ここでは、TOKIOの山口達也の事件に関して、「気」の観点で説明していきます。

この事件を通して、日本でも様々な意見が飛び交っていますが、山口達也がこの事件を起こしたことの本当の構造を知らないが故に、山口達也に厳しすぎる意見が多いです。また、TOKIOの重要性を深く理解していないからこそ、TOKIOが今後も日本で活躍することの重要性を強く言う意見も少ないです。今回の事件を通してTOKIOの活躍が減ってしまうことは、日本全体にとっていいことではありません。ここでは、そういったことについて書いていきます。

シャーマン(気功師)として生きている自分が、このような文章を書いても、ほとんどの日本人からは「オカルト」とみなされ、相手にされないことは分かっています。しかし、少しでも多くの人にこの事件の構造を理解して頂くために、書いていきたいと思います。また、この文章を理解して頂ければ、日本が抱えている様々な問題についても見えてくるように書いているので、読んでみて頂けると幸いです。
 

【前提】

この文章を読む上での前提知識ですが、昔の日本人の方が「気」のことをよく理解していました。だからこそ、昔の日本人は「気」という言葉を多く含む様々な言葉を残してくれています。例えば、「気持ち」「気分」「気付き」「正気」「狂気」といった形で我々の使っている日本語には「気」という漢字を含む多くの日本語があります。

そういう言葉の本当の意味を我々日本人は見失ったせいで「気」のことがよく分からなくなってしまっている現状があります。言葉の本来の意味を見失うことは人間に色々なことを分からなくさせるので、本当に恐ろしいことです。しかし、逆に言うと、こういった言葉の構造から我々は「気」の本質を理解できます。

例えば、我々は「気」を「持つ」ことによって「気持ち」を抱いているからこそ、昔の日本人は「気持ち」という言葉を作っています。自然の中にいると「気持ち」がいいのは、自然のいい「気」を「持つ」からです。

このような形で、この文章では「気」という漢字を含む言葉の成り立ちから「気」の構造も説明しながら、今回の事件に「気」がどのように関与したのかを書いていきます。

※このホームページを普段読まない人が読むことも踏まえて、このページは文章を書いています。
 

【この事件の原因】

・山口達也が「闇の気」を大量に抱えていたことについて

山口達也は事件直前まで入院していた程に体の調子は悪く、実際に肝臓の「病気」も抱えています。これは山口達也が「闇の気」を多く抱えていたということを意味します。

「病気」という言葉が示す通り、「病気」は「病の気」が起こすものです。そして、「病」と「闇」は同じ「やみ」という読みをしますが、この両者は本質的に同じものだからこそ、昔の日本人は同じ読みを当てはめた形になります。

ですから、山口達也が「病気」を抱えていたということは、「病気」=「病の気」=「闇の気」を抱えていた大きな根拠です。

また、彼は1ヶ月の入院生活から退院したその日に大量に酒を飲み、そのことによってこの事件を起こしていますが、この時間軸の流れもとても大きな意味を持っています。

病院は基本的に「病気」の人が行く場所です。ですから、病院は非常に多くの「病気」=「病の気」=「闇の気」が溜まりやすい場所です。

山口達也は病院での入院生活を通して大量の「闇の気」を病院で吸ってしまい、そんな状態でいきなり大量の酒を飲んでしまったからこそ、「闇の気」に強く動かされてしまった形になります。

「闇の気」を「持つ」ことを行なっているのであれば、「闇の気持ち」を抱くことになります。そして、今回の事件の引き金となった山口達也の「欲望」や「甘さ」は「闇の気持ち」です。

山口達也が今回の事件を引き起こしたのは、山口達也が強く「欲望」や「甘さ」に同調したからであって、何故それらの「闇の気持ち」に強く同調したかというと、大量の「闇の気」を「持っている」状況があったからです。

そして、そういった方向性を強く促してしまった、もう一つの大きな要因として酒があります。
 

・酒が「霊感」=「気を感じる力」を上げることについて

酒は良くも悪くも「霊感」=「気を感じる力」を上げます。だからこそ、人は酒を飲むことによって、普段よりも多くの「気」を「持つ」ことが可能になり、そのことによって「気持ち」を大きく抱き、その大きくなった「気持ち」を楽しんでいます。つまり、酒を飲むことによって「気持ち」が大きくなるということの背景には、酒が「気」を「持つ」能力を上げるからです。

