碇シンジのように「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」を抱きながら生きている人のことを「水の人」と言います。そして、「愛」を基本とする感情である「光の気持ち」は「水・火・風・土・金の気持ち」の五種類なので、「愛」を実践する人間は「水・火・風・土・金の人」のどれかになります(稀に複数にまたがっている人もいます)。これについては以下に詳しく書いています。

それぞれの「光の気持ち」の性質は以下です。皆さんもこれのどれかの感情を持ちやすい方だと思います。それを見極めることで自分が水・火・風・土・金のどのタイプであるのか、ということが分かります。

水の気持ち:「愛」の実践のために「問題解決」を行なおうとする心=「向上心・問題解決の心」
火の気持ち1:「愛」の実践のために「笑い」を使おうとする心=「元気・笑いの心」
火の気持ち2:「愛」の実践のために「闘い」を使おうとする心=「闘いの心」
風の気持ち:「愛」の実践のために「思いやり」を使おうとする心=「優しさ」
土の気持ち:信じることのために何かをやり始めようとする気持ち・やり続ける気持ち=「勇気・忍耐」
金の気持ち:相手を大事と想う気持ちそのもの=「愛」そのもの

それぞれの感情については以下に詳しく書いております。これらのことをよく理解した上で『エヴァンゲリオン』を観ると、この作品の持つ意味がよく分かります。

 

【登場人物について】

『エヴァ』の登場人物は五種類の人間の内のどれかであって、何かしらの「闇」も強く抱えていますが、それぞれの人物が抱えている「光」は以下です。

碇シンジ=水
惣流・アスカ・ラングレー=火(闘いの心)
葛城ミサト=火(元気・笑い+闘いの心)
綾波レイ=水
真希波・マリ・イラストリアス=火(元気・笑い)
碇ゲンドウ=土
赤木リツコ=水
冬月コウゾウ=水
加持リョウジ=水と火と風
渚カオル=完璧な風
碇ユイ=完璧な金
伊吹マヤ=風
日向マコト=火(元気・笑い+闘いの心)
青葉シゲル=水
鈴原トウジ=火(闘いの心)
相田ケンスケ=火(元気・笑い)
洞木ヒカリ=火(闘いの心)と金
鈴原サクラ=金

以下、それぞれの登場人物について概要を解説していきます。
 

[碇シンジ]

 
 

碇シンジは「水の人」ですが、様々な「闇」に囚われている人として描かれます。水色と言われるように水の色は青ですが、シンジは「水の人」だからこそ青色のプラグスーツを着ています。また、紫は青にとても近い色ですが、紫も「水の気」の色です。だからこそ、碇シンジは紫色のエヴァンゲリオン初号機に乗っています。

また、「碇」は「船が流れないために、綱や鎖につけて水底に沈めておくおもり」のことですが、碇シンジが「水の人」であるからこそ「碇」という名字を持っています。また、不完全な「水の人」だからこそ、船が進むことをできなくする「碇」という名字を持っている側面もあります。

「水の気持ち」とは「向上心・問題解決の心」ですが、自分の「問題解決」をする姿勢のことを「向上心」と言い、自分以外の事柄について「問題解決」をする姿勢のことを「問題解決の心」と言います。この2つは「問題解決」という点で繋がっているので、同じ「水の気持ち」です。

そして、シンジは「水の人」が抱えやすい「闇の気持ち」の全てに堕ちていきます。「自己嫌悪」「疑い」「怒り」「被害妄想」「絶望」「罪悪感・後悔」「劣等感」「不安」「恐怖」「焦り」「混乱」「逃げ」「咎める心」「無心」などです。ですから、シンジの在り方を見ていると、「水の人」がどのようにして「闇の気持ち」に堕ちていくのかということをよく理解することができます。

