理想的に人は様々な「愛」をバランスよく使えるようにしていくべきです。

「愛」の中には「厳しさ」があるものと「優しさ」があるものがあります。「厳しさ」は相手の「成長」を促そうとしたり、相手に試練を与える立場であるのに対して、「優しさ」は相手の「幸せ」を実現しようとしたり、相手を守ろうとする立場です。

例えば、相手の抱えている「問題」を指摘するような方向性は、相手の「成長」を促そうとする「厳しさ」の立場であるのに対して、相手を笑わせて「元気」にしようとする方向性は、相手の「幸せ」を実現しようとする「優しさ」の立場です。

人が「成長」することは良いことです。何故ならば、「成長」はその相手が良い形で生きていくことを促すものだからです。だからこそ、「厳しさ」のスタンスで相手の「成長」を促すことは良いことですが、人は弱いものなので「優しさ」のスタンスで相手を支えることも必要です。

逆に言うと、いつも「優しさ」のスタンスで相手を支えることを行なっていては、その相手は自分無しには生きていけない存在になってしまいます。相手がそういう風にならないためにも、「厳しさ」によって相手の「成長」を促すことは必要です。

もちろん、子育ての場合、父が「厳しさ」の担当者、母が「優しさ」の担当者という形で、それぞれの「愛」を分担することもできますし、この構造は子育ての王道です。しかし、我々人間は親子関係以外にも様々な教え合いをしながら生きているので、「厳しさ」と「優しさ」を自分自身が使い分けられるようにしておくことは理想的です。

「厳しさ」と「優しさ」の本質を理解するためには、様々な「愛」の実践の方向性を理解する必要があります。「『愛』の種類」のページでも書きましたが、以下が「愛」の基本的方向性です。

「相手を助けたい」からこそ、相手の抱える「問題を解決」することを目指す:「問題解決の心」
「相手を元気にしたい」からこそ、相手に「笑い」をもたらし「元気」にしようとする:「元気・笑いの心」
「相手を守りたい」からこそ、相手を傷付ける敵と「闘おう」とする:「闘いの心」
「相手を支えたい」からこそ、相手の立場になって考える「思いやり」をしようとする:「思いやりの心」

この四つの方向性の内、「問題解決の心」と「闘いの心」は「厳しさ」の方向性、「元気・笑いの心」と「思いやりの心」は「優しさ」の方向性です。

この4つを全て自分の中に養うことが最も理想的ですが、それはかなり難しいことでもあります。しかし、「厳しさ」の方向性の一つと「優しさ」の方向性の一つを自分の中に強く養うことは非現実的ではないですし、実現できれば素晴らしいことだと思います。