山口達也は「闇の気」を大量に抱えた状態で、酒を大量に飲んだことによって、かなり「霊感」を上げてしまったのですから、「闇の気」の影響を強く受けてしまった形になります。そのことによって、「闇の気持ち」が自分の中に強く起こり、その「闇の気持ち」に強く同調してしまった形になります。

もちろん、彼自身の心に元々「欲望」や「甘さ」が無ければ、どんなに「闇の気」を持っていようと、どんなに酒を飲もうと今回の事件は起こっていません。山口達也は「欲望」や「甘さ」といった罠(隙)を自分の心に抱えていたからこそ、「闇の気」はその隙を突いた形になります。
 

・山口達也を操作した悪魔について

「気」は必ずその「気」を司る存在がいます。それが、神々や悪魔や天使や幽霊といった目に見えない存在です。逆に言うと、現代は「気」のことを忘れたことによって、目に見えない存在がよく分からなくなってしまっています。

例えば、理由もなく「憂鬱」になることを経験したことがある方は多いと思いますが、我々人間は「憂鬱」になることを自ら望んで「憂鬱」になっているわけではありません。つまり、「憂鬱」は我々が「起こす」ものではなくて、我々に「起こる」ものです。つまり、「憂鬱」は我々ではない何者かが我々に「起こす」ものです。では、一体何が「憂鬱」を我々の心に「起こす」ことを行なっているかというと、我々が「持つ」ことをしてしまっている「闇の気」であって、「闇の気」を司る悪魔です。

神々は「光の気」を司るのに対して、悪魔は「闇の気」を司っています。だからこそ、「闇の気」を大量に体に「持つ」と、悪魔に自分の心を「コントロール」されてしまいます。悪魔としては自分の「闇の気」を操作することで、その人間に様々な「闇の気持ち」を起こすことができるようになるからです。

統合失調症や鬱病といった様々な精神的な病は全てこの構造によって成り立っています。大量の「闇の気」を「持つ」ことを行なってしまっているが故に、自分の中に強く「闇の気持ち」が起こってしまい、自分の心をもはや制御することができなくなっている状態です。昔は統合失調症のことを「狐憑き」と言っていましたが、「狐憑き」という表現の方が悪魔が人間の心を支配している状態を分かりやすく表現しています。逆に言うと、「統合失調症」という言葉が、この「病気」の本質を分からなくさせています。

今回の山口達也が起こした事件は、入院や酒といった要因によって、山口達也は意図せず悪魔の「闇の気」に強く同調せざるを得ない状況を自分で用意してしまい、そういう状況になってしまったからこそ、悪魔が山口達也を強く「コントロール」することができるようになり、そのことで起こった事件です。

酒を大量に飲むことによって人格が豹変する人は珍しくないですが、そういう人達は目に見えない存在を体に宿すこと(チャンネリング)と同じことをしています。酒によって「霊感」をかなり上げた状態で、何かしらの「気」を大量に持つものだから、目に見えない存在がその人間の「気持ち」を完璧に「支配(コントロール)」することができ、その結果として、目に見えない存在が体に宿っているのと同じ状態が実現するということです。酒を大量に飲むと人が豹変することはこのような構造によって起こっています。

シャーマンやユタといった名前で、目に見えない存在を体に宿すことを役割としている人間は昔は日本にたくさんいましたし、今でもいます。そういう人達は「霊感」が高いが故に、酒を飲まずとも「気」をたくさん「持つ」ことができ、そのことが故に、目に見えない存在を体に宿したような状態を実現できる人達です。言い方を変えると、シャーマンやユタは目に見えない存在が宿ることができる人間です。

そういう人達が行なっていることを、酒という道具は一般の人に対して可能にしてしまうことがあります。特に、元々「霊感」が高い人が酒を大量に飲んだ場合は、シャーマンやユタが行なうことが起こりやすいです。そして、山口達也は「霊感」が一般の人よりも高いですから、悪魔に強く「コントロール」されてしまった形になります。

一般的に、芸能人と言われるような人達は「霊感」が高いです。「霊感」が高いからこそ、目に見えない存在と共に働きやすく、目に見えない存在と共に働くからこそ、彼らは「才能」を持っています。

