※この文章はタイの性ビジネスに触れていますが、自分自身はそういったビジネスのお客になったわけではなく、ずっと撮影をしていた形になります。また、現地の人々から話を聞くことによって調査していた形になります。誤解を防ぐために最初にこれを書いておきます。ここでは、プーケット島のナイトライフのことを通して、タイが抱えている「欲望」について書いていきます。


【パトンビーチについて】

水掛け祭りの調査が終わった後、自分はバンコクからプーケット島に移動し、パトンビーチという場所にいました。パトンビーチを選んだ理由は、観光ビジネスがどのようにタイの「闇」を強くしているのかを調べるためでした。

パトンビーチは予想を圧倒的に上回る酷さで、ビーチの近くに歌舞伎町があるような感じの場所でした。お酒を飲ませる店、性的ビジネスに関するお店、クラブが立ち並んでいます。

メイン通りでは、テーブルの上でポールダンスをしているタイ人女性がたくさんいて、性的サービスに関するキャッチの人々がたくさん路上にいます。それぞれの飲食店から聞こえてくるクラブ音楽の音も大音量で、その場の様々な要素が人々に強い「欲望」をもたらしていました。

タイのこういう地域では売春が当たり前に行われていて、白人男性とタイ人女性が手を繋いでホテルなどに向かって行く様子をどこでも見かけます。バンコクではナナが特にそういうことに特化した地域ですが(前回調べました)、ナナとは違った形の酷さがパトンビーチにはありました。
 

【パトンビーチがどのように人々に「性欲」をもたらしているのか】

パトンビーチでは、如何にお客の「性欲」を掻き立てるかが勝負になってしまっています。多くのお店はチャージなどは取らず、ドリンク代だけなのですが、チップと引き換えにお客が女性の体を触ることを許可したり、ドリンクを奢ることを求められたり、といった形です。

日本でもこういった商売はあると思いますが、日本と圧倒的に異なる点は色々な性に関することが表に全て出ている点です。例えば、日本でもポールダンスをやっているお店はありますが、お店の中でやっているのに対して、タイでは路上から見えます。また、日本でも男性が女性に触れることを商売にしているお店はありますが、タイでは路上からそういう光景が見えたりします。

また、これはバンコクのナナなどが顕著ですが、日本では売春婦があからさまに路上に立っていることはないですが、タイでは露骨に立っているので、男性達はどの女性にするかを選ぶ中で「性欲」を掻き立てられています。

ただ、ナナではポールダンスなどは無く、女性は立っているだけなのに対して、パトンビーチではポールダンスによって、女性が男性の「性欲」を積極的に上げようとしている対立軸があります。そういう意味では、パトンビーチはナナなどよりも、商売をしている人達が観光客の「性欲」を上げることに対して、かなり強く関与している地域と言えます。

表に出ている性的な表現だけから「性欲」を掻き立てられるだけではなく、当然お店の中に入ったら、女性達は男性達からお金を得るために男性の「性欲」を掻き立てようとしています。そういった様子さえも外側からよく見えます。

「性欲」という「欲望」との闘いは人間が存在する限り、絶対に終わらないものです。だから、どのような性的ビジネスが人間にどのような「性欲」を与えるのかを理解することは、敵を理解する意味で大事です。

整理すると、日本では表に性的な表現があまり出ていないのに対して、タイでは表に露骨に出ている、という対立軸があります。そして、タイ国内だと、パトンビーチでは商売をしている人達が積極的に「性欲」を上げようとしているのに対して、ナナではお客さん側の男性が立ちんぼの女性を見たり選んだりする中で、勝手に「性欲」を上げているという対立軸があります。

パトンビーチのような場所に行くと、視覚的にも聴覚的にも場所の空気感に人は飲み込まれ、普通の自分ではなくなります。それを楽しむことを目的としている人がこういった場所に行くわけですが、「欲望」を自分の中に抱えることは爆弾を自分の中に抱えるようなものなので、近づかない方がいいです。


【こういった場所の危険性】

こういった場所の危険性を本当に深く知るためには、「気」のことを前提に説明する必要があります。このような場所は「欲望」の「邪気」に満ちているので、この場所にいるだけで「邪気」を吸います。そして、そういった「邪気」がポールダンスをする女性の姿やクラブ音楽などをスイッチとして、どんどん我々の心の「欲望」を強めます。そういった構造があるからこそ、こういう場所に行くと「欲望」が異常な程に強くなり、普通の自分ではなくなります。

