現代人は、「ビジネス」をすることが「仕事」であり、「ビジネス」にならないものは「趣味」という認識を持っています。この点に現代の大きな罠があります。

というのも、「ビジネス(お金)」にならないけれども世の中に必要な「善」は数多くあるにも関わらず、多くの人がそれをやらなくなってしまっているからです。

「ビジネス」と「役割」は必ずしも一致しません。言い換えると、お金にならない「役割」や「善」というものもあり、そういうことに人生をかける人があまりにも少ない現状があります。

また、こういう状況だからこそ、才能ある人間もお金になる範囲でしか「役割」をしないということも多くあり、その人が実践する「善」を限定しています。

「世のため」を思うのであれば、お金にならなくてもそれをやるのが「善」を実践する者の基本であって、「善」を為すことができないならば死んでも構わないと思うことも基本です。何故ならば、大きな志を持つ「善人」は「善」を為すために生きているからです。

ほとんどの人間は生きているという状況が何なのかもよく考えずに生きています。自分が何をしているのかも考えずにそれをし続けているのであれば動物と同じです。

というか、我々人間は動物であって、動物だからこそ生きていることの意味を深くは考えません。逆に、生きていることの意味を深く考えることから人間を超えることは始まります。

「善」を実践しようとする者は正しいことを為そうと思います。どれだけ「善意」があっても間違ったことをするならば「悪」になるからです。だからこそ、大きな志を持った「善人」は何が正しく何が間違っているかを知るために、広く深くこの世を知るための努力を行ないます。

そういう意味で、世界を知ろうとする「善人」が非常に少ないことも分かっていますし、己の心の「未熟」を乗り越えるための試練に打ち勝つことができる人間が非常に少ないことも知っています。

そんな中、大きな志を持ち、本当の向上心を持つ「善人」が自分の発する情報を活用することを信じて、「ビジネス」にならない情報発信をしていますし、その情報発信のために修行と研究を重ねています。

「善悪」の深い意味を理解し、己の「未熟」を克服することを実現した人間は、大きな「善」を成し遂げるからです。そういう人間は1000人や10000人の為す「善」よりも大きな「善」を成し遂げ、多くの人間やその他の魂を助け支えます。

そういった大きな「善」を実践しようとする僅かな人間が、大きな「善」を実践するために自分の情報発信を活用してくれるなら、そのこと程有難いことはありません。

偉大な先人達は我々が学ぶに値する価値のある物を多く残してくれています。自分としては彼らの残してきた物の意味を体系的に整理したいとつくづく思って、いつも地道に研究をしています。と同時に、先人達が残してこなかった自分にしか残せない価値のある物の創造のために日々修行を重ねています。

「善」を為せない位だったらどこかでのたれ死んだ方がマシだと、「悪」に荷担する位だったら今すぐ死んだ方がマシだと、自分と同じように思う同士が大きな「善」を実践することを少しでも支えられたら幸いです。

そして、そこまで大きな「善意」が無く、ただ「幸せ」に生きたいと思う人々が自分の情報発信を通して、何が「幸せ」への道であり、何が「不幸」への道であるのかを知ってもらえたら嬉しいです。

「幸せ」への道も楽なものではありません。何故ならば、己の心の「未熟」が己を「不幸」にするからこそ、「幸せ」を実現するためには己の「未熟」を乗り越えていかなければならないからです。

「幸せ」を目指す多くの人々は楽に「幸せ」を実現したく思うので、「ビジネス」のための情報発信を行なう者達は安易に「幸せ」を実現するための情報を発信しています。

しかし、それは罠ですから気を付けて頂けると幸いです。「幸せ」への道はいつも楽なわけではないからです。昨日、そういう情報を嫌と言う程見たこともあって、今日はこういうことを書いています。

「善」を為そうとする者、「幸せ」を実現しようとする者が、それぞれの形で自分の情報を活用し、より良い形で人生を生きてくれることを願っています。

これが「目的」なのであって、「ビジネス」をしたいわけではありません。そして、これが今の社会に必要な一つの「善」であり、自分が背負っている「役割」なのだと思っています。