例えば、宇多田ヒカルなどはとても「霊感」が高く、彼女は歌手というよりもシャーマンに近いです。実際『Devil Inside』といった曲を宇多田ヒカルは作ったこともありますが、この歌はタイトルの通り、悪魔が自分の中に入り込んでいる状態を歌った歌です。宇多田ヒカルは神々と共に歌を歌う歌手ですが、悪魔と働いてしまっていた時期もあり、この歌は悪魔と働いている時期の代表曲です。
 


こういった「霊感」に関する構造が分かると、芸能人と言われる人達の心が、一般の人よりも圧倒的に心が大変になることを理解して頂けると思います。「霊感」が高いと、様々な「気持ち」が自分の中に強く迫ってくるので、「気持ち」の闘いが大きくなります。これは、山口達也の事件のことを考える上で我々日本人が前提として持つべき知識です。

もちろん、山口達也の中に元々「欲望」や「甘さ」が無ければ、「闇の気」がもたらす「欲望」や「甘さ」に山口達也が同調することはできないので、今回の事件は起きませんでした。ですから、山口達也に一切の責任が無いかといったら、絶対に彼には責任があります。しかし、今回の事件の全てを山口達也が起こしたわけではないということを理解することは大事です。

今回の事件のことを、「闇の気」を司る悪魔としては、どのように捉えているのかというと、入院や酒を使って山口達也に爆弾を踏ませることができたという印象になります。

「闇の気」を通して、山口達也の心を完璧に掴めれば、悪魔は山口達也をいいように操作できるので、呼んではまずそうな20歳未満の女性に電話をかけさせることも簡単ですし、その女性が「恐怖」に堕ちるような状況になるように山口達也を動かすことも簡単です。最後はその女性の母親の「愛」を利用して警察に通報させた形になります。

ここまでの流れを事前に計画した上で、この結果を生むために元々山口達也が入院することを悪魔は狙っていた形になります。「闇の気」を「持たせる」ことによって、肝臓に「病気」を作り、そのことを通して入院をしないといけないような状況を用意し、入院中に大量の「闇の気」を抱えさせ、退院と共に酒を大量に飲むように「欲望」で関与し、爆弾を爆発させた形です。爆発すれば悪魔は山口達也の心を簡単に操作できるので、悪魔からするとあとは楽なものだったと思います。

悪魔はこのようなスキャンダルを起こすために、ターゲットの人間をいつも狙っています。例えば、昨年の日馬富士の起こした事件も同じように悪魔が起こしています。日馬富士の際も酒が一つの引き金となっていますが、酒が「霊感」を上げる力があるからこそ、悪魔は日馬富士に対しても酒を使った形になります。そして、山口達也の場合は「欲望」と「甘さ」が引き金となったのに対して、日馬富士が同調してしまった「闇の気持ち」は「怒り」です。

日本人は「気」に関する多くのことを見失っているので、このような構造が見えるわけもなくなってしまいました。だからこそ、その人間だけが悪いように思えてしまい、責任を取らせようとしてしまっています。そして、本当に重要な人達のクビを切ってしまっています。

日馬富士はその代表例です。彼が相撲界からいなくなったことによって、日本人は彼の相撲を見る機会を失ってしまいました。そのことによって何が起こるかというと、日馬富士の相撲を見ることによって抱くことができる「光の気持ち」を抱くことができなくなった形になります。

相撲は神事だからこそ、悪魔はいつも相撲界を荒らそうと狙っています。そして、芸能界は日本に大きな影響力を持っているからこそ、悪魔は芸能界の人間をいつも狙います。
 

・TOKIOの重要性

TOKIOは「元気」のグループで、山口達也も明らかに「元気」の人です。そして、「元気」とは「元の気」と書きますが、「元の気」とは文字通り「根元的な気」のことを意味し、太陽が地球に与えている「火の気」のことを意味します。太陽を浴びていると「元気」になるのは、我々は太陽から「元気(火の気)」をもらっているからです。

