男と女の精神的違いを理解することは非常に大事で、特に、男と女が向かうべき精神性を理解することは、我々の向かうべき点を明らかにします。そのことを理解する上で大事な点は身体の意味を理解することです。

男の体は女の体よりも「勇ましさ」を持ち、女の体は男の体よりも「美しさ」を持っています。このデザインが意味することは、男は「勇ましさ」を養い、女は「美しさ」を養うという方向性が基本だということです。

男の方が戦闘に向いている体をしているので、昔は男は家族や村を守るために「闘いの心」を養いやすかったことは予想できます。そして、自ずと女はそういう男を支えるという「優しさ」などを持ちやすかった形になります。

誰かを「守ろう」とする精神性は「勇ましさ」へ通じ、誰かを「支えよう」とする精神性は「美しさ」へ通じています。だからこそ、もはや肉体的な戦闘の必要が無くなった現代は男に「勇ましさ」が減り、女も男を支えるという構造が無くなってきているので「美しさ」が減っています。

男は女を守り、女は男を支える、という古典的な考え方は男の「勇ましさ」と女の「美しさ」のバランスを支えていました。この古典的な考え方が常に正しいわけではありませんが、この考え方の価値を理解することは大事です。

そして、こういう観点で考える時、現代は本来の男と女のバランスは崩れている時代であって、かといって、男と女の立場が逆転することは不可能ですから、バランスを取り戻していくことが必要です。

男性的な「気持ち」の方が「勇ましさ」を持ちやすいです。それに対して、女性的な「気持ち」の方が「美しさ」を持ちやすいです。だから、男が「美しさ」を持とうとすると女っぽくなりますし、女が「勇ましさ」を持とうとするも男っぽくなります。

男が女っぽくなること、女が男っぽくなること、に抵抗感を感じる人は多いです。だからこそ、やはり男が「勇ましさ」を養い、女が「美しさ」を養う方向の方が現実的です。