「気」と「心」の関係性3(魂の「気」)についての音声解説はこちらになります。聴いてみて頂けると幸いです。

 

「気」が我々の「気持ち」と「思考」の原因であって、外界の「気」にどのような影響を受けているのか、身体の「気」にどのような影響を受けているのか、ということについて書いてきました。このことについて読まれていない方は、『「気」と「心」の関係性1〜2』の文章を読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/「気」と「心」の関係性1(外界の「気」)/
http://junashikari.com/energy/「気」と「心」の関係性2(身体の「気」)/​

我々は太陽を浴びると「気持ち・気分」が良くなります。何故ならば、太陽からもたらされる「火の気(元気)」を身体に摂取し、その「火の気(元気)」の影響を魂が受けるからです。これは、外界の「気」が我々の「心」の状態を変える一つの例です。

身体に「闇の気」が溜まっていると、日常的によく不愉快な「気持ち・気分」が自分の中に起こってきます。例えば、よく「憂鬱」になったり、ちょっとした他人の発言に対して「嫌悪」を感じてしまったりといったことです。これは、身体の「気」が我々の「心」の状態を変える一つの例です。

ここでは、外界の「気」でも身体の「気」でもなくて、心臓に宿っている我々の魂自体が生み出す「気」によって、自分の「心」が変化することについて説明します。

例えば、我々は悲しい出来事を経験した時、悲しくなります。これはどういうことが起こっているかというと、悲しい出来事を経験した我々の魂が「悲しみの気」を作り、その「気」を自分が経験しているからです。外界の「気」の影響を受けているわけでも、身体に宿っている「気」に影響を受けているわけでもなく、自分の魂が「気」を作っている形になります。

ここで、重要なことは、自分の魂が抱える「気」しか、我々は作ることができないということです。「悲しみの気」を作るためには「悲しみの気」を魂が抱えていないといけません。我々の魂は「気」によってできています。魂とは非常に濃い密度で集まった「気」の塊(かたまり)です。そういった魂が身体に宿っている形になります。

我々が持っている性格は魂がどのような「気」を抱えているかによって決まっています。例えば、「優しさの気」が魂に多い人は「優しさ」の強い人に、「欲望の気」が魂に多い人は「欲望」の強い人になります。そして、我々の魂はどういった「気持ち」を抱くのかということによって、日々少しずつ変化します。例えば、「欲望」に満ちた生活を送っていると「欲望」は強くなり、「愛」に満ちた生活を送っていると「愛」は強くなっていくということは、自分や他人を見ていても、いつも法則としてあることだと思います。

どうして、自分が抱く「気持ち」によって自分の性格=魂が変化していくかというと、我々がある「気持ち」を抱く時には必ずその「気持ち」を作っている「気」が魂に入るからです。例えば、「優しさ」を抱いている時は「優しさの気」が魂に少し入ります。そのことによって、少しだけその人は、より「優しさ」の強い人となっていきます。「気」が「気持ち・気分」の原因であり、何らかの「気持ち」を抱く時はその「気持ち」の原因となっている「気」を魂に抱えていくからこそ、このような現象が生まれます。

我々は生きていく中で、様々な「気持ち・気分」を経験していき、その過程の中で様々な「気」を魂に抱えていきます。そして、自分が抱えた「気」は、それ以降自分で作ることができるようになりますから、自分自身の力だけでその「気持ち・気分」を作ることができるようになっていきます。生きているという状態はこのようにして、新しい「気」≒「気持ち」を学んでいる状態です。

我々は様々な「気持ち」を学び、様々な「気持ち」を自分自身の力で作っていけるようにするために生きています。これを言い換えると、「魂が進歩するために生きている」とも言えるし、「変わるために生きている」とも言えますし、「自分自身を作っていくために生きている」とも言えます。そして、それを具体的に言うと、新しい「気」を魂に抱えるために生きているということを意味します。

