「謙虚」は人の「成長」を促しますから「謙虚」は非常に大事です。つまり、「謙虚」は自分の「短所」の「発見」を促し、その「短所」の「克服」を促すからこそ、非常に大事です。

それに対して、「誇り」は人の「行動」を促しますから「誇り」は非常に大事です。つまり、「誇り」は自分の「長所」の「確信」を促し、その「長所」の「活用」を促すからこそ、非常に大事です。

この構造を言い換えると、「謙虚」が「行動」を生みにくく、「誇り」が「成長」を生みにくいことも見えてきます。「謙虚」は自分自身を「認めない」からこそ、自分のことを「未熟」だと思うが故に、「行動」を起こすことに対して躊躇する心に繋がり、「誇り」は自分自身を「認める」からこそ、自分のことを「未熟」だと思わないが故に、自分の「成長」を促しにくい構造があります。

我々人間は「謙虚」と「誇り」のこのような構造を踏まえた上で、この両者と良い形で付き合って生きていくべきです。

若い頃は「謙虚」を中心軸に生きていくことが王道です。何故ならば、若い頃は自分自身を知らず、なおかつ様々な自分の「短所」を克服し「長所」を伸ばす前の段階ですから、自分の「成長」を実現するために「謙虚」と共に生きた方がいいからです。

歳を取ると共に「誇り」を中心軸に生きていくことが王道です。何故ならば、若い頃に自分自身を知り、なおかつ様々な自分の「短所」を克服し「長所」を伸ばした後の段階ですから、自分の「行動力」を強めるために「誇り」と共に生きた方がいいからです。

しかし、もちろん、若い頃に自分自身を知る努力や自分の「短所」の克服と「長所」を伸ばす努力をしていなかった大人は歳を取ってからも「謙虚」であるべきですし、生まれながらにして優れた人間は、自分自身を知ることができれば歳を取らなくても「誇り」を持つべきです。

実際は、今の日本は本質的な意味での「短所」の克服や「長所」を伸ばす努力を若い頃に実現しにくいので、このような説明があまり現状と合っていないのは事実ですが、それでもこのような理想的な形を理解することは大事です。

自分の持つ「長所」を「認めない」立場を取ってしまう人の多くは、「謙虚」が故の「愚かさ」に捕まっています。「謙虚」は基本的に自分のことを「認めない」ことをしやすく、そういった「謙虚」の性質が、自分自身を必要以上に低く考えてしまいやすい「愚かさ」を生みます。それが酷い場合は「自己嫌悪」などにも堕ちます。

自分の持つ「短所」を「認める」立場を取ってしまう人の中には、「誇り」が故の「愚かさ」に捕まっています。「誇り」は基本的に自分のことを「認める」ことをしやすく、そういった「誇り」の性質が、自分自身を必要以上に高く考えてしまいやすい「愚かさ」を生みます。それが酷い場合は「傲慢」などにも堕ちます。

そういった「愚かさ」に堕ちないために大事なものが「賢さ」であって、自分自身の本質を見定められるだけの「賢さ」を養うことが、適切な「謙虚」と「誇り」を持つことを促しますし、「自己嫌悪」や「傲慢」などに捕まることも止めます。

「謙虚」と「愚かさ」がこのような「愚かさ」を生み出しやすいことや、このような意味での「賢さ」の必要性についても、合わせて理解して頂けると幸いです。