「正夢」「悪夢」という言葉は現代の我々でも使います。また、「夢占い」というものもあります。寝ている間は神々も悪魔も我々に関与ができますが、その1つの方法が「夢」です。「夢」は神々も悪魔も我々に「感情」と「アイデア」を植え付けるための手段として使っています。以下、そのことについて説明していきます。
 

[夢を覚えているかどうか]

神々が夢に関与する場合、何か我々に重要なことを伝えようとしてきます。重要なことは、その夢を覚えているかどうかという点です。我々は自分の「意志」でどの「記憶」を覚えて、どの「記憶」を忘れるかということを決定できません。つまり、「記憶」は我々の「意志」を超えています。では、誰が「記憶」の管理をしているかというと、神々と悪魔です。「記憶」についてはこちらに詳しく書いています。

・記憶について
http://junashikari.com/body/記憶について/

我々はいつも夢を見ますが、起きるといつも忘れています。何故ならば、その「記憶」が不要であるが故に、我々が目覚める時に神々がその夢の「記憶」を消しているからです。ですから、そのこととは逆に、我々が起きた後も覚えている夢の「記憶」とは、覚えるべきだから覚えています。つまり、そこに何らかのメッセージがあるからこそ、我々は覚えています。

しかし、悪魔も我々の「記憶」に関与できます。そして、悪魔は我々にとって非常に悪い「記憶」を我々に覚えさせます。基本的には目覚めた時に神々が夢の「記憶」は消し、重要な「記憶」は残すのですが、悪魔からの「闇の気」を脳に多く抱えている人は、悪魔によって見せられた「悪夢」を覚えさせられます。

自分の状態がとてもいい人は「光の気」で満ちている人であって、そういう人は脳も「光の気」で満ちているので、覚えている夢があったとしたら、それは神々が残している夢の「記憶」です。それに対して、自分の状態があまりよくない人は「闇の気」を多く抱えている人であって、そういう人は脳も「闇の気」が多い可能性が高いので、悪魔によって覚えさせられている夢の「記憶」もあるかもしれません。

いずれにしても、覚えている夢の「記憶」とは神々か悪魔が我々に残したものです。神々はその「記憶」が我々の助けになると思っているからこそ残しており、悪魔はその「記憶」を通して我々を苦しめるためにその「記憶」を残しています。

神々も悪魔も夢を通して、我々に「感情」と「アイデア」の「植え付け」を行ないます。以下、そのことについて書いていきます。
 

[神々が見せる夢]

神々が見せる夢の1つが「正夢」であって、近々起こり得る何かを我々に伝えています。誤解を防ぐために書いておきたいのですが、未来は決まっておらず、神々でさえも分かりません。しかし、起こり得る可能性が高いことは神々は分かります。そういったことを伝えるために、神々は「正夢」を我々に見せ、それを覚えさせます。

また、「正夢」だけに限らず、例えば、ものすごく昔の友人や家族が突然夢に出て来たりします。そういった時は、何かそういった人達が問題を抱えているから助けてあげてほしいというシグナルであったりします。私はよくこの方法で神々からメッセージをもらっています。

他人だけではなく、自分自身についての情報を神々が自分に知らせるために、神々は我々に夢を見せます。例えば、私は自分の前世を夢で見たことがあります。それを知るべきだからこそ、神々は私に見せた形です。また、最近知人から聞いた話だと、その方は夢の中で友達が「小さいピッコロ」と言っていたのをどうしても覚えていたと言います。そして、その方がイタリア旅行に行った時に、イタリア語で「ピッコロ」とは「小さい」という意味であることを初めて知ったと言います。これは何を意味するかというと、彼の前世がイタリア人であることを伝えるために神々が作ったからくりになります。夢を見た時、彼はイタリア語なんて知りもしませんでした。しかし、夢の中で「小さいピッコロ」と誰かに言わせ、それを覚えさせることで、イタリアが自分にとって重要であること、そして神々がこの夢を見せたということを、神々が彼に確信させたかったからです。では、イタリアが何故重要かというと、彼の前世がイタリア人であるからです。

このようにして、夢を通して我々は神々とコミュニケーションを取ることができます。「小さいピッコロ」という言葉のように、偶然とは考えられないような構造にして、神々は我々に夢を見せることもよくあります。しかし、そのことをよく分析しないと神々が何を我々に伝えようとしているかが分からないので、そこはよく考える必要があります。