生きていると色々な「気」を我々は身体に宿していきます。そして、我々の魂は身体に宿るどの「気」と同調して「気持ち・気分」を作っていくのかということを「選択」しています。例えば、恋人が自分を裏切った時に、それでも「愛」で相手に接するのか、それとも「怒り」で相手に接するのか、といった「選択」などです。もし、この時に「愛」で接するのであれば、身体に宿った「愛の気」=「金の気」に同調することになり、「怒り」で接するのであれば、身体に宿った「闇の気」に同調することになります。

生きていると様々な経験をします。そして、そういった1つ1つの経験に対して、自分がどのような「気持ち・気分」でその経験と向き合っていくのかということを我々はいつも、意識的にも無意識にも決めています。そして、自分が「選択」した「気持ち・気分」を抱く時、その「気持ち・気分」の原因となっている「気」は我々の魂に少し入ります。このような形で、我々人間は自分自身の魂を変化させています。こういったことの結果として、我々の性格はあります。

逆に言うと、我々が身体に宿っているのはこのようなことを可能にするためです。身体に宿っていなければ、様々な「気」が身体に宿ることができません。そして、身体に「気」が宿らなければ「気」を「選択」することが非常に難しくなります。我々は「気」を「選択」することを可能にするために、身体に宿っています。そして、魂が身体に宿っているからこそ、魂はより変化しやすい状態にあります。

とにかく、我々は自分自身の魂が持つ「気」によっても、「気持ち・気分」を作っています。このことを理解して頂くためには、魂が「気」の塊(かたまり)であることなどの説明をしなければならなかったので、こういった説明を行ないました。

 

【「気」と「心」の関係性のまとめ】

ここまで『「気」と「心」の関係性』というタイトルで文章を3つ書きましたが、その内容をまとめたいと思います。

「気持ち」が「気」を「持つ」と書き、「気分」は「気」を「分かつ」と書くように、我々の「気持ち・気分」の原因は「気」です。そして、「気持ち・気分」はいつも我々の「思考」に影響を与えています。例えば、「不安」に堕ちると「不安」の思考ばかりが出てきます。そのような意味で、「気」は我々の「心」に強い影響を与えています。

そして、この世界には様々な「気」があり、我々は呼吸などを通して自分の身体に様々な「気」を宿し、心臓に宿っている我々の魂は身体に宿った「気」に影響を受けながら「心」を動かしています。そして、「光の気」は「光の気持ち」を作り、「闇の気」は「闇の気持ち」を作ります。「ストレス」と言われる状態は「闇の気」が身体に多く溜まっている時に起こる精神状態です。魂が身体に溜まっている「闇の気」の影響を絶えず受けている状態を意味します。

また、我々は身体に宿っている「気」に影響を受けるだけではなくて、自分自身の魂が作る「気」によっても「気持ち・気分」を作っています。生きている状態は魂に「気」を獲得し続ける状態であって、自分が獲得した「気」は自分の性格の一部となり、そういった「気持ち・気分」を自分自身が作ることができるようになっていきます。

非常に大雑把に説明すると、このような形になります。

重要なことは、我々はいつも「気持ち・気分」を選んでいるということを理解して頂くことです。我々は自分自身の「意志」で自分自身の魂を変化させていっています。身体に宿る「気」は我々に様々な「気持ち」を起こしますが、一体どのような「気」と同調して「気持ち・気分」を抱くかということを決めているのは、我々一人一人の「意志」です。

また、身体が「闇の気」だらけになると、自分の中に「闇の気持ち」しか起こらなくなっていきます。これが「ストレス」という状態であって、酷い場合には「鬱病」や「統合失調症」と呼ばれるようになります。そういった状態を避けるためにも、「闇の気」を身体に抱え込まないように生きていくことがとても大事です。
 

「気」と「心」の関係性を理解するためには、「気持ち」と「思考」の関係性を知る必要があります。そういった内容について、ここに書いていますので読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/「気持ち」と「思考」の関係性/