「ほら、怖くない」

ナウシカは心の真実がよく見えています。それをよく象徴するシーンが、生きることを放棄しつつあるおじいさん達の心を変えるシーンであったり、キツネリスの心を変えるシーンです。

「恐怖」は「自分を守る」ということを促すが故に「道」を誤らせる力を持っています。例えば、「恐怖」が故にこのキツネリスは「攻撃欲求」を抱き、おじいさん達は「逃げ」を選びます。

クシャナの場合、腐海の森に入り込んだ時に「恐怖」が故に「支配欲」を抱き、発砲をしてしまいます。その時ナウシカは、「あなたは何を怯えてるの?まるで迷子のキツネリスのよう。怖がらないで、ただ私はあなたに自分の国に帰ってもらいたいだけ」とも言います。

つまり、ナウシカは「恐怖」が如何に人間の「道」を誤らせるのかを知っていて、だからこそ、相手の「恐怖」を断ち切ることを目指します。これは、ナウシカが根本的な「問題」を「見定め」、その「問題」の「解決」を目指す「水の気持ち(問題解決の心)」を強く抱いていることの表れでもあります。

「ほら、怖くない」というセリフは、そういったことを象徴する言葉であって、このような意味が分かるなら、このシーンが如何にナウシカを象徴するシーンであるのかが分かりますし、ナウシカを通して我々が学ぶことも増えます。

また、キツネリスのシーンにおいてもう一点重要な点は、ナウシカがキツネリスに噛まれた際に、「痛み」が故に「嫌悪」に同調することを止めている点です。

「痛み」は我々が「嫌悪」を抱くことを促しますが、「嫌悪」もまた「恐怖」同様に我々の「道」を間違えさせる力を持っています。仮に、ここでナウシカが「嫌悪」に同調したなら、この後キツネリスと仲良くなることもなかったはずです。

この後、彼女は常にキツネリスと共に時間を過ごしていますが、こういった「可愛い」動物と常にいることは、ナウシカが常に「愛」を抱くことを促し、その「愛」はナウシカが正しい「道」を選ぶことを促します。このようなことが分かった時、ナウシカがこの時「嫌悪」に同調してしまうことを止めたことの価値も分かります。

ナウシカは「嫌悪」が人間の「道」を誤らせることを知っており、だからこそ、一瞬でも「嫌悪」を選ばないようにするということを習慣化していたはずです。そうでなければ、とっさの「痛み」に対して瞬時に対応することは困難だからです。

このような習慣を持つことは大変重要なことで、逆に、このような習慣を持たない限り、一瞬の隙が故に簡単に「嫌悪」を自分の心に受け入れてしまいやすく、そのことが故に「道」を誤りやすくなります。そういったこともこのシーンは我々に教えてくれます。

以上の解説から、「ほら、怖くない」のシーンはナウシカが「恐怖」と「嫌悪」の本質をよく知っていることを象徴するシーンであり、彼女が他者の心についても自分の心についても「問題解決」を行なっていることを象徴するシーンであることを知って頂けると幸いです。

心の本質を知っているからこそ、他者や自分が精神的に間違った「道」に入ることを止めやすくなりますし、正しい「道」に入ることを実現しやすくなります。そして、根本的な「問題」を「解決」しようとする時、「問題解決の心」は素晴らしい形で実践されます。

そういったことの価値をナウシカを通して、実感することができたなら、我々はより正しく生きていくことがしやすくなると思います。何故ならば、我々がどうあるべきなのかということを実感のともなった形で学ぶことがしやすくなるからです。

だからこそ、こういった解説を通して、ナウシカに対する理解を深めて頂けると幸いです。