シンジが「闇」に堕ちる根本的な原因は「自己嫌悪」です。「水の人」は「向上心」を使うが故に、自分自身の「問題」を見つめ、そのことが原因で自分の全てに対して否定的に考え始めやすいところがあります。そのように心を動かし始めると自分自身に対して「嫌悪」や「疑い」を抱くことに繋がっていきます。碇シンジはそういった形で「闇」に堕ちることから、様々な「闇」に芋づる式に堕ちていく人物です。

また、他人の「問題」を見つめるが故に「怒り」に堕ちていく様子なども描かれています。例えば、テレビシリーズでも新劇場版でも、碇ゲンドウが初号機に対してダミープラグを使い、使徒に乗っ取られた三号機を破壊した場面では、シンジはゲンドウに対して「怒り」を抱き、ネルフ本部を破壊しようとします。この心の動き方は、他人の「問題」に対して「解決」をしようとしているわけではなく、「怒り」を抱いてしまっている形です。だからこそ、正しい判断ができなくなり、ネルフ本部を破壊しようとし始めます。

このような形で、碇シンジは「水の気持ち」の「向上心」と「問題解決の心」が故に堕ちやすい「闇の気持ち」に強く堕ちていく人物として描かれています。「水の気持ち」がどのように「闇」に繋がっていくのかということをこれほどまでに強く表現しているキャラクターは他にいないと思います。ですから、碇シンジの姿は我々に多くを教えてくれます。

ただ、シンジは自分自身や自分以外の「問題」に対して「水の気持ち」で向き合うことができることもあり、そのことをよく表しているのが「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」という有名なセリフです。この言葉は「逃げ」という「闇の気持ち」に対して、「水の気持ち」で乗り越えようとしていることをよく表しています。

・「水の気持ち」について
http://junashikari.com/emotion/水の気持ち/


[惣流・アスカ・ラングレー]

 
 

アスカは「火の人」であり、「火の気持ち」の「闘いの心」を強く抱いた人物として描かれます。火の色は黄色・オレンジ・赤ですが、「闘いの心」の色は「赤」です。だからこそ、アスカは赤のプラグスーツを着ていますし、アスカが乗っているエヴァンゲリオン二号機は赤色です。

また、アスカの名前の「ラングレー」とは「太陽の放射エネルギーを表す単位」のことを表します。太陽は火の星だからこそ、アスカは「ラングレー」という名前を持っています。また、アスカは一般に「飛鳥」ですが、「ラングレー」と合わせて考えると「火の鳥」とも解釈することができます。また、「惣流」の「惣」は「角のある牛」「弓の両端に張る糸をはじく様」「心臓」の三つを表す象形文字から生まれた漢字であって、「角のある牛を弓で打ち破ることを目指す心」と言えます。これは「闘いの心」の本質だからこそ、アスカは「惣流」=「闘いの心流」という名前を持っています。つまり、「惣流・アスカ・ラングレー」で「闘いの心の火の鳥」です。

「闘いの心」とは「愛する人を守るために敵と闘おうする気持ち」です。アスカは「闘いの心」が堕ちやすい「闇の気持ち」に捕まっている人物として描かれます。アスカが捕まっている「闇の気持ち」とは「嫌悪」「負けず嫌い・傲慢」「優越感・劣等感」「怒り」「執着」「頑固」「欲望」「絶望」「逃げ」「苛立ち」「憂鬱」「嫉妬」「焦り」などです。

アスカが「闇」に堕ちる根本的な原因は「嫌悪」と「負けず嫌い」です。「闘いの心」は敵のことを「許せない(嫌悪)」と思うが故に、「闘いの心」を強く抱える人間は、敵ではない相手に対しても「嫌悪」を抱きやすい性質があります。また、「闘いの心」は敵に対して打ち勝つことを目指すが故に、「闘いの心」を強く抱える人間は「負けず嫌い」に堕ちやすい性質があります。

こういったアスカの抱えている「嫌悪」と「負けず嫌い」は「〜は嫌い!」「あんたバカ〜?」といったアスカの口癖によく表れています。「〜は嫌い!」は文字通り「嫌悪」であって、「あんたバカ〜?」は「見下し」の姿勢であって、「負けず嫌い」が故に自分が相手よりも上に立つこと望むからこそ生まれる言葉です。