そして、そういった自分の心の中の「欲望」が自分の心に「もっと楽しみたい」という気持ちを作り、その気持ちが引き金となって、お店の中に入ることを自分自身が「選択」し、お店の中に入るとお酒を飲むことになるが故に、より「霊感」=「気を感じる感度」が上がり、そんな状態で「邪気」を吸い続け、なおかつ、色々な「性欲」を掻き立てる要素がお店の中にあるものだから、さらなる「欲望」のサービスを「選択」し始めます。

このような構造で「邪気」が「欲望」を掻き立て、お酒が「邪気」を吸う感度を上げ、より大きな「欲望」を「選択」させることができるシステムが出来上がっています。これは、「性欲」とお酒を使ってビジネスをしようとする人間達は自ずと作るものです。何故ならば、儲かるためにはお客さんの「性欲」を上げた方がいいからこそ、お客の「性欲」を上げる工夫をするからです。

ただ、当然お店側の人々も「気」のことなどは知りませんから、「邪気」がどのように関与しているのかは知りません。しかし、非常に強く「邪気」を吸わせる構造が生まれています。

どうしてこのような構造が生まれるかというと、人は「欲望」に同調するのであれば悪魔に心を操作されるからです。悪魔としては「欲望」に同調した人間の心に、「こうやったら儲かるんではないか」といった様々な「気付き」「思い付き」を与えます。そうやってそういった人間達は悪魔からもらった「アイデア」を実践していく形になります。このような構造で、悪魔にとって非常に都合のいい商売が生まれる形になります。


【悪魔の目的】

悪魔の目的は人間に「邪気」を吸わせることです。そのために「性欲」を使っているに過ぎません。悪魔は人間の心をより強く多く操作できるようにするために、「邪気」を吸わせたい形になります。ですから、悪魔からすると、こういった場所は人間に「邪気」を吸わせるためのガソリンスタンドのような意味を持っています。悪魔は人間を楽しませるために楽しませているわけではなく、ただガソリンをたくさん入れるために楽しませているだけになります。そして、そのガソリンを使って人間という車を悪魔が走らせたい方向へ走らせます(上のジョーカーの絵はパトンビーチの画廊の一番正面にあった絵画ですが、パトンビーチの本質を見事に捉えています)。

悪魔としては、「欲望」以外の「闇の気持ち」であっても、人間に「闇の気(邪気)」を「持たせる」ことはできるので、使える時は他の「闇の気持ち」を使って人間に「邪気」を吸わせています。その一つが「怒り」などであって、こういった地域で揉め事が起こりやすい構造にはこういった理由があります。

実際、今回男性と女性がモメているような場面は度々見ましたし、酔っ払って「狂気」に堕ちているような男性が狂ったことを行ない、タイ人男性達がそれを止めるようとし、殴り合いの喧嘩になるような場面も見ました。

酒は「霊感(気を感じる感度)」を上げるということを書きましたが、ドラッグも当然「霊感(気を感じる感度)」を上げます。パトンビーチではドラッグはかなり売られているので、ドラッグを摂取している人もたくさんいます。実際、今回ドラッグを売っている人から声をかけられることもありましたし、彼は色々な種類のドラッグを売っていました。また、パトンビーチに詳しい人に話を聞いても、ドラッグはたくさんある、ということでした。

酒もドラッグも、人がそういったものを好んで摂取するのは、普段よりも楽しくなれるからです。では、どうして楽しいかというと、普段よりも「気持ち」が大きくなるからです。それは普段よりもたくさんの「気」を「持つ」ということを意味します。

つまり、悪魔としては、人間によりたくさんの「邪気」を吸わせるために、酒を大量に飲ませるだけではなくて、ドラッグも使っている形になります。そういったことを使うことによって、人間の「霊感」を上げています。

そして、そこで吸わせた「邪気」によって悪魔は人間をコントロールし、お店の人の「欲望」を使ってお客が「欲望」に同調するように仕向けさせせ、お客は「欲望」を高めさせられています。場合によっては、お客が「怒り」に同調するような状況を、お店の人の「欲望」を使って作ることもあります(例えば、ぼったくりなど)。そうなると、お客の「怒り」がその場周囲にいる人全員を「嫌悪」に落とすことに繋がることもあります。こういった形で、「欲望」をメインとしながら、様々な「闇の気持ち」に堕ちることができる状況を、悪魔は「邪気」によって作り出しています。

