神々と悪魔が我々の日常にどのように関与しているかということを少し説明するために、最近のFacebookで目にしたものを例に挙げたいと思います。多くの人がFacebookを使っていると思いますが、Facebookを見ているだけで神々や悪魔が創ったものは目にします。そして、神々からいい影響を受けることもあれば、悪魔から悪い影響をもらうこともあります。

この文章を読む事を通して、Facebookを見ているだけで、我々は光と闇の闘いを経験しているということに実感を持って頂けると幸いです。今日目にした『ブラックサンダー』CMと、ここ数日いつも見る『マジョリ画』を例にしたいと思います。

 

【『ブラックサンダー』CMについて(神々)】

※このページを書いている時は、この動画の前半部分だけの動画がYouTube上にあったのですが、無くなっていたのでこの動画を貼り付けています。以下の解説はこの動画の前半部分だけに関するものです。

このCMは神々が創っています。「軽さの闇」VS「闘いの心(火の気持ち)」という形で二人の高校生がラップバトルをするというもので、とてもよくできています。「光の気持ち」と「闇の気持ち」は色々ありますが、その中に「軽さの闇」という「闇の気持ち」と、「闘いの心」という「光の気持ち」があります。

「軽さの闇」は軽さを面白がる気持ちで日本は結構多い感情、「闘いの心」は大事な人を守るために闇と闘う気持ちです。

・闘いの心(火の気持ち)
http://junashikari.com/emotion/火の気持ち(闘いの心)/

・軽さの闇
http://junashikari.com/emotion/軽さの闇について/
 

遊び人は「軽さの闇」に囚われがちで、ラッパーと呼ばれる人達は結構「闘いの心」です。例)KJ など。

歌詞も大事ですが、もっと分かりやすいのは声です。使う気持ちが違うと声の出し方が違います。このCMから「軽さの闇」と「闘いの心」の声の出し方の違いを学んでもらえれば、と思います。細かな歌詞もとても本質を捉えています。例えば、以下のような点です。


[闘いの心]

・「友達が夢を追いかけて勉強しているのを邪魔するな」(大事な人を守る)
・「暗闇を切り裂く」という歌詞(闇と闘う)
・夢を追いかけてる姿が大事だと思い、「軽さの闇」を「ひまつぶし」だと非難。未来を考えるか、今だけしか考えないかという観点を使って相手を非難(闇と闘う)
・「お前らはマジにはなれねえ」と目標を持たない人間の「弱さ」を指摘(闇と闘う)
・「お前らとは混じり合わない」という歌詞(光と闇で矛盾するということ)
・「身分」「スクールカースト」など気にしない(光なので、地位などに「依存」しないということ)
・「スクールカーストに依存」「群れなきゃ不安」「孤独が怖くてシェアに逃げる」「人目を気にしている(「いいね!」の数の話)」と、この高校生達の抱えている「闇」の性質を指摘。(相手の抱えている闇と闘う)

こういった形で、このラップは「大事な人を守るため」「闇と闘う」という「闘いの心」の性質がよく表れています。


[軽さの闇]

・自分のため(欲望)の感情なので、周りに迷惑をかけていても気にしない。
・「闇の気持ち」は他の「闇の気持ち」にすぐに転じるので、「嫌悪」「負けず嫌い」「比較の闇」などを使って相手を挑発する。(闇はいつも相手に負けないために「挑発」を使う)
・恋愛も自分が充実するための道具。(本当の「愛」は「相手のため」、しかし「闇」なので「自分のため」)
・「喜びは二倍、悲しみは半分」という誤った「アイデア」に縛られている。(「闇」に堕ちると誤った「アイデア」に縛られやすくなるということを描写)
・「ラブ&ピース」という有効そうな言葉を使うが、実際は「ラブ&ピース」ではない。(「軽さの闇」の人間が「ラブ&ピース」という言葉を振りかざすということは実際かなりあることです。これも誤った「アイデア」の一例)
・「強引に行こうぜ」という台詞から他人のことは気にしないということが表現(「闇」は「自分のため」だから。また、「ラブ&ピース」ではないこともこの台詞からよく分かる。)。
・「今が楽しけりゃそれでいい」という「快楽」を優先する立場。(「軽さの闇」は「快楽」をもたらすということ)

