恋愛について
2017.02.24 恋愛について
ここでは恋愛についての概要を書いていきます。恋愛についての知識の中で、最も重要で基本的な知識が「恋」と「愛」と「欲望」の違いなので、このページではそのことについて書いていきます。
【「恋」「愛」「欲望」の違い】
「恋」はどんな魂であっても行なうことができるものです。しかし、恋を「光」=「相手のため」の立場で行なうか「闇」=「自分のため」の立場で行なうかによってスタンスが異なってきます。
「恋」とは異性に対して「好き」という気持ちを抱くことです。我々が幼い頃に行なう恋愛は基本的には「恋」です。ただ単純に相手のことを「好き」だと思い、そういった気持ちのままに留まります。これが恋愛における「恋」です。そして、年を重ねるごとに、人は「恋」を「愛」または「欲望」にしていきます。
「愛」の強い人は「恋」を「愛」にしていきます。「恋」を「愛」にしていくこととは、「好き」という気持ちを相手のことを大事に想い、だからこそ「相手のため」に何かをしたいと思う気持ちにしていくことです。そして、相手が「幸せ」になることを目指し、相手が「幸せ」な時に自分も「喜び」を感じます。また、自分よりも相手の方を大事に想うので、「自分のため」に相手を利用したいと思わず、「相手のため」に自分を犠牲にすることさえも行なうことができます。また、「相手のため」を想っているので相手を「支配」したくないと思い、相手の「意志」を尊重します。これが、恋愛における「愛」です。
「欲望」の強い人は「恋」を「欲望」のために使います。「恋」を「欲望」のために使うということは、「自分のため」に自分が「恋」をしている相手を使うということを意味します。自分が「恋」をしている相手とは自分の心を強く動かすことができる存在であって、「恋」を「欲望」のために使う立場とは自分が最も気持ちよくなるためにその相手を使う立場です。だからこそ、自分が「快楽」を得ることを目指し、相手が自分に「利益」をもたらす時に「快楽」を感じます。また、相手よりも自分の方を大事に考えるので、「自分のため」に相手を利用したいと思いますし、「相手のため」に自分を犠牲にすることはできません。また、「自分のため」を思っているので、必要であれば相手を「支配」したいと思い、相手の「意志」を尊重しません。これが、恋愛における「欲望」です。
恋愛している間は「愛」と「欲望」の間を我々は振れるものです。例えば、「愛」の強いカップルでも「束縛」をしてしまうことがありますが、「束縛」とは相手を「支配」したいという気持ちの表れであって、「欲望」の立場が行なうことです。元々は「欲望」の強いカップルでも、相手が喜んでいる時に嬉しくなったりすることもありますが、これは「愛」の立場です。このようにして、我々は恋愛をしている間、「愛」と「欲望」の間を振れています。ですから、「愛」と「欲望」の違いを理解して、「欲望」を選ばず、「愛」に留まるように努力して頂ければ、と思います。
我々が非常に若い時は「愛」も「欲望」もまだ強くないので、「恋」が「愛」や「欲望」になっていくことが弱く、「恋」に留まります。しかし、我々人間は年齢を重ねるごとに「愛」または「欲望」を強くしていくので、「恋」をする度にそれが「愛」か「欲望」のどちらかに傾いていきます。
これはとても大事なことですが「愛」と「欲望」の両方が強くなるということはあり得ません。何故ならば、「愛」とは「相手のため」の気持ちであって、「欲望」とは「自分のため」の気持ちであるが故に両者は矛盾し合うものだからです。だからこそ、我々は年齢を重ねるごとに「愛」か「欲望」のどちらかに傾き、自然と「恋」を「愛」と「欲望」のどちらにしていくのかということの傾向が生まれます。
【「喜び」と「快楽」の違い】
「愛」があると相手が「幸せ」な時に「喜び」を感じ、「欲望」があると自分が「利益」を得られる時に「快楽」を感じます。では、恋愛において何が「愛」の「喜び」であり、何が「欲望」の「快楽」であるのかを説明していきます。
