どのような人が「好かれる人」であって、どのような人が「嫌われる人」なのかを知ることはとても大事です。何故ならば、このようなことを理解することで、他人から「好かれるべき人」が「好かれる」ことを促せますし、他人から「嫌われる」覚悟を持つ人がその意味を深く分かることもできるからです。
 

【「欲の人」】

「自己中心的な人」が「嫌われる人」であることはとても分かりやすいと思います。「自己中心的な人」は「自分のため」の「欲」を、他人がどう思うのかを気にせずに実践する人だからこそ、他人は「不愉快」な思いをするからです。

それに対して、「自分のため」の「欲」を実践している人であっても、他人がどう思うのかを気にしながら実践する「空気を読む欲の人」は、「自己中心的な人」よりは「嫌われない」ことも明らかだと思います。「空気を読む」が故に、他人に「不愉快」な思いをさせないようにするからです。

ただ、普段は「空気を読む欲の人」であっても、「弱さ」などに堕ちると「空気を読む」こと以上に「自分が救われる」ことを目指す場合もあります。そうなると「空気を読む」ことよりも「自己中心的」な態度を無意識に選ぶことに繋がり、「嫌われる」ことに繋がりやすいです。

例えば、相手の予定も考えずに悩み相談を長時間し続けるといった形です。このような意味で、「弱さ」は「嫌われる」要因になることもあります。
 

【愛の人】

「優しい人」が「好かれる人」であることはとても分かりやすいと思います。「優しい人」は「相手のため」の「愛」を、相手がどう思うのかを気にしながら実践する人だからこそ、他人は「癒される」からです。

それに対して、「相手のため」の「愛」を実践している人であっても、相手が成長することを目指す「厳しい愛の人」は、「優しい愛の人」よりも「嫌われる」ことも明らかだと思います。「厳しい愛」が故に、他人に「試練」という「苦悩」を与えるからです。

特に、「厳しい愛の人」の中でも、「強さ」をとりわけ抱える人は、自分と同じ基準を他人にも与えやすいが故に、より大きな「試練」という「苦悩」を与えやすく、より一層「嫌われる」ことが起こりやすいです。

例えば、相手の予定も考えずに説教を長時間し続けるといった形です。このような意味で、「強さ」は「嫌われる」要因となることもあります。
 

【「愛の人・欲の人」共通】

動機が「愛」にせよ「欲」にせよ、「面白い人」は「好かれる」傾向があります。何故ならば、「笑わせられる」ということは相手にとって「愉快」なことだからです。これは「お笑い」に限らず、「興味深い話」などをする人についても同様に言えます。

また、「愛の人」にせよ「欲の人」にせよ、「美しい人」「かっこいい人」「可愛い人」は、特に異性から「好かれる」傾向にあります。ただ、その逆に同性からは「嫉妬」の対象として「嫌われる」ことも少なくありません。

「美しさ」「かっこよさ」「可愛さ」といった「魅力」については、「愛の魅力」もあれば「欲の魅力」もあります。そして、「愛の人」は「愛の魅力」を持つ人を「好き」になりやすいのに対して、「欲の人」は「欲の魅力」を持つ人を「好き」になりやすいです。

また、当然のことですが、「礼儀」や「常識」がない人は相手に「不愉快」な感覚を与えやすいので「嫌われる」傾向があります。その逆に、「礼儀」や「常識」がある人は相手に「不愉快」な感覚を与えないので印象はいいです。
 

【まとめ】

つまり、相手に「癒し」や「愉快」の感覚を与える人は「好かれる」のに対して、相手に「苦悩」や「不愉快」の感覚を与える人は「嫌われる」形です。

当然のことですが、こういったことを「愛」と「欲」という異なる動機の観点から体系的に理解することは大事です。

何故ならば、こういうことを理解することで、他人から「好かれる」べき人が「好かれる」ことを促せますし、「厳しい愛の人」などが必要以上に「嫌われる」ことを防ぎやすくなるからです。

誰かが誰かを「嫌う」ということは「対立」を促します。そのような意味では、誰かが誰かを「嫌う」機会をできるだけ減らすことは良いことなので、この文章を書きました。御活用頂けることを願いますが、「欲の人」にはなってほしくないとも思います。

「欲」をベースに人当たりを良くしている人間は「たぬき」ですし「ピエロ」だと思います。そういう人間には本当の「魅了」はなく、「愛」を動機にしている人間の方こそ本当の「魅力」が生まれてきます。その方が結果的には、多くの人に「愛される(好かれる)」はずです。