「負けず嫌い」は自分が勝っている時は「快楽」を得られるものですが、自分が負けている時は「苦悩」を経験するものです。テレビシリーズの後半では、アスカが自分が負けていることを感じることによって「闇」に堕ちていく様が描かれます。その結果、全てのものに対して「嫌悪」を抱き、「絶望」にも堕ちていき、どうしようもないところまで堕ちていく様が描かれています。

「負けず嫌い」は「勝ち」にこだわるので、その本人の心の「強さ」などを伸ばす力も持っていますが、「負け」が続いていくと「絶望」といった「闇」に堕ちていく性質を持っています。アスカは実際に、「負けず嫌い」が故に自分の能力を伸ばし、「負けず嫌い」が故に自分を破滅させていきます。アスカは、そういった「負けず嫌い」の可能性と危険性を強く表現している人物です。

「闘いの心」がどのように「闇」に繋がっていくのかということをこれほどまでに強く表現しているキャラクターは他にいないと思います。ですから、アスカの姿は我々に多くを教えてくれます。「火の気持ち」の「闘いの心」についてはここに詳しく書いています。

・「火の気持ち(闘いの心)」について
http://junashikari.com/emotion/火の気持ち(闘いの心)/

「水の気持ち」と「火の気持ち」は「光の気持ち」の中でも最も基本的なものです。また、「問題解決の心」と「闘いの心」は何らかの困難な状況を乗り越える上で最も核となる気持ちです。ですから、シンジとアスカの対比は『エヴァンゲリオン』の中で最も基本となる構造です。この二人の対比は我々に様々な「真実」を教えてくれます。

例えば、シンジは「水の人」だからこそ「謙虚」であって、その「謙虚」さから自分自身に対して「嫌悪」を抱きがちなのに対し、アスカは「火の人(闘いの心)」だからこそ「傲慢」であって、その「傲慢」さから他人に対して「嫌悪」を抱きがちです。こういった対立構造を意識しながら『エヴァンゲリオン』を観ていくと、我々は多くを学ぶことができます。
 

[綾波レイ]

 

綾波レイは「水の人」ですが、感情に乏しい人として描かれます。どうしてレイが「水の人」と言えるかというと、いつも「問題解決」を行っているからです。また、レイが水色の髪をしていたり、テレビ版のエヴァンゲリオン零号機が青色をしているのは、レイが本質的に「水の人」だからです。また、名前に「波」という文字が入っているのは「水」という点を伝えるための構造です。

レイは「無心」に囚われている人として描かれています。しかし、物語が進む中で徐々に「水の気持ち」を強めていく様が描かれます。例えば、テレビシリーズでレイがシンジのために自爆を選ぶことは、強い「問題解決の心」であって、新劇場版でレイがシンジのためにお父さんと食事会を企画することも「問題解決の心」です。シンジに対する「愛」を抱いていくことで、レイは「問題解決の心」を強めていきます。

 

 

[葛城ミサト]

 

ミサトも「火の人」です。しかし、ミサトはアスカとは少し異なり「闘いの心」の側面に加えて「元気・笑い」の側面も持っている人物として描かれます。ネルフでの仕事中は「闘いの心」を抱き、家では「元気・笑い」の側面を抱きながら生きていることが描かれます。「闘いの心」の色は赤であるのに対して、「元気・笑い」の基本色は黄色です。そのことに合わせて、ミサトの仕事着は赤であるのに対して、ミサトの部屋着が黄色で描かれています。

ちなみに、アスカも一度だけ「元気・笑い」の方向性に向かった場面があり、その時だけはオレンジ色のプラグスーツを着ています。こういった一致も神々によって意図的に起こされています。

ただ、ミサトも「火の気持ち」が故に「闇の気持ち」に堕ちている人物として描かれます。ミサトが捕まっている「闇の気持ち」は「欲望(支配欲、性欲、酒)」「怒り」「咎める心」「嫌悪」「疑い」「依存」「逃げ」「恐怖」といったものです。