※このような形で「闇の気持ち」の性質や、「闇」の立場が陥りそうな罠がよく描かれています。


大事なことを伝えるためだったら、神々は「面白さ」も使います。その1つの例がこのCMになります。ちょっとでも、「黒いイナズマかっこいいな」「黒いイナズマいい奴だな」と思ってもらえれば、そう思った魂を「光」の方向へ少し導くことができます。何故ならば、黒いイナズマの表現する気持ちが「闘いの心」ということを知らなくても、黒いイナズマのラップをかっこいいと思えば、無意識に「闘いの心」のことを好きになっているからです。何かを好きになることは、その魂をそういう方向性に向けるものですから、とても価値のあることです。

また、こういった解説があれば、もっと的確に学ぶ事ができるので、神々は将来的にはそういったことも狙っていたのかもしれません。CMは非常に短い映像作品であって、見やすいです。神々は映画だけではなく、CMにも力を入れています。なぜならば、映像というのは非常に多くの要素を込められるからです。

 

【『マジョリ画』について(悪魔)】

https://mj-gift.shiseido.co.jp

最近流行っている『マジョリ画』という似顔絵作成ソフトがあるのですが、これは悪魔が創ったものです。上のリンクから一度少し開いてみて頂けるとどんな内容か分かって頂けると思います。

『マジョリ画』とは「かわいいを引き出す、魔法の似顔絵」というテーマの似顔絵作成ソフトです。始めると自分や他人の似顔絵を、目や鼻や装飾品といった様々なパーツを選んでいくことによって作成していきます。そうやって、自分が自分だと思う自分を描いていきます。

きっと、多くの人は面白いソフトくらいにしか思われないと思いますが、結構こういうもので少しずつ魂は狂っていきます。それはこれで自画像を作成した時に、「かわいい」といった「好意」を持ってしまう場合です。
 

我々の生にとって、とても重要な心の動きの1つは何かに「好意」を持つということです。一度何かを「好き」になってしまうと、それを変更することはかなり大変なことです。ですから、何か「闇」のものを「好き」になることとは我々の魂にとって、1つの「呪い」とも言えます。

人が「闇」に堕ちていくきっかけというのは本当に些細なものであったりします。しかし、結果的にはその些細なものがその人間を本当に狂わします。この『マジョリ画』はそういった「呪い」をかけるための1つのシステムです。


この『マジョリ画』のパーツを描いているのは宇野亜喜良です。そして、彼は悪魔と共に絵を描いている画家です。ですから、顔や装飾品のパーツもほぼほぼ全て「闇」です。目や眉毛といったものから、装飾品まで全て「闇」のものばかりが用意されています。人間の顔において最も重要なのは目ですが、「闇」の目しか用意されていないので、どういう似顔絵を描くにしてもそこには闇の人物が描かれます。そういった「闇」の選択肢の中で、自分を形成していくことになります。


目は全て「闇」です。


身体の仕草には意味がありますが、全て「闇」の仕草です。


猫や月は「闇」の存在ですし、この鳥もリボンも「M」のようなものも「闇」の色をしています。王冠は「比較の闇」を意味します。


自画像を描くという行為は自分が自分をイメージ付ける非常に重い行為です。ほぼ、儀式と言ってもいいと思います。そして、結果的に「闇」の絵がそこに描かれたとしても、それが自分であれば、人は「好き」になりやすくなります。自分のイメージは好きになりやすいからです。自画像とは、自分にとってそういった力があります。


また、これで作成した自画像をFacebookのプロフィール写真などにした場合は、毎日それを見ますから、自分のイメージに強く重ねて行く可能性があります。自分が自分のことをどういう風にイメージ付けるかということは、我々の生にとって大きな心の動きです。「自分はわがままな人間」と思うだけで、より人はわがままになり、「自分は愛が強い人間」と思うだけで、より人は「愛」をもちやすくなります。自画像は、絵によってそういった自分に対するイメージ付けを行なう方法です。

このソフトで作成した似顔絵は友人に送ることもできますが、「自分」が描かれている似顔絵を受け取った人においても同様の心の動きは起こります。そこに「自分」が描いてあるからそれが「闇」であっても、好きになりやすいです。

それが「闇」なのだけれども、それが「自分」だからこそ、好きになってしまう。その結果、「闇」の表現を少し好きになる。そのことによって魂を少し「闇」に寄せる、ということが『マジョリ画』をすると起こります。

 