以上の方法は全て、夢を使った「アイデア」の「植え付け」です。「情報」とも言えます。「正夢」も、大事な人を助けるための夢も、自分について知るための夢も、全て何らかの「アイデア」を我々にもたらすために神々が見せています。
 

こういった「アイデア」だけではなくて、神々は「感情」も植え付けます。そういった場合は一体どのような夢かというと、例えば大自然の中でとても気持ちよくしている夢を我々に見せたりします。それを見せることによって、自然の素晴らしさを知ってもらい、日常生活の中で少しでも「自然に触れたい」と思ってもらうことを神々は希望しています。

たとえ夢の中でも大自然の中で気持ちのいい「感情」を経験したということは魂に刻まれます。そうするとどうなるかというと、現実の世界の中でも自然に触れたくなります。神々は基本的に我々人間に自然に触れてほしいと思っています。だから、このような気持ちのいい夢を見せることによって、自然を感じている時の「感情」を覚えさせます。そして、その「記憶」は我々の「潜在意識」に刻まれ、潜在的に少しだけ前よりも自然を求めるようになります。

「潜在意識」とは、文字通り「潜在的な意識」のことです。我々は自分が何かを「選択」するということを魂の「意志」によって行なっていますが、「潜在意識」とはそういった我々の「選択」の以前にある、我々の「趣味」のことです。一体どういったものが好きなのか、どういったものが嫌いなのか、ということが「潜在意識」だとここでは大雑把に理解して頂ければ、と思います。

自然に触れて気持ちがいい経験を夢の中で経験させることによって、少し魂の「趣味」を神々は変更します。神々は私達自身のためにそういったことを必要な時は行ないます。この「趣味」の若干の変更のことが、夢を使った「潜在意識」に対する「感情」の「植え付け」です。

このように、神々は夢を使って「アイデア」と「感情」の「植え付け」を行なっています。そして、それは悪魔の場合も同じです。しかし、悪魔の場合は神々と動機が違うので、その目的が異なってきます。悪魔が行なう「感情」と「アイデア」の「植え付け」について書いていきます。

 

[悪魔が見せる夢]

悪魔が見せる夢の多くは「悪夢」です。どうして「悪夢」を見せるかというと、「悪夢」を見せることを通して、我々の「潜在意識」を少し「闇」の方向へ変更できるからです。例えば、その人にとってものすごい「恐怖」を抱くような体験を夢の中でさせます。すると、現実の世界の中でも少しそのことが怖くなり始めます。

例えば、あるお店をやっている人が、店に全然お客が来なくなるという夢を悪魔は見せます。こういった夢を見ると、その人は現実の世界でもお客が来なくなることが少し怖くなります。そうすると、その魂を「恐怖」に寄せていけるので、悪魔はその人間を「コントロール」しやすくなります。なぜならば、その人間が「闇の感情」を持てば悪魔は「闇の気」を入れることができ、その人間を「コントロール」できるからです。

我々の感情と思考の原因は「気」です。ですから、悪魔から「闇の気」をもらうと、感情と思考を「コントロール」されてしまいます。そして、いつでも悪魔が我々に「闇の気」を入れることができるわけではなく、我々が「闇の感情」を持つ時です。ですから、悪魔は我々に「闇の感情」を持たせようとしてきます。そのために、我々の「潜在意識」を「闇」に寄せようとします。その1つの方法が「悪夢」を使った方法です。

これは先程の神々が自然に触れる夢を見せる場合も同様です。自然は神々が支えています。ですから、自然に触れると神々の「光の気」を摂取することになります。そうすると、神々は我々に「導き」を行なうことができるので、神々が我々の生を支えやすくなります。そのために神々は我々の「潜在意識」を「光」に寄せようとします。その1つの方法が夢を使った方法です。
 

また、悪魔が行なう「アイデア」の「植え付け」はその人間を狂わせるために行ないます。例えば、自分の恋人が浮気をしている夢を見せることによって、その恋人が浮気をしているのではないか?という「疑い」の「アイデア」を与えます。この例は「潜在意識」に対する「疑い」の「植え付け」とも言ってもいいです。なぜならば、こういった夢を見ると、現実世界においても少し恋人に対する「疑い」の気持ちが増すからです。

