「恐怖」の危険性
2022.10.12 心の成り立ち(入門)
「恐怖」は我々を「支配」する力を持つ心です。何故ならば、何かを「恐れる」ならば、我々は「自分のため」に「自分を守る」ことに囚われるからです。ですから、「恐怖」に囚われた瞬間に我々は「恐怖」によって動かされることが始まります。
つまり、「恐怖(自分のため)」に囚われた瞬間に「愛(他者のため)」を抱けなくなります。なおかつ、「恐怖」は我々の「冷静さ」を奪うので、我々の判断能力を奪います。
例えば、子供と共に車でどこかに出かけている際、事故に遭いそうになった時、「恐怖」に囚われると子供を守ろうとする意識よりも「自分を守る」ことに囚われ、子供を守れないという事態もあり得ます。逆に、そういう場面で「愛」を抱き、子供を守ろうとするなら、その心は「恐怖」に同調していないはずです。
また、「恐怖」は様々な悪い心に繋がります。例えば、「恐怖」が故に自分を守ってくれそうな何かに「執着」する心にも繋がりますし、自分を守ることを邪魔する何かに対する「怒り」にも繋がりますし、自分を守ることを優先するが故に他者のことを考えず「自己中心的」にもなりやすいです。
「自分のため」に「自分を守る」ことしか考えられなくなると「醜さ」を抱えやすくなります。何故ならば、「自分のため」に必死になる様子は見苦しい印象さえも与えるからです。
人が「恐怖」を抱くのは、大きな脅威に直面した時です。そして、生きていると、そういう場面に遭遇してしまうことはあります。
そういった時に、「愛」と「冷静さ」を失い判断を誤らないためにも、「自己中心的」な態度に堕ちないためにも、最初から「恐怖」に同調しないことが如何に大事なのかを、この文章を通して意識化して頂けると幸いです。