現代の哲学の最も大きな病は、簡単なことをやたらと難しく書くことです。その弊害として、人々は哲学を難しいと誤解してしまったり、本当のことは難しいと誤解してしまったり、文章を読むのがおっくうになったりしてしまいます。

では、どうして必要以上に文章を難しく書くかというと、相手に伝えようとする気持ちが弱いからです。本当に相手に伝えるための文章だったら、できるだけ相手に伝わりやすい分かりやすい文章にするはずです。また、そのための工夫もするはずです。

また、「ナルシズム」があるケースもあります。難しい文章を書けることを他者に見せることは、自分の「賢さ」をアピールするための道具となり得ます。文章を書いている時に、そういった「ナルシズム」の「欲望」に負けると、人は「分かりやすさ」よりも「かっこよさ」を選ぶようになります。

結局、「相手のため」に大事なことを伝えようとする「愛」が足りないから、「ナルシズム」といった「欲望」に負けていることが、文章の分かりづらさを促しています。その結果として、冒頭に書いたような、様々な弊害を人間に与えています。

哲学はとても大事な領域で、歴史上の哲学者の中には「真実」を多く語ってきた人物もいます。しかし、我々が彼らの文章を読もうとしなければ、彼らが人類のために残した知識は活かされません。そして、哲学に対する抵抗感はそういった文章を読むことを止める力になり得ます。だからこそ、哲学に対する抵抗感を誰かが生むことは、大きな誤ちです。

「ナルシズム」で難しい文章を書く人々は自分がどのような誤ちを犯しているのかを意識化できていません。だからこそ、そういった誤ちを犯し続けています。哲学に関わる人々は、一般の人々よりも自分自身の行為が正しいかどうかを「問い」続けるべきです。何故ならば、哲学者の仕事は「問い」を行なうことだからです。

「愛」が無ければ、自分の行為が相手にどんな影響を与えるかを「問う」ことは起こりません。結局、哲学に関わる人々の「愛」の欠如が、哲学を狂わせています。