「優越感」や「自己顕示欲」で人に何かを教えている人の話は基本的には聞かない方がいいです。そういう人は「相手のため」ではなくて、「自分のため」に何かを教えているからです。本質的には「自分のため」だからこそ、相手に対する「配慮」をしようとしませんし、相手に正しいことを伝えたいという気持ちが弱いので、間違ったアドバイスをしがちです。

逆に、本当に「相手のため」に何かを教える人は、「配慮」に満ちたアドバイスをしようと全力を尽くしますし、間違ったことを伝えないように全力で「自問自答」をします。もちろん、「相手のため」に教えていても、適切な「配慮」ができるか、適切な「自問」ができるかは、その人の「賢さ」に依ります。

整理すると、

「自分のため」に生きる人は、自分が「快楽」を感じるために「優越感」や「自己顕示欲」で何かを教えているので、「配慮」と「自問」に欠けます。
「相手のため」に生きる人は、相手を「幸せ」にするために「愛」で何かを教えているので、「配慮」と「自問」をしようとします。
そして、「愛」で教えていれば十分というわけではなくて、「賢さ」が足りなければ「配慮」と「自問」は不十分になります。
ですから、「愛」と「賢さ」に満ちた人の言葉を聞くべきです。

人に何かを教える経験は「優越感」や「自己顕示欲」という「快楽」を得るために使うこともできる行為であることは意識化した方がいいです。そうすれば、人に何かを教えてる時に「優越感」や「自己顕示欲」に堕ちてないかをチェックできるからです。これは、私自身、いつもチェックを心掛けていることです。

また、「賢さ」が足りなければ間違ったアドバイスをしてしまうということを意識化すれば、人に何らかのアドバイスをしないといけない時のために、日々自分の「賢さ」を伸ばすための努力をします。そうすれば、「賢さ」は自ずと養われていきます。このような形で「愛」は「賢さ」を養います。

人に何かを教えるということは、とてつもなく重い責任を伴なう行為です。誰かに間違ったことを伝えてしまい、その相手がそのアドバイスを鵜呑みにしてしまったら、そのアドバイスが相手の人生を狂わせてしまうこともあるからです。

そんなことをちゃんと考えられていたら、相手にアドバイスを気軽にしたり、何らかの主張を簡単にインターネットに書くことなどできなくなります。しかし、この時代の日本は真逆で、皆が簡単に自分の意見や主張を「優越感」や「自己顕示欲」の実践のために、つまり「自分のため」に行なっています。逆に言うと、本質的には「自分のため」だからこそ、簡単に自分の主張を発信できます。

とにかく、「自分のため」にアドバイスをする人や情報を発信する人の言葉は見ないようにすることが大事です。初めから見なければ、間違ったことを信じることもないからです。もし、そういう情報を見てしまったのであれば、その情報が正しいかどうかを強く「問う」ことがとてつもなく大事です。ただ、全ての情報の真偽を判断できるだけの「賢さ」を持つことは、人間にはほぼ不可能なことなので、初めから見ないことの方がよっぽど安全です。

今の日本人は自分が受け取った情報を「問う」どころか、自分にとって都合のいい情報は「欲望」で「鵜呑み」にし、都合の悪い情報は「嫌悪」から「疑う」ということを行ないがちです。その結果として、間違った情報を正しいと思い込み、正しい情報を間違っていると思い込みます。

このような形で、「自分のため」に情報を発信する人と「自分のため」に情報を受け取る人が組み合わさると、社会全体で「真実」を見失い、「嘘」を本当と思い込んでいきます。今の日本社会は、どんどんそういう社会になっています。

そんな愚かな構造が日本にはあって、日々この構造によって、日本が悪化していく様子を見ながら、自分の影響力の無さが故に、全然この問題をシェアできないことは悔しいことです。