日本人の「甘さ」の小ささが生むもの
2018.05.05 心の成り立ち(基礎:その他)
日本人が色々な仕事をきちんとする国民なのは「甘さ」があまり無いからです。もちろん、完璧に「甘さ」が無いわけではないですが、他の国よりは小さいです。
「甘さ」は本質的に良くないものなので、日本人の「甘さ」が小さいことはいいことなのですが、これが日本の息苦しさの原因にもなっています。
「甘さ」が小さいからこそ、他の国と比べてミスが許されず、だからこそ我々はミスをしないように生きなければなりません。それが「不安」や「恐怖」などに繋がっていきます。日本人が人目を気にするタイプであることも、ミスに対する「不安」や「恐怖」を強くしています。
また、「甘さ」が小さいからこそ例外を認めない傾向を持っていて、白か黒かをはっきり付けられてしまいます。そういったことが「嫌悪」や「怒り」などに繋がっています。特に、白黒付けられたことによって自分が「不利益」を受ける立場になった時に人は「嫌悪」や「怒り」を抱きます。
そして、日本人は「ルール」に従う国民性を持っています。言い換えると、「ルール」は正しいと盲目的に思っている国民です。そんな国でありながら「甘さ」がないものだから、「ルール」が絶対になってしまい、我々は「ルール」によって「不自由」になっています。
「愛」は時に「ルール」を破ることを促します。何故ならば、「ルール」を違反した者を「許す」ことに繋がるからです。逆に言うと、「愛」が無ければ「ルール」を違反した者を「許さない」社会になっていきます。
何故ならば、その人だけ「許される」ということが「不公平・不平等」に見えるからです。「平等」という言葉は聞こえはいいのですが、「平等」を求める精神と「欲望」が重なった時、「平等」という考え方は「欲望」を肯定するための大義にすり替えられます。
つまり、誰かが「許される」ことが、その人が「得」をしているように見えて、そのことで自分が「損」をしているように思え、その結果として、許された人を「嫌悪」や「嫉妬」するようになります。こうやって、「ルール」違反した者を「許さない」社会が生まれていきます。
この傾向は最近は特に顕著で、不倫や不正が一切許されない社会となっており、そういうことが起こると責任を取らされる社会です。こういう風になると、ますます人々は「恐怖」や「不安」に堕ちやすくなります。不倫や不正は良くないですが、一度の失敗で首を切るような社会は良くないです。「愛」が欠けていってるから、こういう社会になってしまっています。
日本人に「甘さ」が無いことはいいことです。しかし、「愛」も同時に欠けていっていることが、日本の息苦しさに繋がっていることを知って頂けると幸いです。
逆に言うと、もし日本人が「愛」を取り戻すのであれば、「甘さ」が無いことがいい形で作用します。「甘さ」が無いことは、いい仕事に繋がっていくからです。
最後に整理すると、「甘さ」が小さいからこそ「ルール」違反を許さず、「愛」が欠けていっているからこそ「ルール」違反を許さず、「ルール」が絶対に正しいと誤解している国民性を持っているからこそ「ルール」違反を許さないという、この三点が日本の息苦しさの一つの原因であることを意識化して頂けると幸いです。
※ということを、「愛」と「甘さ」が強いタイにいるとよく分かります。タイは「愛」と「甘さ」が強いからこそ、受け入れてはならないものを「許容する」ことを行ない過ぎていて、それが社会に悪影響を与えています(例:様々な性的ビジネス)。日本はその逆に、受け入れるべきものを「許容しない」ことを行ない過ぎていることが社会の生きづらさに繋がっている形になります。前も書きましたが、このような形で旅は日本のことを教えてくれます。だから、旅は大事です。