「愛」は「自分よりも相手のことを大事だと想う気持ち」であって、その気持ちが「相手を感じたい」「相手のために何かをしたい」という気持ちに繋がります。それに対して「欲望」は「相手よりも自分のことを大事だと考える気持ち」であって、その気持ちが「相手を通して自分が気持ちよくなりたい」「自分のために相手に何かをさせたい」という気持ちに繋がります。
そして、こういった「愛」と「欲望」の違いによって、何に対して「喜び」を感じ、何に対して「快楽」を感じるのかということの違いが生まれます。以下の例文を読んで頂けると、このような「喜び」と「快楽」の違いを感覚的に理解できると思います。
「愛する相手が幸せなことに対して喜びを感じる」○言う
「愛する相手が幸せなことに対して快楽を感じる」×言わない
「セックスを通して相手と一つになれることに対して喜びを感じる」○言う
「セックスを通して相手と一つになれることに対して快楽を感じる」×言わない
「気持ちがいいセックスを通して喜びを感じる」×言わない
「気持ちがいいセックスを通して快楽を感じる」○言う
人が「喜び」と「快楽」という言葉をどのようにイメージしているのかということは、その人その人によって少しずつ異なります。そして、本来持っている「喜び」と「快楽」の意味から外れるように言葉が乱れていっている現状があります。しかし、本来の「喜び」と「快楽」の意味で考えると上のような例文の構造になります。
「愛する相手が幸せなことに対して喜び/快楽を感じる」の例文は分かりやすいと思います。「愛する相手が幸せなことに対して」「喜び」を感じられることはあっても「快楽」を感じることはできないからです。
「セックスを通して相手と一つになれることに対して喜び/快楽を感じる」の例文は、「愛」の立場のセックスが相手を感じようとしているのに対して、「欲望」の立場のセックスは相手を感じることよりも自分が気持ちよくなろうとする立場であることを踏まえると分かります。そのことの結果として、「相手と一つになれることに対して」「喜び」は感じるけど「快楽」は感じないという結果が生まれます。
「気持ちがいいセックスを通して喜び/快楽を感じる」という例文は人によっては少し分かりづらいかもしれないです。「快楽」のことを「喜び」と捉えさせられている人も今はいるからです。しかし、本質的に自分が気持ちいいという感覚は「快楽」です。それに対して、「喜び」は相手が幸せなことに対して「嬉しい」という感覚に近いです。ですから、「気持ちがいいセックスを通して得られるもの」は「喜び」とは言えず、「快楽」です。
恋愛において、「愛」と「欲望」の違いは具体的にこのような「喜び」と「快楽」の違いを生みます。この例文がしっくりこないという方は、この例文での「喜び」と「快楽」という言葉の使い方が本当の「喜び」と「快楽」という言葉の使い方であると理解して頂ければ、と思います。「喜び」は「相手が幸せなこと/相手を感じられること」から生まれるものであって、「快楽」は「自分が気持ちいいこと」自体を意味します。
【恋愛と「飽き」の関係性】
「愛」の場合は相手に対して「飽き」が来るということは起こらず、「欲望」の場合は相手に対して「飽き」が来ます。どうしてこのような傾向が生まれるかというと、「欲望」という気持ちが絶対に「飽き」が来るようにできているからです。
「欲望」とは「自分のため」に「快楽」を求める気持ちのことですが、「快楽」が絶対に「飽き」が来るようにできているからこそ、「欲望」と「飽き」はセットの関係性を持っています。それに対して「愛」とは「相手のため」に何かをしたいという気持ちであって、相手が「幸せ」な時に自分も「喜び」を感じます。そして、そういった「喜び」は「飽き」がくるようなものではありません。例えば、上の「愛する相手が幸せなことに対して喜びを感じる」という例文を「愛する相手が幸せなことに対して飽きた」とは言えないことに、そのことはよく表れています。
つまり、「欲望」は「快楽」をもたらすのであり、「快楽」は「飽き」が来るものであるに対して、「愛」は「喜び」をもたらし、「喜び」は「飽き」が来るようなものではありません。「愛」と「欲望」は「飽き」について、このような構造を持っています。