(こういったことは私が考えたわけではなく、昔の人間は普通に知っていたことです。だからこそ、「元気」=「根元的な気」という言葉がありますし、「太陽」=「最初の大きな光」という言葉があります。また、星は地球に「気」を送っているという発想は、東洋でも西洋でも昔からあった発想です。東洋では「水の気」が宿る星を「水星」、「金の気」が宿る星を「金星」といった形で星を名付けていますし、西欧では、西洋占星術という形で、星からの「気」の影響関係によって未来を予測していた形になります。また、神話という形で星の神々のことについて説明しているのがギリシャ神話です。)

TOKIOというグループは星の神々のもたらす一つの「光の気」である「元気」と共に活動してきたグループであり、だからこそ神々の使いです。彼らは日本人に「元気」を与えるために生まれたグループであって、その役割を全うしてきたグループです。

「元気」は人の心を「平和」にし、人の心を「幸せ」にする力を持っているものです。だからこそ、「元気」は明らかに「闇の気持ち」ではなく「光の気持ち」であって、そういった「元気」を日本人に与えてきたTOKIOは非常に重要です。このような意味で、TOKIOは非常に重要な神々の使いだからこそ、悪魔に強く狙われてきた形になります。

神々と悪魔が何をしているのかを見失った世界では、この世界で神々と悪魔がどのように闘っているのかが分からなくなってしまっていますが、神々と悪魔は人間に「気」で関与することによって、いつも闘っています。

神々は「光の気」を人間に「持つ」ことを促すことによって、人間の心に「光の気持ち」で関与し、人間を動かしています。それに対して、悪魔は「闇の気」を人間に「持つ」ことを促すことによって、人間の心に「闇の気持ち」で関与し、人間を動かしています。そして、人間は「光の気持ち」と「闇の気持ち」のどちらを選ぶのかを、自分自身の「意志」によって決めています。

つまり、ものすごく大雑把に言うと、我々人間は「愛(相手のため)」に生きるのであれば神々と共に生き、「欲望(自分のため)」に生きるのであれば悪魔と共に生きます。この世界はたったそれだけのシンプルな構造を持っているのですが、この構造を人は見失っています。

人間の全ての行動はその人間の抱いている「気持ち」によって生まれます。そして、「気持ち」の原因は「気」であり、その「気」を司っているのは神々や悪魔といった目に見えない存在です。こういうことがはっきりと分かると、神々と悪魔が人間に関与し続けることで闘っていることが分かります。神々は人間を悪魔から守るために人間に「気」で関与し、悪魔は神々に勝つことを楽しむために人間に「気」で関与しています。つまり、神々は「愛(誰かのため)」を動機に闘い、悪魔は「欲望(自分のため)」を動機に闘っています。

このような意味でTOKIOは神々が動かしている神々の使いです。だからこそ、悪魔としてはTOKIOを封じるための手を打ちたく、TOKIOの一人である山口達也の心にある「弱さ」に目を付け、その「弱さ」につけ込み、山口達也の中の「欲望」や「甘さ」が大きくなるように関与し続け、それと並行して、酒に「逃げ」させたり「依存」させたりしながら、酒を使って「闇の気」を入れ、「甘さ」と「欲望」を使って今回のスキャンダルを引き起こした形になります。

こういった形で悪魔が神々の使いをターゲットとして狙うことはこの世界でいつも行われていることであり、芸能界ではいつもそれが起こっています。例えば、SMAPの解散なども悪魔が引き起こしたものであり、SMAPの解散によって神々は日本人の心に「光の気持ち」をもたらすタイミングを一つ失いました。これは、悪魔からすると、「闇の気持ち」を日本人にもたらしやすい状況をより強くした、ということを意味します。

TOKIOは日本にとって重要だからこそ、今回の事件を通してTOKIOの活動が縮小してしまうことは、日本にとって良くないことです。何故ならば、TOKIOの活躍が減るならば、日本人は「元気」を手に入れるきっかけをひとつ失うからです。

逆に言うと、TOKIOが日本人のことを思うのであれば、絶対に解散などせず、むしろこれからは今まで以上に頑張ることが大事です。もし、そういう風にTOKIOが進めるのであれば、TOKIOの「光」は今以上に強くなります。「闇」はいつも問題を作りますが、そういった問題を乗り越えることによって「光」は強くなるからです。

