偉大なギリシャの哲学者達は対話の重要性を説いてきました。本当にそうだと思っています。複数人の対話だと一人では思い浮かばないような「アイデア」を見出せますし、対立する二つの議論によって思想は高まるからです。

現代に足りないのは対話です。では、どうして対話が少ないかというと、本当のことが何かを知ろうとする気持ちが弱く、対話を「めんどくさい」と思うからです。その原因には「愛」の欠如があります。

間違ったものを正しいと思うと、人間は狂ったことを自覚無しに始め、その結果としてその本人も周りの人も傷付いていきます。だからこそ、そういった悲劇を防ぐために「真実」を理解することは大事ですし、「真実」を見出すための対話は、我々が持っているとても大事な道具です。

対話に関する、こういった基本的な構造の知識を我々が教育の現場で学ばないことも大きな問題です。とても基本的なことなのですが、教える立場の人間達がこの簡単な構造を意識化していないが故に、我々は対話の重要性を学びません。

今でも対話をする人達はいますが、そういう人達の中には「自分のため」に対話を行なっている人達も多くいます。自分の賢さを「自己顕示欲」で見せつけようとしたり、自分の賢さに「優越感」を感じていたり、「知識欲」に取り憑かれていたり、様々なパターンがあります。そういう人達は本質的に「真実」を知ろうとする気持ちで対話をしているのではなく、対話自体を自分の「欲望」の実践のための道具として使っているだけなので、対話が乱れるきっかけを作っていきます。

そして、「愛」で対話をする人達も「愛」の動機がものすごく強いわけではないから、簡単に「欲望」に堕ちてしまいますし、「愛」が弱いからこそ、いい対話ができなかったりします。逆に、本当の「賢さ」を持った人が強い「愛」を抱くならば、とてつもない大きな動機で対話に挑みますから、対話をいい方向に導いていきます。

自分は哲学科出身ですし、きっと対話は多めな大学だったと思います。しかし、とてつもなく強い「愛」で対話に挑んでいた人は一人も見たことがありません。対話を専門的に行なうべき人達がこれではいけないと思っています。

とにかく、一般の人々は対話をする動機が弱く、哲学に関わる人々は対話をするための「愛」が足りていません。そういった構造があるからこそ、我々はどんどん「真実」から離れてしまい、「間違い」を本当と誤解してしまっています。

その弊害として、狂ったことが山のように毎日起こっています。ただ、「真実」を見失っているから、それが狂っていると意識できる人も少ないのが現状ですし、心が健全な人も、なんとなく違和感を感じるだけで何が間違っているのかを考えない人が多いのが現状です。

狂っている現状があることを知っている人は、どうかもっと対話をして頂けると幸いです。そして、その対話が社会の多くの人に届くように目立って頂けると幸いです。いい人は小さくおさまりがちですが、目立たない限り声は届かないので、いい人程目立つべきです。

自分としてはいつも何を思うかというと、自分が何を発信してもまともな対話が起こらないということです。自分は、もし自分が間違っているのであれば、なんとしてでも知りたいと思っています。しかし、自分のことを間違っていると思っている人達は、どのような意味で自分が間違っていると思っているのかを言ってくれません。

日本人は「自分が嫌われたくない」「空気読めない奴と思われたくない」といった、様々な「自分のため」の「欲望」によって、誰かが間違っていると思ってもそれを口にしません。だからこそ、対話が発生せず、間違ったものが間違っていると認識されず、正しいものもどのような意味で正しいのかが見えてきません。

また、「あなたの意見は間違っている」と言われた方も、「真実を明らかにしないといけない」という「愛」よりも、「恥をかきたくない」といった「自分を守るため」の「欲望」に堕ちるから、まともな対話になりません。

「愛」を抱いて「真実」を探求するのであれば、自分の「間違い」を何としても知りたいと思うからこそ、自分の「間違い」を指摘してくれた人には強い「感謝」を抱きます。それに対して、「欲望」を抱いて「真実」を探求するのであれば、自分の「間違い」は知りたくないと思うからこそ、自分の「間違い」を指摘してくれた人には強い「嫌悪」を抱きます。

日本人の「欲望」が強くなるに当たって、多くの情報発信者は自分が間違うことによって恥をかかないようにすることに必死です。だからこそ、自分の「間違い」を認めず、対話がどこかで止まってしまっています。

つまり、対話が生まれる構造には「愛」があるのに対して、対話を止める構造には「欲望」があります。

対話の重要性を日本人が知ることが最初に必要なステップです。そして、対話において最も重要なことは「愛」であることを知ることが次に必要なステップです。その2つのステップができて、初めて本当の対話が生まれ得ますが、対話が生まれたからといって、すぐにいい対話ができるわけではなくて、「賢さ」とは何なのか「強さ」とは何なのか、といった心にとって基本的なことを理解し、それを自分の中に獲得していく中で、いい対話ができる人間が生まれていきます。

これは簡単な道ではないですが、日本人が絶対に歩むべき道です。