逆に言うと、今までの御自身の恋愛を振り返って頂いた時に、相手に対する「飽き」が原因で別れたことがあったとしたら、その恋愛の最後は、相手に対する気持ちが「愛」ではなく「欲望」になってしまっていたということが分かります。御自身の人生に置き換えて頂きながら、この文章を活用して頂けると幸いです。そのことで、「愛」と「欲望」の違いなどがよく分かるからです。
恋愛だけに限らない「飽き」の構造については、こちらに詳しく書いています。
http://junashikari.com/emotion/飽きについて/
【御自身が「愛」と「欲望」をどれだけ相手に抱えているかを測る方法】
恋愛をしている時、御自身の相手に対する気持ちが「愛」なのか「欲望」なのかを自分自身で理解することはとても大事なことです。そのことによって、相手に対する「愛」を「欲望」と捉えたり、相手に対する「欲望」を「愛」と捉えたりすることが無くなるからです。相手に対して「愛」を抱き、守りたい人の場合、自分がどれだけ「愛」と「欲望」を相手に対して抱えているのかを知ることはとても重要です。なぜならば、現状を知ることが改善に結びつくからです。
御自身が「愛」と「欲望」をどれだけ抱えているのかを測る上で有効な方法は何らかの問いを設定することです。
例えば、「相手がお金に困っている時にお金をあげることができるか?」という問いに対して「Yes」であれば「愛」はあり、「No」であれば「愛」は無いです。現代人にとってお金は必要なものなので、それを相手にあげられるのかという問いは、自分にとって必要なものを自分を犠牲にして相手に与えられるのかということを意味します。
そして、その額を上げていきながら自分の中で問いを作っていけば、自分の相手に対する「愛」の大きさは分かります。御本人の収入がどの程度あるかによっても異なりますが、例えば「その相手のために1000万円借金抱えてもいい」と思うのであれば大きな「愛」です。それに対して、「一億円の借金抱えてもいい」「100万円の借金だったら抱えられる」と思うのであれば、その大きさの「愛」になります。
「愛」をお金で測ると考えると非常に良くないように思われるかもしれませんが、こういった「問い」を設定することで自分の心の「真実」は見えてきます。そういった「真実」を一度自分の中で受け入れた上で、相手に対する「欲望」ではなく「愛」を大きくしていって頂ければ、と思います。
【音楽を通して恋愛の「愛」と「欲望」について学ぶ】
恋愛における「光(愛)」と「闇(欲望)」の違いを学ぶ上で最も我々に多くを教えてくれる歌手が中島美嘉です。中島美嘉は人生の中で「光」と「闇」の両方を描くことを役割とし、それを見事に実践してきました。ですから、中島美嘉の歌の意味をよく理解しながら中島美嘉の歌の声を分析すると、恋愛における「愛」と「欲望」の違いがよく分かります。何故ならば、声にはその人間の抱いている気持ちがよく表れるからです。
例えば、中島美嘉の『愛してる』と『GAME』は恋愛における「愛」と「欲望」の極端な例です。『愛してる』の中島美嘉の声や曲調は我々にとって「愛」の教科書のような意味を持ったものであり、『GAME』の中島美嘉の声や曲調は我々にとって「欲望」の教科書のような意味を持ったものです。『愛してる』では強い「愛」が『GAME』では強い「欲望」が表現されています。
『愛してる』は文字通り「愛」を表現し、『GAME』は恋愛を「ゲーム」のように自分が楽しむために使っていることを表しています。下の動画の両方を聴き比べてみて頂けると幸いです。
この二曲は極端な例であって、『愛してる』のような純粋な「愛」の声でなければ「愛」ではないということではないですし、『GAME』のような恐ろしい程の「欲望」でなければ「欲望」ではないということではないです。中島美嘉は恋愛おける様々な側面を歌ってきているので、それぞれの歌の持っている意味を理解した上でその曲を聴くと本当に多くを学ぶことができます。中島美嘉についてはこちらに詳しく書いています。
