「愛」を選ぶか「欲望」を選ぶかで「真実」は異なります。「真実」はいつも一つしかないと思ってると罠に捕まるので、「真実」は常に複数あることを意識しておくことはとても大事です(「真実」が無いわけではありません)。

「愛」と「欲望」では目指す目的地が異なるからこそ、何が「真実」かが異なってきます。「愛」=「他者のために何かをしたいと思う気持ち」、「欲望」=「自分のために何かをしたいと思う気持ち」という本質が異なる「真実」を生み出す形になります。

例えば、「愛」を選ぶのだったら「自分の時間を使ってでも誰かのために何かをするべき」は「真実」です。何故ならば、「愛」は自分の持っているものを相手に「与える」立場だからです(「愛」は「損得」ではない)。それに対して、「欲望」を選ぶのだったら「誰かのために自分の時間を無駄にしてはいけない」は「真実」です。何故ならば、「欲望」は自分の持っているものを相手に「与えない」立場だからです(「欲望」は「損得」)。

つまり、「愛」にとっての正解は「他者のため」になることであるのに対して、「欲望」にとっての正解は「自分のため」になることです。こういう方向性の違いがあるからこそ、「愛」と「欲望」は真逆の正解を持っています。

こういった本質を理解していれば、騙されなくなります。例えば、誰かがネット上に「自分の時間を誰かのために無駄にしてはいけない」といった内容を書いていても、これは「欲望」の側の「真実」であって、「愛」の側の「真実」でないことを見抜けるからです。これを見抜けないと、「自分の時間を誰かのために無駄にしてはいけない」という「欲望」の「真実」が、全ての「真実」のように思えてしまって、罠に捕まってしまいます。だからこそ、常に「愛」と「欲望」の対立関係の中で、誰かの主張を分析することは大切です。

本当はいい人なのに、「欲望」の「真実」が世界の「真実」だと思ってしまって、その「欲望」の「アイデア」を信じ込み、そのことによって「愛」をすり減らし「欲望」に堕ちていく人をよく見かけます。それを減らすために、この文章を書いています。

また、こういった説明から「賢さ」が重要であることも理解して頂けると幸いです。「欲望」の実践のための「ずる賢さ」ではなくて、物事の本質を見抜くことができる本当の「賢さ」は大事です。そういった「賢さ」があってこそ、自分の心の中に浮かぶ考え方や他人が自分に与える考え方が、「愛」と「欲望」のどちら側の「真実」なのかを見分けられるようになるからです。