先日、即興演奏動画を二本アップしたので、その動画の一つを貼り付けます。

この動画は、台湾で路上演奏を二週間以上やり続けた後の2018/3/5に撮影したものなので、路上演奏でやっていることの影響がとても出ています。どんな路上演奏をやっていたのかを保存するために作成しました。

前半は平和な「火の気持ち(元気)」、後半は強い「火の気持ち(闘いの心)」、最後は「風の気持ち(優しさ)」で演奏しています。自分がいた台南という土地の人々は「火の気持ち(元気・闘いの心)」が強く、「風の気持ち」も持っているので、このような形になりました。

台湾の路上演奏では、できるだけ台湾の土地が持っている「気持ち」に同調するように演奏していました。色々な演奏をした結果、その土地に合わせることがいいという判断があったからになります。

その土地の空気感で弾くということは、その土地について理解を深めることに繋がります。何故ならば、空気感を音にすることで、客観的にその空気感を見つめられるようになるからです。自分はその土地の「気」を調査することを目指しているので、土地に合わせた演奏をすることを通して、土地について理解を深めることはとてもいい形です。また、その土地の「気」を他者に説明する上でも、その土地を的確に表現できるようにしておくことが必要なので、そのための練習にもなります。

そういった理由に加えて、現実的に、その土地の持っている「気」に合わせた方が投げ銭が多く入るという理由もあります。これは、「旅の資金を作らなければならない」という「問題解決(水の気持ち)」のスタンスからの結論です。路上で急にその土地とは全然関係ない異質な演奏を見かけるよりも、その土地と合った演奏に遭遇した方が、路上で自分を見かけた人も抵抗なく自分を受け入れてくれます。こういった考え方は「欲望」からの「打算」と誤解されそうですが、自分は「世のため」に旅をしているので、その資金集めも「世のため」であり、この考え方は「水の気持ち」からの「計算」です。

こういった二つの理由から、その土地の空気感(気)に合わせて弾くことにしていました。

ちなみに、この演奏で使っているチューニングは、3年以上前に台南の空気感に合わせて作ったチューニングで、「火の気持ち」を表現する上でとても優れているものになります。平和な「火の気持ち」を表現できるので、愛して止まない一つのチューニングです。

自分からすると、台湾の人々はとても可愛らしく感じられます。それは「火の気持ち」の可愛さです。そういった可愛さを6:45くらいからの弾き方で表現しています。「元気」で、けれども力強く、それでいて「可愛らしさ」を持って行進しているようなイメージです。この動画では、そういった「可愛らしさ」が「勇ましさ」変化していく様子を表現しています。これは結果的に、「火の気持ち」の「元気」と「闘いの心」が繋がっていることの説明にもなっています。

ちなみに、演奏している時は、「火の気持ち」の「元気」と「闘いの心」が繋がっていることを説明をしようとしているわけではなく、自分の中に起こる「気持ち」を表現しているだけです。演奏している間、台湾の本質を音で捉えようとする意識は常にあり、だからこそ「火の気持ち」に入ろうとし、「火の気持ち」は「元気」と「闘いの心」の二面性があるものなので、自然とその二面性が表現されます。

こういった解説があれば、音楽の意味はより分かるようになるのですが、音楽だけだと絶対にそこまで深い意味は分かりません。だからこそ、映像や言葉と組み合わせることが大事だと、こういった解説を書いて改めて思っています。

この動画では随分声(歌)を使っていますが、それは最近になってやり始めたことです。路上で演奏している間、自分自身、次にどんな声が出るのかが分からない中を即興演奏していました。感覚としては、勝手に声が出る感覚です。「エキサイティング」という言葉はあまり好きな表現ではないのですが、この経験はとても「エキサイティング」なものでした。

「火の気持ち」の一つの側面は「元気」であって、「元気」という「気持ち」は「ワクワク」するような感覚にも繋がるものです(「ワクワク」には「元気」と「欲望」の2種類があります)。その「元気」の「ワクワク」が「エキサイティング」という言葉に表現されるような感覚です。この感覚で演奏する時は「欲望」の「ワクワク」に堕ちないように心がけていました。

