「愛」は「他者のため」を思うからこそ「正しさ」へ通じやすく、「欲」は「自分のため」を思うからこそ「間違い」へ通じやすいです。ですから、「愛」と共に生き、可能な限り「欲」を減らしていくことは、生きていく上での基本です。

しかし、かと言って、「愛」が常に「正しさ」へ向かい「欲」が常に「間違い」へ向かうわけではありません。「愛」を間違った形で使わないためにも、「欲」を良い形で使うためにも、この構造を知っておいた方がいいです。

例えば、我が子を想う「愛」が故に過保護になってしまう親は「愛」が故の「間違い」をおかしやすいです。というのも、過保護になってしまうと、子は人生における挑戦をしづらくなるからです。

このような形で「誰かを守ろう」とする「愛」が、過度の守ることを実践してしまうケースは少なくありません。他にも、「誰かを支えよう」とする「愛」が、相手に対する甘さへ繋がり、そのことが相手に悪影響を与えることも少なくありません。

「欲」が「正しさ」へ繋がる例を取り上げると、例えば、お腹が空いたことによって「食欲」を抱き、何かを食べようとすることは「正しい」です。というのも、食べないと死んでしまうからです。

「食欲」や「睡眠欲」といった「欲」は生きている限りは付き合っていかなければならない「欲」であって、そのような「欲」までも否定して生きることは基本的に難しいです。だからこそ、どういった「欲」が必要なものなのかを理解しておいた方がいいです。

例えば、「健康的な食べ物を食べたい」といった「食欲」は良いものであることが多いのに対して、「健康かどうかはどうでもいいから、美味しい物を食べたい」といった「食欲」は悪いものであることが多いです。

「食欲」や「睡眠欲」以外にも、例えば、「海に行きたい」「温泉に行きたい」といった「欲」は良いものであることが多いです。というのも、海も温泉も心身の健康を保つ上で非常に役立つ存在だからです。つまり、心身の健康を促すような「欲」は良い「欲」であることが多いです。

「愛」が「間違い」を生み、「欲」が「正しさ」を生むケースは他にも様々なパターンがありますが、それは御自身が生きていく中で本質を見抜きながら生きていって頂けると幸いです。

ただ、自分の「欲」を肯定するために、その「欲」の「正しさ」を捏造するようなスタンスには気を付けて頂けると幸いです。基本的には可能な限り「欲」を手放すように生きていくことが、「正しさ」の実践のためにも「幸せ」の実現のためにも、非常に大事なことで、だからこそ、必要最低限の「欲」以外は手放す位のスタンスが理想的です。