こういったことの結果として、パトンビーチは「邪気」を吸うための大きなガソリンスタンドになってしまっている形になります。このようにして、人間が「欲望」に同調するならば、悪魔が望むことをさせられ、悪魔が望むものが生まれます。

このガソリンスタンドの意味を理解することはとても大事で、このガソリンスタンドはタイ国外の「邪気」をタイ国内に入れるものです。これはナナも全く同様ですが、こういったエリアのお客とは外国人です。そして、タイ以外の国のほとんどは基本的にタイよりも「光」が弱く「闇」が強いです。また、こういったエリアに来る人々は強い「欲望」を動機にしています。

だからこそ、こういったお客達は、自分の身体に「邪気」を宿した状態でこういう場所に来ています。そして、接触行為はいつも「気」の交換を促し、特に性行為は強い「気」の交換が行われるものですから、こういった場所をきっかけにタイ人女性が外国人と性行為を働くのであれば、そのタイ人女性はその外国人から大量の「邪気」をもらうことになります。そして、そのタイ人女性はタイで生きているわけなので、様々な形でタイ国内にその「邪気」を広げていきます。

物質には「気」が宿り、我々の身体も物質です。ですから、我々は「気」をある場所からある場所へ運ぶことができる存在でもあります。もし我々人間が「光の気」を運ぶならいいことですが、「闇の気(邪気)」を運ぶことは良くないことです。悪魔としては、そういった良くない方向性を使っている形になります。

水掛け祭りについての文章でも書きましたが、悪魔としては、長年神々に守られ続けているタイを自分のものにしようとしています。そのために、その悪魔自身の「邪気」を観光客に乗せ、そういう人間に対して「タイに行きたい」という気持ちを起こし、パトンビーチのような場所で行われる様々な性的ビジネスを通して、タイ国内にその「邪気」を入れ続けている構造があります。

人間はこのような構造は知りませんから、悪魔に利用されていることは気付いていません。人間としては「お互いに『win-win』だったらいいじゃん」という発想で、こういう場所で遊ぼうとします。ここに来る人達は「快楽」という「利益」を得て、ここで働く人達はお金という「利益」を得ているだけのように思えるからです。しかし、実際はお互いに「邪気」を強く吸い、その「邪気」がその人達自身を「不幸」にし、その人達の周りの人達を苦しめ、タイという良い国を荒らすきっかけを作っています。つまり、実際は「win-win」ではなく、両者共に「lose-lose」しています。
 

【最後に】

こういった場所がどんどん大きくなっていくことは、タイという国がどんどん悪くなっていくことを促します。ですから、こういった場所が大きくならないことを促すべきです。そのためには何が有効かというと、こういう場所に行く観光客が減ることです。

商売は儲からなければ続きません。ですから、儲からなくするということが有効であって、観光客が減れば、こういうビジネスは小さくなっていきます。これは、こういった商売をしている人達に、いかに「欲望」が危険かを話しても、「欲望」に囚われているが故に全然共感してくれるわけがないという理由もあります。

また、これは水掛け祭りのところでも書きましたが、国家権力がこういった風俗産業を厳しく取り締まることは有効です。そのためには、警察がそういった取り締まりができるようにするために、権力のある人間が動く必要があります。

とにかく、我々日本人としてできることは、タイのこういうところに行かないことです。ナナを調べていた時も本当によく見かけましたが、タイ人女性と売春行為を行なうことを楽しんでいる日本人男性はたくさんいます。つまり、日本人の「性欲」の強さは世界に悪影響を与えています。

「気」のことを理解しなくても、タイで性的なサービスを受けることがもたらしている負の側面があることは簡単に考えられると思います。簡単な話だと、タイは東南アジアで最もエイズ人口が多い国です。ですから、タイ人女性と性行為を働くのであれば、エイズに感染するリスクがあります。この点に関して「甘さ」を持たなければ、日本人がこういうビジネスに加担することは減ると思います。

とにかく、タイの性産業は小さくなる必要があり、そのためにタイ人が国内から様々な努力をする必要がありますし、日本人も含めて外国人がお客にならないように意識を高めていくことが大事です。