昔から「男の子なんだから泣かないの」といったことが日本では言われてきましたが、現代ではこのような言葉は「男女差別」として否定的に捉えられがちです。そんな時代だからこそ、この言葉の意味を改めて理解することは大事です。逆に言うと、この言葉を成立させている根本的な思想を理解すること無しに、ただの「差別」として否定することは好ましくないと思います。
 

【「男性的」な心は「強さ」へ繋がりやすい】

「男の子なんだから泣かないの」という言葉の一つの意味は「男は強くあるべき」という意味に他なりませんが、ここで考えるべき点は「愛」に基づく「男性的」な精神性の方が、「愛」に基づく「女性的」な精神性よりも、「強さ」に繋がりやすいという点です。

例えば、「勇ましさ」という言葉が「男」という文字を含んでいるように、「戦士的」な精神性は「男性的」な精神性の一つですが、このような「闘いの心」は「強さ」へ繋がりやすいです。何故ならば、この精神性はそもそも「打ち勝つ」ということを目指す心だからこそ、自分の心に迫ってくる「弱さ」に「打ち勝つ」ことをしやすい精神性だからです。

それに対して、「優しさ」という精神性は「女性的」な精神性の一つですが、「優しさ」は「強さ」へ繋がりにくいです。何故ならば、この精神性は「打ち勝つ」のではなく「支える」ことを目指す心だからこそ、自分の心に迫ってくる「弱さ」に「打ち勝つ」ことがしづらい精神性だからです。

他にも、「男性的」な精神性と「女性的」な精神性は色々ありますが、全体的に考えると「男性的」な精神性の方が「強さ」を実現していくことをしやすい傾向はあります。
 

【「涙」の役割】

また、文字通り「男の子なんだから泣かないの」という言葉を理解する時、「涙は女性のもの」といった思想にも繋がってきますし、実際、全体で考えると、「男性」よりも「女性」の方が「涙」を流すことは多いと思います。

「愛」があれば「涙」を流す存在を「守りたい」と思います。そのような意味では、「女性」が「涙」を流すことは「男性」がその「女性」を「守りたい」と思うことを促す側面もあります。逆に言うと、両者ともに「涙」を流すなら、このバランスは崩れてしまいます。

また、「女性」の方が「男性」よりも「美しさ」を表現しやすいところがありますが、良い「涙」には「美しさ」があります。そういう意味で、「美」のために「涙」を「女性」のものと考えることは理に適っているところがあります。

このような「涙」の役割で考える時、「男女」のバランスや「女性」の「美しさ」に関する特性などを考えると、「涙」は「女性」のものと考える方が全体としてはいいと考えることができます。
 

【「男の子なんだから泣かないの」は正しいか?】

これらの前提を踏まえて、「男の子なんだから泣かないの」という言葉を捉え直すことが大事です。

そもそも、「男女」問わず「強さ」を獲得することは目指すべきです。何故ならば、「弱さ」はその人自身もその人の周りの人も「不幸」にする力を持つからです。そして、「男性」は「女性」よりも「強さ」を獲得しやすいのですから、「男性」が「女性」よりも「強さ」を獲得すべきという発想は適切だと思います。

また、「涙」の役割のことを踏まえると、「涙」を「女性」のものとすることも「男女」のバランスを保つ上で有効なことなので、「男の子なんだから泣かないの」は正しいと思います。

しかし、このような意味も分からず「男の子なんだから泣かないの」ということを子育ての場面において使うことは正しくありません。何故ならば、それは「教育」ではなく「押しつけ」であり、「自由」ではなく「支配」だからです。

つまり、「男の子なんだから泣かないの」という思想自体は間違ってはいない部分は多いですが、現代社会で「男の子なんだから泣かないの」と親が子に言う場面は間違っていることが多いです。

「押しつけ」や「支配」は子供に不必要な「苦しみ」を与えます。何故ならば、「納得」できない限り「動機」は生まれず、「動機」が生まれない限り「意志」は生まれないからです。言い換えると、ただただ「男の子なんだから泣かないの」という言葉に子供は「従う」しかないです。

そうではなく、「将来お嫁さんを守れるような男になりたかったら強くなった方がいい」といった言い方にすることが大事です。何故ならば、このような「あなたが〜したいなら、〜した方がいい」という言い方は「押しつけ」や「支配」ではなく、その本人の「意志」を尊重した「教育」だからです。

このような構造を踏まえずに考えるから、「男の子なんだから泣かないの」という言葉は「差別」として排除される傾向にあります。しかし、それは「男性」が「男性」の「長所」を伸ばすことを止めることを促し、「男女」のバランスを崩すことを促しています。

逆に考えると、「弱さ」を抱えた「男性」ばかりの社会や「泣き虫」の「男性」ばかりの社会を実現した方がいい理由は何もないはずです。そのような社会になってしまえば、社会全体として非常に悪い方向へ行きやすくなります。何故ならば、「弱さ」は様々な有害な出来事を引き起こす力を持つからです。

本来、「男の子なんだから泣かないの」という言葉は「男女差別」ではなく「男女の違いの尊重」の一つです。しかし、この言葉の本質的な意味を見失っているからこそ、「差別」と考えられやすいですし、実際「差別」のような形で使われてしまいやすい現状があります。

このようなことは他の言葉でも同様に言えます。例えば、「女の子なんだからお行儀よくしなさい」という言葉もありますが、「女性」が「美しさ」と共に生きることの「価値」などを理解すればする程、その子にとっても、将来的にその子と関わることになる人にとっても、その子が行儀よくする習慣を手に入れておくことが大事なことは見えてきます。しかし、そういった背景を理解しなければ、こういう言葉を言うことは「押しつけ」にもなり得るからこそ、注意が必要です。
 

【最後に】

こういった点に限らないことですが、現代社会が「教育」の現場で抱えている根本的な問題は大人が物事の本質的意味を見失っていることです。それを見失っているからこそ、「男の子なんだから泣かないの」という言葉の意味すら子供に伝えることができず、子供はただただ「支配」されるばかりです。

しかし、「支配」は子供の「成長」をむしろ止め「不幸」の実現を促します。何故ならば、子供自身の「意志」が生まれなければ真の「成長」は促されず、「支配」は子供に「嫌悪」を植え付け、「嫌悪」は子供が「不幸」になる原因となるからです。

この文章を通して、「男の子なんだから泣かないの」という言葉の持つ深い意味について理解して頂くと共に、誰かに「教育」をする人間が物事の意味を理解することは、教えられる側にとって極めて重要であることについても理解を深めて頂けると幸いです。