「愛」は複数の種類ありますが、そういった様々な「愛」を大きく二つに分ける観点が、「誰かのため」と「皆のため」という違いです。この両者の違いを分かることは、「愛」で生きていく方にとってとても大事なことです。

例えば、「家族のため」を思うお母さんは「誰かのため」の「愛」を抱いているのに対して、「社会のため」を思う政治家は「皆のため」の「愛」を抱いています。そして、「家族のため」を思うお母さんは、自分が向き合っている相手に対しての「愛」の実践を目指すスタンスなのに対して、「社会のため」を思う政治家は、自分が向き合ったこともない誰かに対しての「愛」の実践を目指すスタンスです。

「愛」の立場で生きていると、「誰かのため」と「皆のため」のどちらかを優先しなければならない局面を経験することになります。例えば、よくあるケースは「家族のため」なのか「会社のため」なのか、という選択です。そういった時に、もちろん両方を大事にできれば一番好ましいのですが、現実には一方しか大事にできないことはあります。

そういった時にどちらを選択するのかは御自身の「意志」です。そういった「意志」があなたの人間性がどのようになっていくのかを大きく決定付けます。「家族のため」を優先する立場を選べば、目の前の相手を大事にしようとする「愛」が育まれやすくなるでしょうし、「会社のため」を優先する立場を選べば、より多くの人を大事にしようとする「愛」が育まれます。

「愛」で生きる人にとって、目の前の相手を大事にしながら、より多くの人間を大事にできること程「幸せ」なことはありません。例えば、とても才能のある子供を授かった親は、その子供が良い形で育てることを頑張ることが、その子が日本社会に大きく良い影響を与える人物になることを支えることになり、「子供のため」に頑張ったことが「日本のため」になります。

ただ、実際は、目の前の相手を大事にすることと、より多くの人間を大事にすることが矛盾することもあります。例えば、とても才能のある研究者が、家族と向き合う時間も惜しんで、世の中のためになるような研究に没頭することなどは、その人が「家族のため」になることはできなくとも、研究が進んだ分「社会のため」になります。

多くの人の人生に役立つことはとても価値のあることです。ですから、「皆のため」を優先することは大事です。しかし、人一人の人生は全く軽いものではなく重いものです。ですから、「誰かのため」を優先することも大事なことです。結局、「愛」で生きる人は自分にとって誰が大事なのかを決めなければなりません。

大事なことは、「皆のため」を優先する時であっても「誰かのため」を優先することができない自分を反省し、「誰かのため」を優先する時であっても「皆のため」を優先することができていない自分を反省することだと思います。言い換えると、「私は世の中のために生きているから家族は大事にしなくてもいいんだ」「私は家族のために生きているから世の中は大事にしなくてもいいんだ」と考えるべきではないということです。そういった偏った考え方は、やはり正しくはないからです。

つまり、「あなたが誰を大事にしたいのか」ということと「何が正しいのか」は必ずしも一致しません。誰かを大事にすることが誰かを大事にできないことに繋がることはとても多いからです。だからこそ、「誰かため」に生きることと「皆のため」に生きることが一致することは、「あなたが誰を大事にしたいのか」と「何が正しいのか」が一致する時であって、「愛」で生きる人にとって、これ以上「幸せ」な構造はありません。