「恨み」というものについて理解を深める上で、「被害者意識」について理解を深めることはとても大事です。というのも、そういうことを理解することによって、誰かに酷いことをされた時に「被害者意識」によって「恨み」を助長し、自分や他人を苦しめることを防ぎやすくなるからです。
 

【「自分のため」と「被害者意識」】

仮に相手が100%の「悪」を実践したとしても、「恨み」を抱くことは「間違い」です。何故ならば、「恨み」の心は自分自身を蝕み、自分の周りの人に悪影響を与えるからです。つまり、相手が100%悪いとしても、「恨み」は抱くべきではありません。

しかし、「自分のため」を思う心に囚われると「被害者意識」に囚われ、そういった「被害者意識」が「恨み」に同調することを促します。「自分はあんな酷いことをされた」という「被害者意識」が「あんな酷いことをしやがって」という「恨み」に繋がる形です。

このような意味で、「被害者意識」は「恨み」に繋がりやすい本質を持っているので、まず初めに「被害者意識」に囚われないことが重要ですし、そういう罠に囚われない上で大事なことは「自分のため」を思う心に囚われないことです。

「自分のため」を思うが故に「被害者意識」に囚われると「感情的」になってしまい「冷静さ」を失います。そして、「恨み」は非常に「感情的」なものだからこそ、その「感情的」な部分で「被害者意識」と「恨み」は結びつきやすいとも言えます。そして、「恨み」は自分も他人も苦しめます。

我々人間は「自分のため」にも囚われやすい存在なので、酷いことをされると「被害者意識」に堕ちやすいところがあります。だからこそ、このような構造を意識化して生きていくことは大事です。
 

【「被害者意識」と「正当化」】

「被害者意識」は「攻撃」の「正当化」をする心にも繋がりやすいです。「自分はあんな酷いことをされた」と思う心が「こういう仕返しをするのは当然だ」という心に繋がる形です。この構造は小学生同士の喧嘩で「アイツが先に殴ったから殴り返したんだ」と言う子供の心境と本質は同じです。

小学生同士の喧嘩の例で考えると分かりやすいですが、「攻撃」をされたからといって「攻撃」をし返すことが「正しい」ことにはなりません。むしろ、お互いに「攻撃」をし合うことは、強い「対立」という「問題」を生み出すので、「攻撃」をし返すことは「間違い」であることが多いです。

しかし、「被害者意識」が故に「恨み」を抱えると、自分が相手に「仕返し(攻撃)」をすることを「欲望」する心は強く自分に迫ってきますから、人はなんとかしてその「仕返し(攻撃)」を「正当化」しようとします。そして、「正当化」したいからこそ人は「正当化」を行ないます。

そういうことによって、実際の「仕返し」をしてしまったことで「対立」が激化し、本来不必要な泥沼の「闘い」にはまっていく人は少なくありません。そして、その結果として、様々な人々を巻き込みながら、自分も相手も「不幸」になりがちです。

このような構造を理解することで、万が一「被害者意識」に堕ちてしまったとしても、間違った「正当化」をしてしまうことを回避しやすくなりますし、間違った「正当化」をしないからこそ「仕返し」をしなくなりやすいはずです。その結果として、不必要に「不幸」な人を増やすことを避けられます。
 

【最後に】

世の中には「被害者意識」が故に「恨み」を抱え、他者に「攻撃」をすることを繰り返す人は少なくありません。そういった人は、「被害者意識」が故に「相手が悪い」という点ばかりに囚われるからこそ、自分自身を省みることをせずに「成長」もしづらい構造を抱えています。このような意味で、「被害者意識」は「成長」の機会を奪う意味も持っています。

「恨み」が生まれるきっかけとなった相手の「攻撃」にも何らかの理由があるはずで、その理由を自分が作り出していることは少なくありません。例えば、自分のパートナーに文句ばかりを言い続け、その結果として相手の自分に対する「愛」がすり減ってしまい、相手が不倫をしてしまうといった形です。

そういったケースにおいては、「何故相手に不倫をさせてしまったのか」と考える人間の方が素晴らしい人間ですし、「反省」によって自分自身の「向上」も実現しやすい人間です。しかし、「恨み」に囚われやすい人間はそのような「反省」はせず、相手が不倫をしたことに対する「恨み」のみに心が集中してしまいます。

このような形で、「恨み」は自身の「向上」を促さず、「向上」を実現しないからこそ、「恨み」に囚われやすい人間は、何らかの「問題」が起こりやすい状況を自ら作り出し続けやすい傾向があります。しかし、「恨み」に囚われ続けるからこそ、そういう構造があることさえも気付けず、「不幸」なループに捕まりがちです。このような側面から、「恨み」が如何に「不幸」を生み出すのかを理解することはとても大事なことです。

ほぼ全ての人間は完璧ではなく、我々は皆心に何らかの「問題」を抱えています。言い換えると、「間違い」を犯したことのない人間など1人もおらず、それが世界の本質であるにも関わらず、他人の「間違い」によって「恨み」を抱えやすい人格でいるなら、人生はとても「不幸」になりやすいです。

だからこそ、大事なことは「許す」心を持つことであって、そのために必要な心は「相手のため」を思う心を持つことです。「相手のため」を思うからこそ、「自分の恨みによって相手を苦しめたくない」と思うこともできるようになり、「恨みを終わらせるために許そう」とも思いやすくなります。