魂の光と闇について
2015.11.14 気と心の関係性
今まで身体に宿っている光と闇の気についてはかなり話してきました。しかし、魂の光と闇の気については今まであまり話したことがありません。その点について話していきます。
先日の「魂の進歩について」において、新たな気を獲得することにより魂が大きくなっていくという話はしました。そう考えると当然ですが、一体どのような気を魂が獲得していくのかということが魂が光に満ちていくか闇に満ちていくかの違いとなっていきます。
魂の進歩について
http://junashikari.com/energy/魂の進歩について/
魂は気によりできています。魂が科学では測り切れないのはそれが気であるためです。魂についてはこちらを参照下さい。
魂について
http://junashikari.com/energy/魂について/
我々は非常に小さな存在、例えば蟻などから輪廻転生を繰り返し、より大きな存在、例えば馬などを経て、そして人間となっています。我々はどんな魂であっても、100回~5000回死んでおり、長さにして千年~百万年程生きております。肉体はいつか死にますが魂は不滅です。我々はこの宇宙の中で本当に若い魂の集まりに過ぎません。
それぞれの命の器の中で我々は光と闇を学んでいきます。例えば、蝶は光を学ぶための器、それに対して蛾は闇を学ぶための器というような形です。それぞれの器の中で光と闇を学び、そして人間というポイントまで達しています。人間が他の生物と異なり非常に特別な点は自分の意思で光も闇も選ぶことができる点です。
人間以下の動物は自分の意思で光と闇を選ぶことはできません。例えば蜘蛛は闇の虫ですが、彼らはその器の構造上光を選ぶことはできません。肉食であり、常に他の生き物を殺さなければならず、しかも彼らの狩りの性質上、ずっと狩りという闇の行為に専念せざるを得ません。肉食か草食か、ということは光と闇の一つの判断軸でもあります。
例えば肉食でもライオン達は家族を営みます。ですから、狩りなどのある特定の行為においては彼らは闇の行為をせざるを得ませんが、家族を営むということについては光の行為です。
そういった形でそれぞれの生物にとって必要な生き方の中で、我々は光と闇を学んでいきます。そして、人間となり我々は自分の意思で生き方を選んでいくことが可能になります。ですから、動物などと異なり、ありとあらゆる分野において、光の生き方を選ぶのか、それとも闇の生き方を選ぶのか、ということを選択していくこととなります。我々人間の生は常に光と闇の選択の連続です。
我々は今は同じ人間ですが、それぞれの魂の歩み方は非常に様々です。例えば、以下のような形です。
Aさん:みみず10回→芋虫5回→もぐら3回→にわとり3回→牛10回→人間70回目
Bさん:かまきり3回→蜘蛛10回→ムササビ5回→ジャガー3回→人間10回目
Cさん:てんとう虫5回→蝶10回→リス5回→鹿10回→人間50回目
同じ人間でも人間に至るその過程が異なると、魂は異なる発展の仕方を行なってます。例えばAさんの場合、土とずっと関わっている魂ですからその性格もそういったものとなり、人間となると農業に関わる方になったりします。それに対し、Bさんはずっとハンターの気質を持った生き物で輪廻転生を行なっていますから人間となった後も所謂「肉食系」になったりします。Cさんは非常に平和的な生き物で輪廻を繰り返していますから人間となった後も非常に平和的な方となったりします。
どの器(生物)に宿るかによって、「魂が学ぶもの=魂に付け加えられる気」は相当異なります。ですから、我々の魂とは人間となった時点で相当異なるのです。そして、人間となり、自分でどういった気を付け加えていくかを選んでいくこととなります。
もし我々が光の気を選び続け、それを魂に加え続けていった場合、あるところまでいくと死後人間の輪廻を終え、天使や神様になります。それとは逆に、闇を選び続け、それを魂に加え続けていった場合、死後幽霊となり、そしてそれでも闇を選ぶと悪魔となります。
人間とは、魂の長い流れの中でも非常に大きな分かれ道です。というよりかは、一つの分岐点に達するために、すなわち自分の意思で選択ができるようにするために、人間以前の輪廻転生があります。
だからといって人間が偉いと言っているわけではありません。この星の全ての生物はお互いを支え合っており、そういう意味ではポジションが異なるだけです。全ての生き物は全て同様に大事です。しかしながら、魂の発展という意味の中では人間という分岐点に至るまでの修行が他の生物としての生となります。
ちなみに、海の生き物はそれぞれ別の輪廻転生を行ないます。我々陸の系列と海の生き物は違う魂の集団なのです。例えば、小魚10回→鮪10回→サメ3回→シャチ10回目などのような形です。また、クジラやイルカや亀などは我々よりも魂の位は高い生き物です。彼らの生きている海を汚している場合ではありません。ちなみに、元々クジラやイルカや亀だった魂が死後神様となり地球を守るケースはかなりあります。そういった方々と繋がっている人間もかなりいます。
これまで魂に気を付け加えるということばかりを話してきましたが、我々は魂に気を加えるだけでなく、気を抜くこともあります。例えば、先程のBさんを例にします。Bさんは人間になる前に「ハンター」としての輪廻を繰り返し、それにより人間となった後もハンターの気質が強い、すなわち闇の強い人間となりますが、もしその中で光を選ぼうと思ったのならば、相当に強い光の気が必要となります。何故ならば、Bさんの闇は非常に根深いからです。