このソフトは悪魔が創っています。悪魔側としてはこういうことを通して、人間の魂を「闇」に落としてきます。

神々や悪魔が何かを創るということはいつも我々の日常に起こっていることです。なぜならば、我々はいつも神々や悪魔から「アイデア」をもらいながら生きているからです。「アイデア」とはいつもどこかから降ってくるものです。そのことについてはこちらを読んで下さい。

http://junashikari.com/energy/「気」と「アイデア」の関係性1/​

この『マジョリ画』は「面白い」です。神々も悪魔も「面白さ」を使います。今日アップした『ブラックサンダー』のCMは神々が使う「面白さ」の一例、この『マジョリ画』は悪魔が使う「面白さ」の一例です。

神々はそれぞれの魂のためにそれぞれの魂が「光」に寄るように「導き」を行ない、悪魔はその悪魔が人間をおもちゃにするために、それぞれの魂を「闇」に寄るように「コントロール」をします。『ブラックサンダー』のCMは大事なことを人間に伝えるために神々が創ったもの、『マジョリ画』は人間に「呪い」をかけるために悪魔が創ったものです。

 

このマジョリ画を開くと、「ようこそ、あなたも導かれて来たのね」と表示されます。これは悪魔側が使う「嘘」です。「導き」を使うのは神々であって、神々が『マジョリ画』をやらせるわけがないからです。しかし、今の人間は「導き」と「コントロール」の違いを忘れてしまっているので、この言葉は人間に対して言っているというよりも、これを見ている人間の様子を神々に見せることを通した、悪魔から神々に対する「挑発」です。

また、様々な点が非常に巧妙にできています。「かわいいを引き出す」と言うと、とても聞こえがいいですし、名前を入力すると必ず「素敵な名前ね」などと褒められます。人は褒められると気分が良くなります。まず似顔絵を描く前に気分を良くしておくために、ここで褒めている形です。

悪魔はこのようにして相手を支配するために「おだてる」ことを行ないます。これは「闇」に満ちた人間も同様です。「闇」の立場の魂は相手を支配するために、「おだて」という「嘘」をよく使います。「おだて」は、自分のため(欲望)の「嘘」なので「闇」の行為です。

 

「化粧」とは1つの「化ける」行為です。どういう「化粧」をするかによって、その日の気分が異なります。なぜならば、自分が自分に対して抱いているイメージが異なるからです。強そうなメイクをすれば、より「強気」に、かわいらしいメイクをすると、よりかわいらしい感じの人格になります。

ですから、「化粧」とは魂に対して非常に強い影響力があるものであって、だからこそ神々も悪魔も化粧品を奪い合ってきました。神々は人間に「光の化粧」を、悪魔は人間に「闇の化粧」をさせようとします。その闘いは実際にどういう化粧品を創るかということだけに限らず、例えばCMを通してどのようなお手本のメイクを見せるかなどもそうですし、今回の『マジョリ画』もその延長線上にある悪魔が仕掛けてきた1つの方法です。

 

【まとめ】

テクノロジーの進歩と共に「光」と「闇」の闘いの形も変わっていっています。しかし、人間はそういう闘いの中にいることを理解していません。ですから、理解していく必要があります。

『ブラックサンダー』のCMも『マジョリ画』もこの2〜3日でFacebookで見かけたものです。皆さんの多くはFacebookをよく見ながら生きていると思いますが、Facebookを見ているだけで神々の「導き」をもらうことも、悪魔の「罠」にかかることもあります。神々や悪魔というと我々の日常からかけ離れたものと感じるかもしれませんが、常に我々の日常に関与している存在です。そういったことを分かって頂けると幸いです。

生きている中でいつも色々なものを目にしながら、神々と悪魔がどのように関与しているのかはよく分かるのですが、全部を書いている時間はありません。けれども、光と闇の「観点」を持って生きているだけで、様々なことは御自身の力で明らかにしていくことができます。自分の様々な文章はそういった「観点」を知って頂くためです。

この文章を真に理解するだけで「闘いの心」「軽さの闇」「好意」「呪い」「自画像」「神々と悪魔が使う『面白さ』」「『導き』と『コントロール』」「おだて」「化粧」といったものの持つ「意味」を理解できます。様々なものの「意味」を理解する事が、どのように世界を見ればいいのかという「観点」を我々に与えます。

どのように心を見るかという「観点」を持って、御自身の力で様々なことを問いながら生きていって頂ければ、と思います。そういったことを行なっていく中で、我々は「幸せ」になっていけます。