もし、寄付をして下さる方がいらっしゃいましたら、以下の口座までお願いできると幸いです。

りそな銀行 福岡支店(店番号:711) 口座番号 0255762(普通預金) 芦刈 純(アシカリ ジュン)


【最後に】

二ヶ月半前の近況報告に書いていることは今回書きませんでしたが、その時の近況報告にこの山籠り修行の意味はよく書けていると思うので、合わせて読んでみて頂けると幸いです。

http://junashikari.com/diary/recent-situation-20220808/

このホームページには、人が生きていく上で知っておくべきことをまとめ上げようとしています。その作業は果てしなく、書かなければならない文章は1000個以上あり、それを一つずつ埋めている感覚です。

また、色々な楽器をやっていますが、一つの楽器だけ向き合っていても一生は終われる程に一つ一つの楽器は深く、にも関わらず、音楽以外のこともやりつつ、様々な楽器をある程度のレベルにしようとしているのはそもそも無茶な計画です。しかし、自分が心に感じている様々で膨大な「神秘」の精神性は、他の演奏家に依頼して表現してもらえるような音ではないので、自分自身が様々な楽器を使えるようにする他ないと思っています。

さらに、まだこの世にはない楽器の音色の必要性も感じていて、そのために新しく楽器を作りたくも思うのですが、そういった楽器制作も非常に時間のかかることなので、時間が惜しくてしょうがなく思っています。

そういった感じで時間の無い中、「稼ぐ」ためにコンビニでバイトをしたり、映像や音楽でギャラが発生するような仕事をこなすのは、あまりにも時間がもったいないと思っています。

そう思うからこそ、バイトも仕事もせずに山籠りをしているわけですが、今の世の中で「需要」のあることをやっているわけでもないので、このような苦しい経済的状況を迎えています。ただ、「需要」がなくとも、本質的に「必要」なことをやっている自負はあります。

どんなに素晴らしい映画が生まれても、人はただ消費するだけで、半年後には忘れているような現状を変えたくてしょうがないと思っています。だからこそ、重要な映画の解説を徹底的に揃えたいと思っていますし、自分がそれをできるようにするために、日々心について修行・研究しています。

また、薄っぺらい音楽があまりにも多くなってしまっている世の中だからこそ、それとは相反する徹底的な「神秘」と「深み」の音楽を見つけていきたいと思いますし、そういう音楽の作り方を伝えたいと思っています。音楽は人間に最も精神を教える芸術なので、音楽が「深み」を持つことは日本人が「深み」を持つことと繋がっています。

また、本質が見えていない政治家は少なくなく、そんな人間が政治を動かしているが故に、根本的な問題が何も解決されないこの国を見ていると本当に馬鹿馬鹿しく思え、少しでもそんな現状を変えるためにも本質を整理したいと願って生きています。

それは政治だけでなく、何でもそうで、この前たまたま『あざとくて何が悪いの?』という番組の動画をYouTubeで見て、ひろゆきと田中みな実が危険な思想を撒き散らし、それに共感するコメントが溢れる現状を見ました。
 


この動画の中での恋愛相談について、ひろゆきは「好きじゃない人と付き合って振るっていうのを何回かすればいい」と言い、田中みな実は「たまにクズをつまみ食いしてもいい」と言い、コメント欄を見ると、多くの視聴者がそれに共感しひろゆきや田中みな実を好意的に受け止めているのが分かります。

そんな現状を見ると、「世も末だ、、、」と思わずにはいられず、全身に絶望感が走ります。ひろゆきや田中みな実のような人間に共感できてしまうことが、自分にはよく分からないのに対して、共感できてしまう日本人が結構多いからです。そもそも、ひろゆきや田中みな実のように、「善意」に欠けた人間が影響力を持つ場面がかなり多くなってきている日本の現状は非常に問題だと思っています。

本質が見えない世の中だからこそ、ひろゆきや田中みな実のような人間が我々に与える毒林檎を毒と知らずに食べてしまう日本人は少なくないと思います。その結果、その毒林檎を食べた人は生き方が少し悪化してしまうので、周りの人に悪影響をより与えやすい人間になってしまい、そんなことの連鎖の中で、社会は少しずつ悪くなると思っています。

そんな問題が見え過ぎるからこそ、それを止めるために自分にできることはしようと思い、ただ淡々と地道に日々を生きています。100人に1人でも、その人が非常に高い意識で100人分の仕事をすれば、この国の悪化は止められるかもしれないと思っています。また、その人の才能によっては1000人分の仕事も、10000人分の仕事もできると思っています。

そんな人を1人でも増やし支えることができる情報を整理するために、まず自分が学ぶことを重要視していますし、その学びを体系的に整理することを目指しています。

言葉を通して心のことを説明することも、音を通して心のことを整理していくことも、ようやく本格的に始まったような気がしています。逆に言うと、今まではそういう説明・整理をするに当たっての準備段階だったようにも思えます。

まだ相変わらず「シェア」よりも「学び」や「修行」の方に比重を大きくしていますが、「学び」を得ながら「シェア」するに値する文章や音を保存していくことをやっていきたく思っていますし、そのことに集中していきたいと思っています。