http://junashikari.com/art/中島美嘉について2/
恋愛における「愛」は様々です。だからこそ、「愛」を歌うそれぞれの歌手は異なる「愛」を歌っています。しかし、「欲望」を「愛」のように見せかけて歌っている歌手もいるので、そういった歌手の歌を「愛」だと思うと、「愛」のことを誤解します。だからこそ、どの歌手のどの歌が「愛」を表現しているのかを理解することはとても大事です。「愛」=「相手のため」、「欲望」=「自分のため」という構造が見えていれば、「愛」に見せかけて「欲望」を歌っている歌も見破ることができます。
参考になると思うので、恋愛における「愛」を歌っている女性歌手とアルバム名を列挙します。
中島美嘉…全アルバムに「愛」と「欲望」が混在
中谷美紀…ほぼ全作品(一定して「金の気」=「愛の気」で歌っています)
Chara…ほぼ全作品(強い「愛」から生まれる「相手を感じたい気持ち」が「わがまま」になる領域も時折表現しています。)
宇多田ヒカル…『First Love』『Distance』『DEEP RIVER』『ULTRA BLUE』『HEART STATION』
Salyu…ほぼ全作品(「水の気」=「向上心・問題解決の心」の「愛」をよく歌っています)
Aimer…恋愛の曲はほぼ全作品(「水の気」=「向上心・問題解決の心」の「愛」をよく歌っています)
柴田淳…ほぼ全作品(いつも恋愛における「愛」を歌っています。ごくわずかですが「闇」の歌もあります。)
原田郁子…恋愛の曲はほぼ全作品(「金の気持ち」に加えて「火の気持ち(笑い)」で歌うことも多いです)
MY LITTLE LOVER…ほぼ全作品(一定して「金の気」=「愛の気」で歌っています)
聴いてみて頂けると分かると思いますが、このように様々な「愛」の形があります。ただ一貫して言えることは、必ず「相手を大事に想う気持ち」「相手のために何かをしたいと想う気持ち」が表現されている点です。「愛」とはどういった気持ちなのか何かを知る上で、これらの歌手の歌はとても参考になりますので、是非聴いてみて頂けると幸いです。
これは恋愛をしている時だけに限りませんが、恋愛をしている時に「愛」を歌った歌を聴くことは我々にとてもいい影響を我々に与えます。そのことで「愛」が強まり、「愛」を学ぶことができるからです。是非、上に列挙したような歌手の歌を聴きながら、「愛」を強くしていって頂ければ、と思います。
【最後に】
恋愛についてはこのページだけではなく、かなり書く必要があると思っています。ここでは大雑把に「愛」と「欲望」の対比の中で説明していきましたが、この「愛」と「欲望」という対比の中には様々な種類があります。例えば、「依存」という気持ちがありますが、これは「欲望」と非常に近い気持ちであって「自分のため」の気持ちです。現代は恋愛で相手に「依存」する人はとても多いですから、「愛」と「依存」の関係性も書く必要があります。また、「愛」には複数の実践方法があり、「愛」が故に相手に「優しさを実践したい」という気持ちと「相手の抱える問題を解決したい」という気持ちは異なります。そういった恋愛における「愛」の違いについても書いていきたいと思います。また、性行為といった恋愛における様々な行為についてだけに限定して解説すべきことも多くあります。そういったことについても書いていきたいと思っています。
ただ、このページに書いている、「愛」=「相手のため」、「欲望」=「自分のため」という対比は、恋愛においていつも中心軸にあるものなので、このページに書いてあることが恋愛について最重要な情報であることは間違いなく言えます。「愛」と「欲望」の違いを踏まえながら、御自身の恋愛の場面一つ一つを思い出して頂きながら、「あの時は愛だったのだろう」「あの時は欲望に堕ちてしまったのだろう」といった形で、このページを活用して頂ければ、と思います。そうすると、色々なことに対して反省ができるので、よりいい形で恋愛における「愛」を実践しやすくなります。