今の日本は何か問題を起こしたら辞めさせる方向性になっています。しかし、辞めたことによって、誰かが救われることはありません。だから、問題を起こしたら辞めさせるという方向性は結局何も生みません。何か問題を起こした人間は、問題を起こしたからこそ強く「他者のため」に自分が向上し、その問題を起こしたことを清算できるくらいに活躍すべきです。

ですから、山口達也が取るべき最善の選択は、しばらくの活動休止はしても、その後は本当の意味で「他者のため」に死に物狂いで努力することです。しかし、ちょっとでも「自分のため」に活動をしてしまうのだったら、つまり、「欲望」や「甘さ」で活動をするのだったら、本当の意味で「他者のため」に何かをすることはできませんから、復帰はしない方がいいかもしれません。

今の日本は「許す」ことをしない社会になってしまっています。だからこそ、山口達也が今後テレビに映っているだけで「嫌悪」を抱く人もいるはずです。山口達也が今後ただ復帰するだけだったら、日本の「嫌悪」を強くするだけなので、それは日本にとっていいことではありません。そういう理由があって、中途半端な復帰は日本にとって良くない形になります。また、山口達也本人の人生においても、中途半端な復帰はいいものではありません。

日本人も色々な人がいるので、全てのケースをここで説明することは不可能ですが、死に物狂いで頑張るための復帰が最善で、中途半端な復帰が良くないことは、確かなことだと思います。
 

【会見内容について】
 


「元気」という「光の気持ち」は「甘さ」や「欲望」といった「闇の気持ち」にとても近いです。だからこそ、「元気」の人である山口達也は「欲望」と「甘さ」を自分の中に抱えてしまっています。これは事件の原因となった「闇の気持ち」でもありますが、記者会見などにおいても、この「闇の気持ち」が故に、山口達也はしてはいけない発言をしてしまっています。

山口達也の心は今完璧に「闇」に堕ちています。つまり、今回の事件を通して「闇の気持ち」を日常的に強く抱いている状態を生きているので、どんどん「闇の気」を「持つ」ことをしてしまっています。だからこそ、今彼の体の中は「闇の気」だらけです。

だからこそ、会見でも「欲望」と「甘さ」に同調してしまい、「TOKIOに戻りたい」という発言をしてしまっています。「反省」とは「他者のため」であるのに対して、「TOKIOに戻りたい」という発言は「自分のため」です。「闇」に堕ち切っているから、自分を守ろうとする「欲望」と、これでも復帰はできるだろうという「甘さ」に同調してしまった形になります。

この発言も山口達也の「甘さ」と「弱さ」に付け込んだ悪魔が仕組んだ罠であって、その罠に山口達也は引っ掛けられています。そして、日本人のほとんどがこの悪魔の罠に引っかかっています。なぜならば、この山口達也の発言に対して、多くの人は「山口達也は甘すぎる」という意見を抱いたからです。そして、そういう意見を多くの人が持つからこそ、悪魔の思惑通りに日本人は山口達也を叩き続けています。こうなると、余計に山口達也は辞める方向性になってしまいます。

つまり、悪魔は山口達也を復帰させないために、山口達也に「復帰したい」という発言をさせている形になります。山口達也が自分の「復帰したい」という発言によって、むしろ自分が復帰できない状況を作ってしまったことは、とても「皮肉」な状況です。悪魔はとてつもなく性格が悪いですから、いつもこういった「皮肉」を作ることを面白がります。

また、この会見の内容は山口達也を辞めさせるためだけに悪魔が行なったわけではなく、TOKIOやジャニーズ事務所に対しての悪魔からの攻撃でもあります。「復帰したい」という発言を山口達也がしてしまったことや、「お酒を今後やめます」とはっきりと言わないことや、全体的な発言に「甘さ」の「気持ち」があることなどは、本当に強い「甘さ」を持った人間をTOKIOというグループが作ってしまったということを、世の中に示してしまったことと同様の意味を持っているからです。

だからこそ、TOKIOのメンバーとしては自分自身の責任を強く感じるが故に、何らかの形で責任を取ろうという方向性を取ってしまう可能性が上がります。今の日本は「責任を取るための方法は辞任か休止」という誤った「常識」を持っているので、そういった「常識」をTOKIOのメンバーが鵜呑みにしてしまうのであれば、彼らは選択を誤る可能性があるので良くないです。