ミサトはシンジやアスカ程よりは「光」を保っています。それは、使徒に対して「闘いの心」を使う様子や、家でシンジを笑顔にしようとする「元気・笑い」の態度からよく分かります。ただ、「闘いの心」を好ましくない形で使う様子がよく描かれています。例えば、リツコに対して過剰なまでに「闘いの心」で接するのは、誤った「闘いの心」の使い方です。

 

また、新劇場版『エヴァンゲリオンQ』では、ミサトは「火の気持ち」の「元気・笑い」を失い、「闘いの心」を非常に強めた姿として描かれます。映画の中で「神殺しの力、見極めるだけよ」と言いますが、これは『もののけ姫』のエボシ御前の「皆、よく見届けよ、神殺しが如何なるものか」という言葉と重なっていますが、エボシ御前も強い「闘いの心」を抱く人だからこそ、このような台詞の重なりがあります。


[赤木リツコ]

リツコは「水の人」として描かれます。紫と青は非常に近い色ですが、リツコが青紫色の服を着ているのはリツコが「水の人」であることを示すためです。

リツコは「水の気持ち」が「愛」のために「問題解決」を目指す気持ちであるということの、「愛」の側面が薄れ「問題解決」ばかりを重要視している人として描かれています。また、ミサトと同じで誤った形で「水の気持ち」を使う様子もよく描かれます。ミサトとリツコはシンジとアスカの関係性と同様に「水の人」と「火の人」の関係性なのですが、人間が誤った形で「光の気持ち」を使うことはどういうことなのかをよく表現している2人として描かれています。

また、リツコも「水の気持ち」が故に「嫌悪」「咎める心」「執着」「絶望」「優越感」といった様々な「闇の気持ち」に堕ちていることも描かれます。


 

 

 

一つの身体が滅びる度にレイの魂は、別の綾波レイの器に宿りますが、脳が異なるために記憶を失います。ただ、魂が同じであるが故に碇ゲンドウの眼鏡を見て涙を流し、本人がその涙に驚いたりしています。また、新劇場版の『破』においては彼女がシンジへの愛をきっかけに、徐々に金の人となっていく様子が描かれます。


[碇ゲンドウ]

 

碇ゲンドウは土の人です。土の感情とは「忍耐・勇気」です。ですから、彼は自分の信じることのために「忍耐」と「勇気」を以て長い年月を過ごす人間として描かれます。土の感情についての説明でも書きましたが、土の感情とは「何か信じることのために何かを行なうことができる気持ち」です。何かをやり続ける場合は「忍耐」、何かをやり始める場合は「勇気」と言います。本質的には「忍耐」も「勇気」も同じ土の感情です。そして、その「信じること」が間違ったものである場合、土の感情とはとても危険な感情であり、何か間違ったことのために、強い忍耐と勇気を使える魂を生んでしまいます。碇ゲンドウとはそのような誤った形で存在する不完全な土の人として描かれます。彼は「人類補完計画」という間違ったものを信じ、それのために彼の生涯を捧げている存在です。シンジへの「愛」のない接し方は彼が誤ったことを信じている一つの象徴でもあります。

・土の感情について
http://junashikari.com/emotion/土の感情について/
 

[真希波・マリ・イラストリアス]

新劇場版から登場するマリはアスカと同様に火の人ですが、彼女は火の感情が持つ「笑い」の側面を持っています。そのような彼女が新劇場版においてアスカと共に働くのは、不完全な火の人同士が働く様を描くためです。火の感情の持つ「笑い」は「軽さの闇」と非常に近く、彼女はそういった「軽さの闇」に取り憑かれている不完全な火の人として描かれます。オタク言葉を話し、戦闘中でもまるでゲームをしているかのように闘います。生を軽く感じているからこそ、彼女はオタク言葉を使って言葉を軽くし、重要な戦闘でさえも彼女にとってはゲームのようなものです。「軽さの闇」とは現代の日本人が最も取り憑かれている闇の感情です。

