2013年6-11月頃、私はある闇の精霊に取り憑かれていました。そして自分自身も強い闇の方向へ向かっていた時期でした。神々としては、私に闇の精霊のことを学ばせるために、わざと屋久島に行かせ、闇の精霊に襲わせた形になります。

シャーマンとして闇の精霊に取り憑かれた人などを助けていく上で、闇の精霊に取り憑かれていた経験があるかどうかは非常に重要な点です。もし闇の精霊に取り憑かれたことがないのであれば、闇の精霊に取り憑かれている人の気持ちや状況がよく分からないからです。だからこそ、当時神々はわざと私を闇の精霊から守っておらず、わざと闇の精霊に襲わせていました。

屋久島の森には闇の精霊がいます。この映像は屋久島の闇の精霊に取り憑かれている状態で作成していて、その闇の精霊に作らされたと言ってもいい映像です。ですから、この映像を観ることを通して、屋久島の闇の精霊がどういう存在なのかを、少しだけ感じることができます。また、闇の精霊に取り憑かれると、どういう心理状態になるのかということを感じることもできます。

水には様々な役割がありますが、その一つの役割は気を溜めることです。屋久島は非常に雨が多く、だからこそ巨木が生い茂っているのですが、その巨木を中心に気が溜まった状態となっています。そして、そういった環境だからこそ苔が木々や石に多く生息し、その苔に闇の精霊が宿っているのです。

私は初めて屋久島の森の中に入った時、生まれて初めて「ここで死んでしまいたい」と心に思いました。今だからこそ分かりますが、その闇の精霊に思わされていた形になります。この映像はどうしてもその感覚を忘れられずに再度屋久島の森を訪れた時の様子になります。この頃の私は屋久島の精霊に取り憑かれていました。

当時の私は言います。「霧とは、こちら側とあちら側の境界線を曖昧にするもののような気がするんです。だから、霧が立ち籠めると純粋なエネルギーに満ちた森と自分の境界線がどんどん曖昧になっていくんです。」

今は分かりますが、この言葉の正しい意味はこうです。「霧は水であり、水は気を強く通す。だからこそ、霧は空気よりも強く気を伝える媒介となります。ですから、霧が出ているとその苔に宿っている闇の精霊が自分により多くの闇の気を伝えることが可能となります。」

九州と屋久島は対の関係性にあります。九州は光であり、屋久島は闇です。光と闇の理想的なバランスは9:1であり、それを神々は九州と屋久島にも反映させて土地を作っています。

屋久島の森とは本来人間の踏み入れてはならない領域でした。そういった場所と我々は今後どのように付き合っていくべきなのか、そういったこともこれから我々は考えていかないといけないのかもしれません。