例えば、国分太一は「愛」が強いが故に「罪悪感」に堕ちやすいので、そういった「罪悪感」が彼の選択を誤らせる可能性もゼロではありません。「罪悪感」は「闇の気持ち」なので、「罪悪感」を抱くならば悪魔に心を掴まれてしまい、人は判断を誤りやすくなります。

「反省」は未来を向いているからこそ、「他者のため」に何かをしようとする気持ちに繋がるのに対して、「罪悪感」は過去を向いているからこそ、「他者のため」に何かをしようとする気持ちに繋がりにくく、過去の自分に対する「自己嫌悪」などに堕ちやすいです。そういった形で、「罪悪感」は「闇の気持ち」の連鎖を引き起こす危険な「気持ち」です。

こういった「気持ち」に関する基礎的な知識も日本人は忘れてしまっているので、今のTOKIOのそれぞれのメンバーが経験している心の闘いは本当に恐ろしく大変だと思います。自分が抱くべき「気持ち」が何なのかが分からない状態で、強く「闇の気持ち」が迫ってくるからです。TOKIOの記者会見も貼り付けておきます。
 


こういった攻撃をTOKIO全体にするためにも、悪魔は今回の事件を引き起こし、山口達也の会見内容にも関与している形になります。
 

【最後に】

結局、この事件は「闇の気」を大量に抱えた人間が、酒を飲み過ぎて自分を見失い、悪魔に動かされただけのことです。けれども、悪魔や「気」のことを理解していない社会だから、山口達也だけが全ての責任を背負っているように思われてしまっています。だからこそ、必要以上に山口達也は責められています。

悪魔のことなんて知らなくても、酒を大量に飲めば人格が変わってしまう人もいることは日本人は皆知っているのだから、そのことをもう少し考えれば、もう少し寛容になれるはずです。冷静な判断能力を見失った人間に、冷静な判断を求めるなんてことは馬鹿げています。

本当の問題は、何故冷静な判断能力を見失うくらい酒を大量に飲んでしまったのか、ということです。そして、何故病院に通う程、酒に溺れるような生活をしてしまっていたのか、ということです。そういったことは確かに山口達也の抱える問題ですが、TOKIOを辞めなければならない程の問題ではありません。

本当の問題が何なのかを明らかにすれば、寄ってたかって叩くようなことではないことがよく分かります。けれども、人は物事の原因をよく考えないから、わいせつ行為という結果の方ばかりを問題とします。

神々と悪魔のことを見失った社会だから、山口達也が悪魔に狙われる理由も分からなければ、山口達也がどういう風に悪魔に動かされたのかも分かりません。そして、「闇」が強い社会だからこそ、今回の一件を「欲望」で面白がる人もいれば、TOKIOに対して「嫌悪」や「怒り」を抱く人もいます。

TOKIOが活躍しなくなれば一番「不利益」を得るのは日本人全体です。何故ならば、繰り返しになりますが、「元気」をもらうきっかけを日本人は一つ失うからです。だから、損得で考えても、山口達也を叩きまくるのは割に合いません。けれども、物事の意味を考えない社会だから自分達が「不利益」を被ることを自分達でしています。

悪魔にいいように動かされる日本社会。こんな構造を伝えたくても伝わらない日本社会。悪魔に動かされる馬鹿げた日本社会を見ながら、自分が何もできないことがいつも虚しいだけです。

この文章が将来的にでも、日本にとって役立つことを願っています。


※補足説明

山口達也の起こした今回の事件は、悪魔が「甘さ」という「闇の気持ち」を人間にもたらすことによって様々な問題を作っていることを理解する上で、とても参考となる具体例です。もし、日本人がこの事件を通して、「甘さ」の危険性を理解できるのであれば、山口達也の起こした今回の事件は「世のため」に活かされることになります。

かと言って、もちろん、山口達也がこの事件を起こしたことが良かったということにはなりません。特に、被害者の方やTOKIOと仕事をしてきた方やファンの方を基準に考えるのであれば、この事件があって良かったということはあり得ません。

しかし、起こった事件はもう消すことはできませんから、少しでも「世のため」に活かされた方がいいです。だからこそ、この事件を通して大事な教訓を日本人が得ることができるようにするために、この文章を書いた形になります。