自分はシャーマンですが、多くの人はシャーマン・占い師・気功師といった、所謂「能力者」とは関わらない方がいいと思っています。どうしてかというと、日本のこの業界は非常に質の低い業界だからです。

弁護士になろうとしたら大変な司法試験があります。けれども、シャーマンになるための試験などはなく、誰でも「自分はシャーマン・占い師・気功師です」と言えてしまいます。こういった構造があるからこそ、この業界の質が悪くなるのは当然です。

けれども、実際は、能力者(シャーマン・占い師・気功師)として生きていくことは、他のどんな業界の人よりも大変です。何故ならば、絶対に「欲望・嫌悪・怒り・依存・優越感・恐怖・不安」といった様々な「闇(病み)の気持ち」を抱いてはならず、「愛」を常に貫いて生きていかないといけないからです(逆に言うと、これらの「闇の気持ち」を抱えてそうな能力者とは絶対に関わってはいけません)。

「能力者」と自称するのは簡単であるにも関わらず、実際は良い「能力者」であることはとても大変、というこの構造がこの業界の質の悪さを生み出しています。そして、質が低いからこそ、能力者と関わった人々は「依存」などに堕ちてしまい、「依存」に堕ちている人などを一般の人は見るから、一般の人はこの業界全体に対して不信感を抱いていきます。そして、この業界に対する不信感がいつの間にか目に見えない世界に対する不信感へと繋がり、それによって、目に見えない世界のことを学ぶ前から、学ぶ気持ちに人々はなれなくなります。そのことによって、人々は「真実」を見失っていきます。

こういった最悪の悪循環の構造があります。これが今の日本のこの業界の全体像であって、この業界の質の悪さが日本社会に与えている悪影響です。

自分はこの業界に関わっている一人として、将来的に、この業界の質の悪さをなんとかしていきたいと思っています。そのためにも、例えば、人からお金を一円も取らないということを、シャーマンになってからずっと行なってきました。多くの能力者は人からお金を取っていますが、そんなことは「ただ与える」という「愛」の基本さえも実現できていない、この業界の質の悪さを物語っています。

とにかく、能力者とは関わらない方がいいです。これは、一般の方がその能力者が本当にいいかを見抜くことはとても難しいからでもあります。また、悪い能力者程、自分のことを良く見せるのがとても得意です。

ただ、この世界の「真実」が何なのかを理解しようとする姿勢は大事です。それは私の知識を使ってほしいということではありません。御自身の力で努力されることが大事です。そのために大事なことは、御自身の心の動きを徹底的に分析し、法則性を見出し、その法則性を言語化し、その結論が正しいかどうかを何度も何度も問い続けることです。日本人はこれをやらなくなったからこそ、「真実」を見失っています。

私の様々な情報発信は、多くの人が考えるきっかけを与えているに過ぎません。「真実」を解き明かすために必要なのは「発想」です。「発想」が生まれれば、それが「命題(真偽が問われるテーマ)」となり、「命題」となれば「真偽(正しいか間違っていか)」が問われ始めます。私はこの最初の段階の「発想」=「命題」をいつも提示しているに過ぎません。

また、自分自身で「真実」が何かを問い続けることを御自身で行なって頂かない限り、私の情報を活用して頂いた場合にも、理解が非常に浅くなってしまいます。例えば、私の情報発信を通して「愛」には複数の方向性があるという「発想」=「命題」を手に入れた後に、宮崎駿作品を改めて御覧になって頂き、登場人物の一人一人を徹底的に分析していくのであれば、「愛」には複数の方向性があるということについて確信を持てますし、より深い理解が得られます。もちろん、宮崎駿作品の登場人物が抱く気持ちが現実の人間も抱くのかという分析も必要です。

現代の日本人は「真実」を知ろうとする気持ちがとても弱くなってしまっています。だからこそ、「真実」を理解するために、強い努力ができる人はとても少ないです。だから、私のようなシャーマンを求める人が少ないのは当然です。

また、現代の日本人は、「なんでもいいから自分が得をしたい」という気持ちがとても強くなっています。だからこそ、「真実」の根拠などは全然説明せず「こうやったらあなたは開運できます」といった「開運法」を説明するアプローチのシャーマンの人気が出ます。

しかし、絶対に私のようなアプローチで生きるシャーマンがこの社会には必要です。自分のようなシャーマンがいなければ、社会はより目先の「利益」に走り、「真実」を見失っていき、社会全体が悪くなっていくからです。

大事なことは、「真実」を理解しようとする気持ちです。目先の「開運法」などに走っていては、自分の「欲望」を強めるだけで、その「欲望」が自分自身の首を絞めていきますし、周りの人々を傷つけていきます。

では、どうしたら「真実」を理解したいと思えるかというと、「愛」が強ければ強い程、その気持ちは大きくなります。何故ならば、「真実」を理解していないと、意図せず大事な人を傷付けることになるからです。

例えば、「真実」を理解していないと、大事な人がストレスを抱えている時に、そのストレスを発散させるために、どんな手段が有効かが分からず、場合によっては、逆効果な手段を相手に提示してしまったりします。

こういった構造があるからこそ、本当に「誰かのため」に生きたいと思う人は、自然と「真実」を知るための努力をし始めます。日本人に必要なのは、こういった姿勢です。

逆に言うと、日本人が「真実」に対して関心を失っているのは、「欲望」に堕ちがちだからです。「欲望」を抱いて生きていると、他人のことを考えなくなっていくので、「真実」に関心が無くなっていきます。
 


物事の「真実」を見定める上で大事なことはアシタカのような「曇り無き眼」で、この世界を問い続けることです。逆に言うと、アシタカの「曇り無き眼で見定める」という言葉には、「曇り無き眼」でしか「真実」は見定められないという思想があります。

アシタカのような精神性を日本人が取り戻していくことは本当に大変ですが、一人でも多くの人が自分自身の中にアシタカのような側面を養っていかない限り、この国に将来はありません。そう思うからこそ、アシタカと同じ「水の気持ち」で情報を発信し続けています。