また、酷い場合は本当のことを悪魔は人間に夢を通して教えます。例えば、本当に自分の恋人が誰かと浮気をしていて、誰と浮気をしているのかを夢の中で見せるといった方法です。そうすると、その夢を見た人としては恋人の浮気を明らかにしやすくなります。それで浮気を発覚し、悪魔が二人を別れさせる方向に持って行くといった方向性です。その恋人が運命の人であれば、余計に悪魔はこういったことを起こそうとします。何故ならば、運命の人とは神々が決めるものであって、運命の人同士で結婚されて、うまくいってしまうと、この世の「光」が少し強くなってしまい、悪魔としては都合が悪いからです。

とにかく、悪魔は他人の不幸を面白がるからこそ、「闇」を強くしたいからこそ、こういった「アイデア」の「植え付け」を夢の中で行ないます。

このような方法で、悪魔は「悪夢」を使い、我々の「潜在意識」に「闇の感情」の「植え付け」を行ない、そして「闇のアイデア」の「植え付け」を行ないます。そのことによって、我々を少しずつ「闇」に落としてきます。それに対して、神々は我々を「光」に寄せるために、我々の「潜在意識」に「光の感情」の「植え付け」を行ない、そして「光のアイデア」の「植え付け」を行ないます。

 

[映画『インセプション』について]
 


そういった、神々や悪魔が夢の中でよくやっていることを映画で表現した作品が『インセプション』です。あの映画の登場人物達はターゲットの夢の中に侵入し、その夢の中でターゲットに何かを体験させます。そして、その体験によってターゲットの潜在意識に何か「アイデア」や「感情」を植え付けていくというストーリーです。タイトルの「Inception」は「植え付け」という意味であり、「アイデア」の「植え付け」を意味しています。登場人物達が神々や悪魔の立場の魂だと思って、あの映画を見ると様々なことが分かるようにできています。『インセプション』の監督はクリストファー・ノーランですが、彼は水星神と繋がった映画監督であって、重要なメッセージを持った映画ばかりを創っています。

これは映画のネタバレになってしまいますが、「闇のアイデア」の「植え付け」によって死んでしまったのが、主人公のコブの奥さんです。そして、コブはその「植え付け」を行なってしまった張本人です。あの映画の中では如何に「アイデア」というものが我々の人生を狂わせるかということを描いています。そのことが亡くなったコブの奥さんによく象徴されています。

そして、そのことについて「罪悪感」を感じているコブの姿とは、実は神々の姿です。神々はその人に善かれと思い、何らかの「アイデア」を人間にもたらします。しかし、時として、それは非常に稀ですが、その「アイデア」がその人間に悲劇をもたらすことがあります。「愛」の強い魂にとって、自分の手で愛する魂を苦しめてしまうこと程苦しいことはありません。「愛」が強いからこそ「罪悪感」に堕ちてしまうとは、神々であっても起こることです。神々が経験している魂の試練とは、そういった試練だと理解して頂ければ、と思います。コブは神々が経験しているような試練を経験している人間であり、神々程には魂が強くないからこそ、「罪悪感」という闇に強く堕ち、夢の中で偽の奥さんと会い続けるという「逃げ」に堕ちてしまった人物として描かれています。

『インセプション』を通して我々が理解すべきことは、神々と悪魔が我々の夢の中で何を行なっているのか、「アイデア」とは如何に我々の人生に影響を与えるものなのか、夢によって「潜在意識」とはどのように変更されるのか、といったことです。そういった重要な要素が非常に強く詰まった映画なのですが、この映画もこういった解説無しに理解することは難しいです。ですから、こういった解説とセットで鑑賞して頂ければ、と思います。

 

[夢占いについて]

「夢占い」というものがありますが、これは非常に注意すべきものです。どうしてかというと、「夢占い」は使い方によっては我々の人生を狂わせるきっかけになるからです。

ここまで読んで頂ければ分かるように、夢は神々か悪魔が我々に見せています。しかし、「夢占い」のスタンスとはそのようなものではなく、「Aという夢を見たら、その意味とはBである」といったことを整理した、夢のガイドブックのようなものです。ゆめ占いは、その夢を神々が見せたのか悪魔が見せたのかは一切考えないので、本質的に間違っています。

