「認め合い」と「戒め合い」の両方を良い形で実現することは、大変大事なことです。そして、この両者の性質をより良く知ることが、良い形での「認め合い」と「戒め合い」を促します。
 

【「認める」⇄「戒める」】

「認める」という行為は「肯定」なのに対して、「戒める」という行為は「否定」です。ですから、相手の「肯定」すべき要素を「認め」、相手の「否定」すべき要素を「否定」することが、我々人間にとっての理想です。

そのことにより、相手は自身の「長所」に対して「自信」を持ちやすくなりますし、相手は自身の「短所」に対して「問題意識」を持ちやすくなるからです。つまり、人間としての「向上」が実現しやすくなります。

逆に、相手の「否定」すべき要素を「肯定」してしまうならば、その相手は自らの「問題」を維持しかねませんし、相手の「肯定」すべき要素を「否定」してしまうなら、その相手は自らの「長所」を消し去りかねません。
 

【「認め合い」は「楽」⇄「戒め合い」は「困難」】

「認め合い」は「楽」です。というのも、相手から「肯定」されることは「嬉しい」ことだからです。だからこそ、心に「弱さ」があったとしても、「認められる」ことを受け入れることは「簡単」です。

「戒め合い」は「楽」ではありません。というのも、相手から「否定」されることは「苦しい」ことだからです。だからこそ、心に「弱さ」があったとしたら、「戒められる」ことを受け入れることは「困難」です。

こういう構造があるからこそ、相手を「認める」ようなことを伝えることも「簡単」であるのに対して、相手を「戒める」ようなことを伝えることも「困難」です。
 

【過度の「認め合い」と「戒め合い」】

過度の「認め合い」は「馴れ合い」への道へ通じています。特に、「自分のため」に相手を「認める」ことを行なう人々においては、相手の「問題」までを「認める」方向性へ向かい、それが「馴れ合い」を生み出します。

過度の「戒め合い」は「憎み合い」への道へ通じています。特に、「自分のため」に相手を「戒める」ことを行なう人々においては、相手の「長所」までを「戒める」方向性へ向かい、それが「憎み合い」を生み出します。

特に、「嫌われる」ことを避ける傾向の強い我々日本人は、「自分のため」に相手を「肯定」することをやりがちだからこそ、こういう意味では「馴れ合い」になりがちです。

「相手のため」を思っていたとしても、「優しさ」しか持たない人間は過度の「認める」ことをやりがちです。また、「相手のため」を思っていたとしても、「厳しさ」しか持たない人間は過度の「戒める」ことをやりがちです。

つまり、「優しさ」と「厳しさ」をバランスよく自分の中に持たない限り、適切な「認める」ことと「認めない」ことの実現は困難です。このバランスを適切に持つことを我々人間は目指すべきです。
 

【「調和」と「対立」】

「認め合う」ことが「調和」であり、「戒め合う」ことは「対立」であると思いがちな人もいますが、この認識は適切ではありません。

一見「認め合い」は「調和」に見えます。しかし、過度の「認め合い」が故に生まれた「馴れ合い」は「調和」という言葉で置き換えるべきものではないと思います。

一見「戒め合い」は「対立」に見えます。しかし、「戒め合い」が「対立」へ繋がるのは、心に「弱さ」を持つ人の場合であって、心に「強さ」がある人の場合、「戒められる」ことを受け入れ、決して相手に対する「憎しみ(嫌悪)」に堕ちることはありません。だからこそ、そういうものを「対立」という言葉で置き換えるべきではないと思います。

真に「向上心」が強い人間は相手からの「戒め」に「感謝」をします。何故ならば、「向上」を目指す人間は、自分の成長になり得る機会を与えてくれた他者に「感謝」をするからです。

つまり、「戒められる」ということを受け入れられることを可能にする原動力は「向上心」であり、それが「戒められた」場合に必要な「強さ」へ繋がります。そして、その「向上心」と「強さ」がある限り、相手からの「戒め」によって「対立」へ堕ちることはありません。

我々人間は皆完璧ではありません。つまり、我々人間は何かしらの「問題」を抱えているが故に、自分の全てを「肯定される(認められる)」べき存在ではありません。ですから、他者からの「戒め」を我々は皆、本質的に必要としています。

しかし、心に「向上心」が欠け、「弱さ」を持っていれば、相手からの「戒め」は「嫌悪」を生み出し、目に見えざる「対立」を生み出します。

つまり、真の「調和」とは、真の「向上心」と「強さ」を持った人間達の間に生まれるものです。
 

【「和」を重んじる日本人の道】

我々日本人は本質的に「和」という言葉を無意識にも重んじるところがあります。「対立」を「問題」と捉え、できるだけ「対立」の機会を避ける国民性を持っているとも言えます。

だからこそ、「和」という言葉の意味を、このような文脈の中で、「認め合い」⇄「戒め合い」、「強さ」⇄「弱さ」、そして「向上心」といった言葉と共に理解し直すことは大変重要なことです。

何故ならば、こういうことを認識することが、我々日本人にとっての理想の「道」を照らし出すからです。