・軽さの闇について
http://junashikari.com/emotion/軽さの闇について/
 

[渚カヲル]

渚カヲルは完璧な風の人として描かれます。彼の感情は一切ブレず、いつも正しいことを言う存在として描かれます。渚カヲルは木星神様の人格そのままです。この宇宙の創造神は水の神様、火の神様、風の神様ですが、風の神様の話し方と非常に似ています。何故ならば、木星神様とは太陽系における風の気を司る神様であり、風の神様の息子に当たる存在であるからです。ちなみに、『ハウルの動く城』のハウルは風の神様のコピーですから、話し方が似ています。風の感情とは「優しさ」であり、その「優しさ」を促しているのは他の魂に対する「思いやり」です。ですから、アニメ版においても新劇場版においても渚カヲルはシンジに優しく言葉をかけます。

・風の感情について
http://junashikari.com/emotion/風の感情について/
 

[冬月コウゾウ]

 

碇ゲンドウと同じく土の人であるから、非常に我慢強く、ゲンドウと同じく「人類補完計画」という間違ったことを信じている存在になります。碇ゲンドウと冬月コウゾウが長年に渡りうまくいっているのは、二人が同じことを信じ、また同じ土の人であるという点にあります。
 

[加持リョウジ]

加持リョウジは風の人であって、エヴァの中では比較的完璧に近い存在です。しかし、彼もナルシズム(比較の闇)や欲望(女性に関して軽いところ)を持っています。
 

[碇ユイ]

ほとんど登場しませんが、彼女は完全な金の人です。つまり、完全な愛の人として描かれ、エヴァの中でシンジと会う場面などではいつも彼女の愛を以てシンジを導きます。彼女の人格は太陽系において金の気を司っている金星神の人格そのものです。

 

[鈴原トウジ]

 

[相田ケンスケ]

 

[伊吹マヤ]

 

 

[日向マコト]

 

[青葉シゲル]

 

[鈴原サクラ]

 

 

これらのことは、それぞれの登場人物の名前にもかなり表現されていますので、参考までに一部書きます。

碇シンジ(水):「碇=怒り」であって「水の気持ち」は「向上心・問題解決の心」なので「厳しさ」も内に持っており、「厳しさ」は「怒り」とも言い換えられます。
惣流・アスカ・ラングレー(火):「ラングレー=太陽などの放射エネルギー」の単位のことであって、「火の気」を意味します。
綾波レイ:波は水の中で起こるものであり、レイは「冷」とも読めます。冷たい「水の人」を意味。
渚カヲル(風):「風の気」によって風は起こります。そして、風は香りを運びます。そういう意味でカヲル=風のこと。
碇ユイ(金):「結(ゆい、結ぶ)」とは「愛」から生まれる行為なので、ユイ=結=愛=金の気持ちを意味。
加持リョウジ:「加持」に合わせて「リョウジ」を捉えるのであれば「両持」であり、「水」と「火」の両方を持つことを意味。
伊吹マヤ(風):「吹く」のは風
日向マコト(火):太陽は「火の気」の星であって、それを「向」くことから「火の人」を意味。
青葉シゲル(水):水色と言われるように、青は水の色だからこそ、「青い葉が茂る」とは「水の人」であることを意味。
鈴原トウジ(火):「トウジ」は「闘志」であって「火の気持ち」の「闘いの心」を意味。

名前だけではなく、着ている服の色や髪の色にも、その人物が抱きやすい「光の気持ち」は反映されています。

 

 

 

このような登場人物に関する観点を以て作品全体を観るならば、不完全な水・火・風・土・金の人が互いにどのように付き合い、問題を解決していくのか、といった理解の中で作品を観ることができ、我々にとって非常に大きな気付きとなります。神々はこのような理解をしてもらうために『エヴァ』を創っていますが、我々はそこまでの理解が全くできておらず、神々が我々に伝えたいことと我々が『エヴァ』から学ぶことの間には大きなギャップがあります。