また、「欲望」の「ワクワク」に堕ちないように心がけ始めると、「欲望」との「闘い」や「欲望」に堕ちることへの「不安」との「闘い」になることもあります。そうなると、「火の気持ち」の「元気」ではなくなり、「火の気持ち」の「闘いの心」で弾くことになります。そうなると、音も「元気」から「闘いの心」へシフトしていきます。

「闘いの心」も「エキサイティング」と呼ばれるような「気持ち」でもあります。何故ならば、「闘い」は「興奮(エキサイト)」するものだからです。しかし「闘い」の「興奮(エキサイト)」自体が目的になってしまうと、「闘い」を楽しもうとする「欲望」に堕ちるので、そういう「興奮(エキサイト)」には堕ちないように心がけていました。こういうことは漫画の『バガボンド』の、宮本武蔵(「闘いの心」)と伊藤一刀斎(「闘い」への「欲望」)の対立関係が参考になります。

路上演奏では「水の気持ち」のチューニングで「水の気持ち」を表現することもありました。そういう時もよく声を使っていたのですが、そういう時は「エキサイティング」という感覚ではなく「向上心」の感覚となります。これは「水の気持ち」が「問題解決の心」であって、「問題解決の心」が自分自身の「問題」を「解決」する時に「向上心」となるからです。そういった「向上心」が演奏に向けられ、なおかつ勝手に声が出る時、「『ミス』という『問題』を生んではならない。だからこそ、『水の気持ち』に入り続けなければならない」という「向上心」になります。そういった心が「エキサイト(興奮)」というよりも「冷静」であろうとする「気持ち」に繋がっていきます。

「火」は「熱い」ものであるのに対して、「水」は通常「冷たい」ものです。これは「火の気持ち」が「興奮」であり、「水の気持ち」が「冷静」であることと全く同じです。物質は「気」の本質をよく表現するようにデザインされているからこそ、このような一致があります。

こういったことを理解した上で、それぞれの「気持ち」に入り、何らかの表現をしようとすると、自分が入った「気持ち」を使って表現をするしかないので、使っている「気持ち」によって心がけるべきことが変わります。「火の気持ち」を使って表現をするのであれば「火の気持ち」から出ないように心がけるべきですし、「水の気持ち」を使って表現をするのであれば「水の気持ち」から出ないように心がけるべきです。

自分が使おうとする「気持ち」から出ないようにする上で、その「気持ち」の本質を事前に理解しておくことはとても役立ちます。何故ならば、その「気持ち」の性質を理解しておけば、自分が維持すべき心や自分が強くすべき心が何なのかが分かるからです。

例えば、「火の気持ち(元気)」を維持する上では、「相手を元気にするためには、自分自身が元気になることが大事」という「火の気持ち(元気)」の本質を理解していることがとても役立ちます。この本質さえ理解しておけば、「火の気持ち(元気)」をより強くする上で、「目の前の相手を元気にすることに集中すればいい」ということがわかるからです。そうすると、自ずと自分自身「元気」になることができます。

「火の気持ち(闘いの心)」を強くする上では、「相手を守るためには、相手を苦しめる敵を倒す必要がある」という「火の気持ち(闘いの心)」の本質を理解していることがとても役立ちます。この本質さえ理解しておけば、「火の気持ち(闘いの心)」をより強くする上で、「目の前の相手を苦しめる敵を意識すればいい」ということがわかるからです。自分の場合は、目の前にいる人間の体の中に宿っている「闇の気」を「退治」することを意識することによって「闘いの心」を強くしていました。

「水の気持ち(問題解決の心)」を強くする上では、「相手を苦しめる問題を解決する必要がある」という「水の気持ち(問題解決の心)」の本質を理解していることがとても役立ちます。この本質さえ理解しておけば、「水の気持ち(問題解決の心)」をより強くする上で、「この世の中を悪くしている問題を解決することに集中すればいい」ということがわかるからです。自分の場合は、自分の旅をうまくいかせることで、この世の本質をより深く理解し、その知識をシェアすることによって、「気」のことを見失っているこの世の大きな「問題」を「解決」できる、だからこそ、今この瞬間に旅の資金を作らないといけない、という意識を持つことによって「問題解決の心」を強くしていました。もちろん、先程書いたように「水の気持ち」については「向上心」のアプローチも使っていました。

様々な「気持ち」の本質を学んだ上で、再び演奏を始めて、このような形で学ぶことがあったので、書いておきました。演奏家の方にとっては役立つ情報だと思います。