もしそこでBさんが光を選べたのなら、今までの輪廻で魂が取り入れてきた闇の気を取払い、そこの部分を強い光で埋めることとなります。というよりか、このことが起こるための準備段階としてBさんは闇の種の生き物で輪廻を繰り返してきています。
この宇宙に光しかなければ、皆が同じような魂になってしまいます。非常に平和的でのほほんとしているような魂。それぞれの魂が真に個性を作っていくため、自分の意思で魂を構成していくためにも光と対立する闇を作ったというのが創造神のこの宇宙を創った意図です。そして、様々な生物の器はその魂の多様性のための、自分の意思で自分の魂を構成していくためのシステムです。
この宇宙に本来何一つ不要なものはありません。もちろん、我々を苦しめるだけの本当に不要なものはありますが、それは神が創った自然ではなく、人間が創ったものです。例えば放射能などはそうです。本来この星にある自然を見つめて、それが何故そこにあるのか、ということを真に問うならば様々なことは見えてきます。我々に必要なのは赤児のような目でこの世界を見て、問い続けることです。
この宇宙はそれぞれの魂が自身の意思で発展し、光を選んでいくためにあります。その独自の発展の仕方を神々はいつも上から眺め、そしてそれらの魂を光の方に導こうとしています。
強い光はそれと匹敵する程の強い闇が無ければ生まれません。闇を克服する過程の中で、我々は本当の意味で清くなっていけます。しかしながら、これは大変危険な賭けでもあるのです。何故ならば、闇を克服するのではなくて、闇に飲み込まれてしまう可能性もあるからです。そして、今の人間は闇に飲み込まれてしまっています。
我々は魂を光の方に近づけていくためにここにおります。これだけ我々の魂が闇に満ちてしまっているんです。道端に倒れている人がいても助けもしない。世界の裏側で清い人達が殺されているニュースを見てもほとんどの人は何もしようとしない。他の生き物を殺し続け、それを「うまいうまい」と言いながら、それらの生き物に敬意も無しに食い続けている。我々の魂は本当に闇に犯されてしまっています。
しかしながら、この強い闇を我々のそれぞれの魂が克服できたとしたら、それは本当に強い光となっていきます。人間は神々から見放されつつあります。今は人類の長い歴史の中で、非常に重要な時期です。ここで、なんとか、まだ光の方へ行けると私は信じています。人を闇から克服させていく指導をする中で、本当に日々様々な挫折があります。つまり、多くの人が結局闇を選んでいくという事態です。しかしながら、まだ光を選んでいけることができる人間もいますし、そういう人間がまだ多くいることを信じて常に全力で生きております。
魂を光で満たしていく必要があります。そのために必要なのはまず身体を浄化することです。度々言っておりますが、身体とは我々の魂からすると、最も身近な外界です。そこに闇の気が溜まっていると、その身体に宿っている闇の気から魂が闇の気をもらいます。そして、もしその闇の気と共感するならば闇の感情や闇の思考が起き、魂が闇の方へ傾いていきます。
「闇と闇は引き合い、光と光は引き合う。」
これは非常に大事な法則ですから、よく理解して下さい。闇の気をコントロールしているのはサタンとサタンの子供達です。彼らはこの宇宙の闇を強めたいと思っており、我々の魂を闇の方に導きたいと思っています。何故ならば、魂が闇を選ぶのであれば、その魂により多くの事物や存在を闇の方へ導く事ができるからです。その手段として、闇を大きくするために闇と闇を引き合わせます。
光の気をコントロールしているのは神々や天使です。彼らはこの宇宙に光を増やしたいと思っており、我々の魂を光の方へ導きたいと思っています。その手段として、光を大きくするために光と光を引き合わせます。例えば、光の強い人間同士を出会わせて協力関係を作り、より大きな光を実践するといったことです。
我々の身体に闇があり、我々の魂にも闇があったのならば、より大きな闇を身体と魂の両方が作る可能性があります。現代人は全然身体を浄化しませんから、生きているだけでどんどん魂が闇の方に寄って行きがちです。もし、身体の完璧な浄化を行なうのであれば、身体と魂で闇と闇が引き合うことがなくなり、魂が闇の方に寄る可能性がとても低くなります。そして、その状態において、魂が光を選び続けるのならば、魂に入り込んだ闇の気が抜けていきます。なぜならば、使わない気は抜けていくからです。
どうか身体の浄化を行なって下さい。まず瞑想です。瞑想によって身体に宿っている気を認識できるようになります。これが全てのスタート地点です。身体に宿っている気を認識し、そしてそれらを瞑想や運動といった方法によって身体の外に出していくこと、つまり浄化を行なって下さい。
そして、日常において光を選び続けるのです。すると魂に根深く宿っていた闇の気が抜けていきます。すると、自分でもビックリするぐらい生きやすくなり、世界は美しく見え、他人を愛せるようになります。そうすると真にこの世界のために生きようと思えます。それが御自身の役割を行なうためのスタート地点です。
自分のために役割を行なうことなどあり得ません。例えば、歌を歌うために生まれた人間はただ歌っていればいいというものではありません。真に他人のために歌う必要があります。1%も自分のために歌ってはなりません。
この宇宙に本来何一つ不要なものはありません。お互いがお互いを支え合うためのシステムがこの宇宙です。我々はその中の太陽系という場所に生きる魂です。
この太陽系における輪廻のシステムを人間という種が終わらせてしまいそうです。終わらせてはなりません。どうか、皆様が浄化を果たし、その上で真にそれぞれの心に従って生き、役割を実践することを願います。