「恨み」は自分も他者も苦しめる心であって、自分も他者も人格を悪くすることを促す心です。そのような意味を分かることで、「恨み」に同調することの危険性も見えてくるので、「恨み」の本質を理解することは大事です。


【「恨みを晴らす」≠「恨みが消える」】

「恨み」を抱き「恨み」に同調し続ける人は、相手を「攻撃」することで「恨みを晴らす」ことを目指します。

何故ならば、「恨み」の感覚は極めて「不愉快(苦しい)」からこそ、相手を「攻撃」することで、その「苦しさ」から脱することを「欲望」するからです。また、自分に「苦しみ」を与えた「仕返し」として、「憎しみ」によって相手にも「苦しみ」を与えることを「欲望」するからです。

確かに、「恨み」によって相手に「攻撃」した場合、相手を苦しめることができたことから一瞬は「快楽」を得られるかもしれません。しかし、それで「恨み」が完全に無くなるとは限らず、過去のことを思い出すことなどを通して、その「恨み」が自分の中に再び起これば「苦しさ」も再び経験しますし「攻撃欲求」も再び起こります。

つまり、「恨みを晴らす」ことが「恨みが消える」ことに繋がるとは限りません。このような意味で、「恨み」に同調し続ける限り、自らを「不幸」にする構造は続いていきます。
 

【「攻撃」による「恨み」の増幅】

また、「恨み」による「攻撃」は、相手にとっても「不愉快」なものなので、相手の「恨み」が生まれるきっかけを与えてしまいますし、それが相手の自分に対する「攻撃」に発展することもあります。

このような構造ができると、「恨み」によるお互いの「攻撃」により、お互いの「恨み」を増幅させることを繰り返し、お互いに「不幸」になっていきます。

また、相手が「恨み」に堕ちていなくとも、「攻撃」に対する「反撃」をせざるを得ない状況が生まれることもあり、そういった「反撃」が自分の「恨み」の増幅を促すこともあります。

このような意味で、「恨みを晴らす」ために行なった「攻撃」が、更なる「恨み」を自分にもたらすきっかけになり得るということは非常に大事な点です。
 

【「許し」の重要性】

「恨み」を終わらせる方法は「許す」ことです。そして、「許す」ことができれば、自分自身が「苦しみ」から解放されますし、相手の「恨み」を作ることも防げます。

「恨み」は「苦しい」のに対して、「許す」ことをしてしまえば「楽」です。しかし、「苦しみ」を望んでいないにも関わらず、「許す」ことをせずに「恨み」に囚われてしまう人は少なくありません。ですから、「許す」ことは「楽」に繋がり、「許さない(恨み)」は「苦しみ」に繋がるということを意識化して生きていくことはとても大事です。

「恨み」の根底にある心は「自分のため」を思う心です。「自分のため」を思うからこそ、「あんな酷いことをしやがって」といった心に繋がります。だからこそ、「自分のため」を思う心を止めることで「恨み」は減らせますし、「許す」ことにも繋がりやすくなります。

「許し」の根底にある心は「相手のため」を思う心です。「相手のため」を思うからこそ、「恨みによって攻撃してはいけない」といった心に繋がります。だからこそ、「相手のため」を思う心を促すことで「許す」ことは実現しやすくなりますし、「恨み」を止めやすくなります。

このような「許す」方向性が、お互いが「幸せ」に向かっていく上で必要なことですし、お互いの周りの人々にとってもいいことです。というのも、「恨み」を抱えた人は「恨み」の対象の相手だけではなく、その「ストレス」によって、関係のない周りの人にも悪影響を与えるからです。

「恨み」は相手の「不幸」を「欲望」する心にも繋がることがあるので、「相手のため」を思って「恨みを終わらせたい」と思うことが困難なことは少なくないかもしれません。

しかし、「自分のため」や「第三者のため」に「恨みを終わらせたい」と思うことは比較的簡単なはずです。だからこそ、「恨み」を抱くことが自分自身や、関係のない誰かを「不幸」にしかねない構造を理解することは大変重要な点です。

そして、なによりも、「恨み」を完全に終わらせる方法は「許す」ことであるという当然の「真実」を、改めて意識化して頂けると幸いです。