夢占いの代表的な例として、「白龍は富の象徴」というものがありますが、そのことについて例を上げて説明していきたいと思います。

もし神々が何らかの夢を見せる場合、我々に重要なことを伝えるために「夢占い」というガイドブックの説明の通りに夢を見せることはあり得ます。しかし、本当は神々はそれはしたいと思っていません。何故ならば、「夢占い」自体が間違っており、「夢占い」が正しいと思われるようなことはしたくないと思っているからです。だから、「夢占い」通りに夢を見せることはあまり多くないと理解して頂いた方がいいと思います。

例えば、ある人が会社を辞めて、とてもいいお店を開こうと考えていたとします。しかし、まだ少し迷っています。そういう時は、神々はその人の背中を押したいのであれば、そのお店を開いてとてもうまくいっている夢は見せるかもしれません。「夢占い」において「白龍は富の象徴」と説明しましたが、神々がそのお店を開くことの背中を押したいが故にその人に白龍の夢は見せません。何故ならば、そのお店を開くといいというようなメッセージは白龍を見せなくても、見せることができますし、神々は極力「夢占い」は使いたくないからです。

ただ、神々がどうしても「夢占い」を使わざる得ない状況もあります。非常に切羽詰まった状態などの時に、その人が「夢占い」を随分信じているのであれば、止むを得ず「夢占い」通りに夢を見せます。しかし、これはかなり稀だと思いますし、夢を見せる神々にも依ります。

 

それに対して、悪魔はどのように動くかというと、もしその夢を見る人が「白龍は富の象徴」であることを知っているのであれば、白龍を見せたりします。神々と異なり、悪魔は「夢占い」を使いたいと思っています。何故ならば、悪魔としては、人間が「夢占い」を信じれば、非常に「コントロール」しやくなるからです。しかし、悪魔は人間の不幸を見て面白がる存在なので、店を開いても難しそうな人に対して、そのような方法を取ります。そして、その人が店を開いて失敗しているのを見て、後ろで笑っています。

この例から理解して頂きたいことは、「夢占い」の内容を使わなくても、夢を通して直接的に伝えられるメッセージであれば、神々は基本的にストレートに夢を表現するということです。それに対して、悪魔は「夢占い」通りに進めたいと思っています。

ですから、何が言いたいかというと「夢占い」は知らない方が無難ですし、「夢占い」で描かれている通りの夢を見たとしても、あまり信じるべきではありません。何故ならば、「夢占い」通りの夢を見たとしても、その夢は悪魔が見せている可能性が高いからです。

ただ、実際はもう少しケースバイケースであり、悪魔が何か人間にさせたい時に「夢占い」を使うということはあります。例えば、先程の例で言えば、新しく開くそのお店が悪魔にとって都合のいいお店であるならば、悪魔はその人に白龍の夢を見せて、店を開かせ、その店がうまくいくように仕向けてきます。例えば、風俗店や「闇」の強いバーなどであれば、悪魔がそこを使って「闇」を広げられるので、悪魔がそのお店にお客を回したりします。それによって、そのお店は成功したりします。

しかし、この場合の成功とは当然、闇の成功であって、悪魔と手を組むことによって得た成功となります。悪魔と手を組んでも、悪魔は気まぐれなので、我々を支え続けることはありません。そうすると、どこかで必ずそのお店は堕ちていきます。ですから、店は開いて成功はしたけれども、長い目で見ると、失敗になります。ということは、この「夢占い」は間違っていたことになります。

(余談ですが、今の世の中は「成功」という価値基準が異様にもてはやされています。しかし、それが光の成功なのか、闇の成功なのかは今の人間は全く吟味しません。「成功」自体には何の意味もありません。その「成功」によって、社会にどのように影響を与えたのかということに意味があります。「光の成功」であれば、社会はいい影響をもらいますが、「闇の成功」であれば、社会に悪影響を出します。ですから、人間はもっと「光の成功」を目指すべきです。「成功」については、別で文章を書きます。)

そういう意味で、「夢占い」を使うと基本的に悪魔に関与されます。悪魔に関与されても当たることはありますが、それで当てられても悪魔と手を組むようなことになり得ます。ですから、悪魔と手を組まないためにも「夢占い」は使うべきではありません。悪魔から何か与えられる場合、必ず何かを奪われます。光は「ただ与える」に対して、闇は「ギブ&テイク」だからです。悪魔から何かを得る方法の1つが「アイデア」を得るということです。「夢占い」は悪魔から「アイデア」を得るための方法として使われてしまっています。

だから、そういう意味でも「夢占い」は使うべきではないということは知っておいて下さい。